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ゴーヤのお話

「ゴーヤー」を調べますと、「ゴーヤー、ツルレイシ(蔓茘枝)は、ウリ科の植物である、比較的病害虫に強く、日照と気温と十分な水さえあれば、肥料や農薬はほとんど使わなくても収穫が得られ、家庭菜園の作物にも適している。その未熟な青い果実を食用とする」と書いてあります。

ゴーヤは、ビタミンCやミネラルも豊富で、そのうえリノレン酸や植物インスリンなども含み、血圧や血糖値も下げるとあって、健康オタクの日本人にはうけているようです。

今年は東北の被災地の仮設住宅にゴーヤの苗が配られたとニュースが伝えておりました。ふさふさと繁ったゴーヤのカーテンがいっぱい出来ているのかと思っていましたら、そうでもなかったようです。植え込みの時期が遅れ、成長も遅く、まだらに葉がついただけで、なんともカッコワルイ感じのゴーヤカーテンが台風の雨風に頼りなさげに揺れている映像が出ていました。かなりの税金を投入した割りに効果はあまり無かったようです。

我が家の庭のゴーヤカーテンも被災地と同じく貧相で、9月に入った今でもスケスケです、下の葉はすでに黄色くなって枯れ始めました。「水をやらないからだ」「肥料が足りないからだ」と言われても、それなりに熱心に水も肥料もやったのです。やはり畑で作る「野菜」なのですから、シロウトがそう簡単にうまく出来るはずもないのだと、今は撤去する日を選んでいます(何しろ長く居座る台風の湿気のせいで、気分の悪い暑さが続き、そんな無為な労働をする気にもなりません)。ただ、たったひとつ植えた甲斐があったことは、2個の小さなゴーヤの実が採れたことです。




最近は沖縄料理が沢山紹介されていて「ゴーヤチャンブルー」は、もう国民的な料理に昇格しています。ごった混ぜを意味するチャンブルーという言葉の響きはなんとなくB級グルメの美味しさを連想させてくれますが、昔一度食べてみて、その苦さに閉口してからは、ゴーヤを食べることはなかったのです。

浜松へ越して来た翌年の夏、お隣から「ゴーヤを食べますか?」と自家畑の大きな実が到来しました(!)。我が家の庭で今年採れた栄養失調のちっこいゴーヤとは比ぶべくもない立派なゴーヤでした、瑞々しい緑色はしたたるばかりで、ツヤツヤしたイボイボがピカピカ光っていました。素晴らしいゴーヤでした、食べないなんて言っていられません(笑)。

半割りにして白いワタと種をしっかりと取り除いてから茹でて苦みをとり、定番のチャンブルーにしてみましたが、連れ合いの箸が進みません。辛い物や苦い物、刺激の強いものが嫌いなたちですから、やはりダメかと思いました。でも、あまりに新しくていい食材でしたから、何とかして食べてもらいたい、、そこで栄養価の高いことを吹聴し、しっかり洗脳してから。少し甘めの胡麻味噌和えや、パリッとした天麩羅などの好みの料理にしてみました。お皿は空になり、作戦成功です!それからはゴーヤをいただくたびに全て完食するようになりました。

西向きの窓にかろうじてぶら下がっていた二個のゴーヤは、やはり水気が少なく、旨さに欠け、ゴリゴリして口当たりが悪くて、苦みも強かったのですが、庭で収穫したということを強調して、気分屋の連れ合いを何とか言いくるめて食べてもらうことが出来ました。気のせいでしょうか、モリモリとまではいきませんが、少し元気が出たように思います(笑)。

南から吹き込んでくる蒸し暑く重たい空気を、台風が持ち去った日の夕方は、心なしか少し軽くなった風に吹かれて、虫の音も澄んでよく響いているような気がしました。はっきりとは見えないほどの「秋」が近づいているのでしょう。そう言えば、夕闇のおでましもめっきり早くなりました。

もうゴーヤも旬を外れます。来年はもう少し早く植えて、文字通りのグリーンカーテンにしたい(あわよくば実も、、)と思っています。
年寄りが来年のことなど、、鬼が笑いますよね。
(2011.9.05.)

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