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暖かい秋の日に     

ここ数年、秋が長くなった。11月も半ばとなって元気印の連れ合いの誕生日がめぐってきた。深々と淹れた紅茶の茶碗のぬくもりを掌に快く感じながら、昔の11月は、もっとキーンと晴れていて空気が澄んで空は高くて爽やかだった、、などと、とりとめもないことを話し合っていた。

自分の後ろの影がどんどん増えて長くなり、前の道の端が見えるような気がするトシになると、思い出すことが多くなり、さまざまな小さな事柄を再生するようになる。友人達の訃報や入院、病気などの知らせが入ってくると、いやでも思い出してしまうことがあって、お茶も二杯目になったりする。

なんとなく背中や腰が痛むようになった40才の頃、疲れだろうと思いながら重病の予感がふと頭をよぎる時があった。「尿管静脈瘤破裂」、連れ合いと子供達への「書きおき」だけ残して手術を受けた。病室でのさまざまなイヤなことはノーテンキだからもう忘れたが、たった一つ忘れられないことがあった。公表しなくてもお見舞いに来て下さる方があり、その日も休日とあって、知り合いが訪ねてくれていた。あまり親しくもないご主人連れで、これから遊びに出る途中と見受けられた。術後5日ほどで、ドレーンを引きずったままで、土気色の顔、、なんとなく情けなかった。

「いや〜!大変だしたナ、そやけどお元気そうで、ちっとも痩せてはらへんね」とご主人が言われる。横で幸せそうに満面の笑みをたたえている彼女の唇が鮮やかな赤色で塗られていた。それは輝くような眩しい色で光り輝いていて、そこだけが華やかで明るかった。何も色のない病室で、家のことや子供達のことばかり気にかけながら寝ていた者にとってそれはまさに「赤いイロ」「色香」だった。

幸せそうな笑い声を残して彼女達が病室から消えた時、不意に涙が出てきた、一体何なんだろうと思いながら流れる涙を懸命に拭いた。退院してからも、こんな僅かな時間の出来事がひっかかって消えなかった。どうしてだろうなんて考えることもなく理由は分かっていた。元気で健康な人間への嫉妬、病人のひがみなのだと。

それからは知り合いのお見舞いに参上することを避けるようになった。心を込めて手紙を書く、病室に送る。今はそれも時にはメールだったりする。
不幸な状況に打ちひしがれている人に元気な俗世間を持ち込むことが、かえって落ち込ませることになるような気がしてならないからだ。
退院日が近く、退屈している病人には、お見舞いが有効で楽しいと思う、もう健康な日々が間近に待っているから。

幸いなことに病いからは生還できて「書きおき」は無用になった。その後はさしたることもなくここまで来た。この秋、喜寿を迎える連れ合いもこの点では妻孝行、「お若いですね!お元気ですね!」と、ヒトさまに言われて、それを本気にして悦にいっているアホらしさながら、病気からは縁遠かった。それが救いだった。

11月は一番好きな季節だった。今年は紅葉が遅々として進まず、疲れた緑色を残している木々が、このまま冬の枯葉色になって朽ちていくのだろう、こんな11月は好きではない。(2005.11.15.)

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