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 花森安治 戯文集(逆立ちの世の中)

1948年、まだまだ敗戦の混迷のさなかにあった日本で「美しい暮らしの手帖」という雑誌が出版されました。後の「暮らしの手帖」です。今年、戦後66年をへて、編集長だった花森安治の戯文集(逆立ちの世の中)が出版されました。今年で生誕100年だそうですから、もうこの花森安治という人を知っている方は少なくなっているかもしれません。

「暮らしの手帖」は、当時珍しい雑誌でした。広告を一切取らず、徹底した製品の実験を行い、トースターや洗濯機、冷蔵庫などの家電製品を、使用する者の立場に立って、繰り返し実験をしていました。この実験から得られた結果報告は写真と共に掲載され、商品を購入する側への強いメッセージになっていました。

そして、まだ一般家庭に普及していなかった西洋料理や懐石料理を易しく解説し、家庭でも出来るおしゃれな和洋食の作り方として、美しい写真とともに毎号掲載していました。(大阪ロイヤルホテルの常原久弥シェフや湯木貞一吉兆店主 など)。お二人とも故人になってしまわれたことに経過した年月を感じます。

きれいな料理写真に小粋なエッセイなどをからめて、パリでいただく朝食のクロワッサンの香りを伝えてくれていました。(パリの空の下オムレツのにおいは流れる・石井好子著など)各頁にさりげなく配されている軽妙な線書きのイラストも魅力的でした。

フリッタァやコキイルといった料理は料理店の白い食卓でワルツでも聞きながら食べるものと心得えている。ところが、家庭のゴハンに招かれると、料理やまがいのものが出てくる。ご親切は有り難いが、うまくもない、ときとして人命に係わるようなものを食わされて、しかもお礼を申し上げなければならないのだからひどいものである。一回や、そこいら、作っただけでうまい料理が作れたら、二十世紀の奇跡である。(戯文集より)

こんなことを思いながら、本格的な美味しい料理をなんとか家庭に伝えたいと、料理記事を編集されていたのだろうかと思うと、なんだか、フクザツで、、フフッと笑ってしまいます。


敗戦の貧困から少しずつ抜けだし、拝金主義になりつつあった日本人への危惧からか、暮らしの手帖は品格を感じさせるエッセイや、古い日本文化の良さを思い出させる記事をどんどん載せていきました。何者にも支配されず、そして、どこにも遠慮しないで雑誌を作りたいという思いを、スポンサーを作らないということで守り抜きました。真摯な編集態度と豪放かつ軽妙な発言は、一世を風靡したと言っても過言ではないでしょう。編集長であった花森安治の進取の気性と反骨の精神が込められた雑誌だったと思います(今も出版されていますが、、)。

「女がズボンをはけないようになっているはずはない、男がスカートをはいていけない訳がない、和服の場合は男も女も着物、すなわちワンピースである」などと主張して、自らスカートをはいたとか、、女装した無骨なおっさんの写真を、雑誌などでご覧になった方もおられるでしょう。お世辞にも似合っているとは言いがたかったですが(笑)、、

花森安治は「風俗評論家」といわれてきましたが、著書「一銭五厘の旗」は高く評価され、読売文学賞をはじめ、マグサイサイ賞などを受けています。66才で突然亡くなるまで、世の中の裏を読む力を研ぎすまし、一種独特のユーモア精神もあわせ持った稀有な作家だったと思います。

「赤紙一枚で」
北満のある町に日本軍の小さな部隊があった。
討伐作戦でアゴをだしてくるとみんなムカシ食ったものの話を微に入り細に入り描写した。
それに飽きると、脱走して内地に帰る道筋をこれは小さな声で、しかももっと熱心に話し合った、しかし、いつも朝鮮海峡までくるとためいきになっておしまいになった。あとはみんな黙り込んで身体だけひきずって行った。帰りたかった。(戯文集より)


「一銭五厘の旗」
もう二度と誰もあんな夜に出会うことはないのではないか
空はよくみがいたガラスのように透き通っていた
空気はなにかが焼けているような香ばしいにおいがしていた
どの家も どの建物も
つけられるだけの電灯をつけていた
それが焼け跡をとおして一面にちりばめられていた
昭和20年8月25日

戦争に敗けた しかし戦争のないことはすばらしかった
、、
貴様らの代わりは一銭五厘で来る 軍馬はそうはいかんぞ
、、
兵隊は一銭五厘の葉書でいくらでも召集できるという意味だった
、、
どなっている軍曹も一銭五厘なのだ、、(一銭五厘の旗より)


敗戦後の昭和という激動の時代、駆け足で過ぎ去った怒濤のようなこの時代の風俗や生活を切り取り、大胆に評論しつづけてきた多くの短文と、エッセイや対談などを雑多に集めて出版された「花森安治 戯文集」は、語り口に古色がなく、今でも「その通り!」と言えるような記事で埋まっています。「人間はどんなに時代が進んでも、ちっとも進化しないものだ」という原則のような事実をはっきりと感じさせてくれます。

税制の批判をする一文が「大阪のトンカツ屋の話」として載っています。物事の本質を良くとらえていると感心しました。ある日、大阪のトンカツ屋でトンカツとゴハンとお新香を二人分頼んだら、一皿のお新香しか来なかったので、もう一つは?、、と催促したら、親父が「二つだしてもよろしいけど、それやったら税金がつきますけどかめしまへんか?」と言ったというのです。たったお新香一皿だけで税金がつく金額になるからやめといたら税金をはらわなくてもいいというわけです。お客の身になってお金を使わせる、、商売で東京が関西におされるのはこんなところにも原因があるのではないかと書いています。

これは考えようによっては合法的ではないかもしれませんが、ろくに税金のことをしらないのをいいことにしてなんでもかんでも取り立てればいいということでは国は滅びる、国税庁でこのあたりをしっかりと国民に知らしめる方が国民の気持ちが良くなる。(一銭五厘の旗より)

と、彼は50年も昔に言っています。今まさに日本は増税論争中です。もっと詳しい説明が必要です。「なにがなんでも取り立てればいい」では、国が滅びていくのでしょう。

いちいち相づちをうちたくなる短文が満載されていて、話が貨幣価値以外はちっとも古くなっていないことに驚きました。もう戦後66年もたっているというのに、人の考えていることや、やっていることはあまり変化はないのです。

彼が戯文めかした書いた批判の裏には、その当時妙な方向へ進み始めていた日本という国への警告が詰まっているように思います。それは戦後のどさくさが一段落して、占領政策から抜け出し、ホッと立ち止まった時代でした。しゃにむに働き続けた緊張が解かれ、燃え尽き症候群の前触れのような、お金さえ持てば、全てが自由になるんだという自堕落な空気に、社会が被われ始めた頃でした。なんとなく今の時代の閉塞感に似ています。

今度こそ 僕らは言う
困ることを困るとはっきり言う

じぶんの言葉で困りますやめてくださいとはっきり書く
7円の葉書に何度でも書く

ぼくらはぼくらの旗を立てる
ぼくらの旗は借りてきた旗ではない
(一銭五厘の旗より)

現在は長足の進歩をとげたITの時代です、一つの「つぶやき」や「動画」が世界をひっくり返すこともあるという、途方もない時代です。情報の伝達は瞬時です。良いか悪いかを嗅ぎ分ける「勘」を磨くしかありません、まっとうな知識を増やしていくしかありません。うかうかと「一銭五厘」で召集を受けるようなことを避けなければなりません。

大震災と津波の被害を受けるまで、日本人は原発に関してなにも知らず、知ろうともせず、政府、官僚まかせにしてきたことを恥じねばならないでしょう。

今こそ嫌なものは嫌だ、不要な物はいらない、困ることは困る、と主張しなければなりません。同じ事を繰り返してはならないのだと、この古い戯文集の著者花森安治が警告しているように思いました。

人間が集まって暮すためのぎりぎりの限界というものがある

ぼくらは最近それを越えてしまった それはテレビができた頃からか

新幹線ができた頃からか電車をやめて歩道橋をつけた頃からか

とにかく限界をこえてしまった

ひとまずその限界まで戻ろう

戻らなければ人間全体がおしまいだ  (一銭五厘の旗より) 

 
2011.9.01.  書評プレビューへ

花森安治戯文集1(逆立ちの世の中)2011.6.20.初版発行
花森安治戯文集2(風俗時評)発売中

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