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書評(プレビュー)

花森安治 戯文集1(逆立ちの世の中ほか)
今も古びていない花森安治の世界

この「花森安治 戯文集」は、敗戦後の昭和という激動の時代の生活や風俗を、独自の感性で切り取り、大胆に評論しつづけてきた短文と、エッセイや対談などを集めて出版されたものです。語り口に古色がなく、今でも「その通り!」と言えるような記事で埋まっています。
「人間はどんなに時代が進んでも、ちっとも進化しないものだ」という原則のような事実をはっきりと感じさせてくれます。

大震災と津波の被害を受けるまで、日本人は原発に関してなにも知らず、知ろうともせず、政府、官僚まかせにしてきたことを恥じねばならないでしょう。今こそ嫌なものは嫌だ、不要な物はいらない、困ることは困る、と主張しなければなりません。 同じ事を繰り返してはならないのだと、この戯文集の花森安治が強く警告しているように思いました。
(2011.11.15.) 

          


花森安治 戯文集2(風俗時評ほか)
昭和時代の「皮肉屋」花森安治

「実は今日はひょっとしたらイヤなことを申し上げなければならないかと思うのです」この書き出しで始まる「花森安治 戯文集2」は、言わずにおられないという花森安治の 気持ちであふれています。

1950年代、彼の雑誌「暮らしの手帖」は、当時のスノッピーな女性たちに歓迎されて、 花森安治は一躍有名人になったのですが、生誕100年を経て、彼の名前を知っている人は、 今や少なくなってしまいました。しかし、この風俗時評は、今読んでも納得すること ばかりで、思わずクスッと笑ってしまうのです。

この時代に書かれた彼の時評は、その後、受け入れられて、今は当たり前のことにになったものも たくさんあります。「男のカバン」などはそのいい例で、現在、重いカバンを下げて通勤する サラリーマンなどなくなりました。人工流行」なる言葉も当たり前になり、流行は作られるものという概念はみんな納得しています。 そして自分に合うものだけを取り入れると言う風に、民衆も賢くなりました。

彼が「イヤナこと」を言ってきたことが、静かに浸透し、日本人の民度を高めてきたように思うのです。 昭和という混沌とした復興の時代を知る上でも一読をお勧めしたい本です。
2011.11.18
      


花森安治 戯文集3(暮らしの眼鏡ほか)
暮らしの眼鏡でのぞいてみると、、

「暮らしの手帖」という雑誌に埋没してしまい、花森安治という希有な観察眼を持った人の考えたことが、本となって人々に読まれることは少なかったように思います。この三部作の発刊で、才気あふれるその主張が、多くの目に触れることになりました。

中でも印象的なのが「奇病パリ熱」の中に書かれている「ノミ」の心理の話でした。ノミは自分を下等な生き物だと思っているから、同じ「ノミ」に出会うと「けっ!ノミか」 と軽蔑するというのです。日本人もなんとなく自分を下等な生き物だと思っているから、日本人に会うと「フン」と軽蔑する 、、日本人の外来物崇拝と劣等意識を皮肉った文章なのですが、今の時代の「妙に自虐的な日本人」にも当てはまるように思えてなりません。

技術力の日本と言われて久しかったこの国は、大地震と大津波による原発事故でその技術力と政治力の脆弱さを露呈しました。今こそ日本と日本人というものを大切にし、プライドをもって立ち直らなければならないと花森氏に言われているような気がしました。

彼の古びない思想や、ぶれない主張が、時代などとは関係なく、人や世の中の本質をえぐっていて、まことに面白く、笑ったりうなずいたりしながら楽しく読んでしまいました。
2012.1.20 
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