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ふるさとのこと


稲穂を刈り取った後の枯れた稲株がわびしい色になってくる頃、田圃に薄く霜がおり、みぞれが降り始め、雹が落ちてきたりした翌日、目覚めると吹雪が窓の隙間から吹き込んでいる、その日を境に長い長い冬が始まる。

雪国の冬は長く、厳しく、寒く、そして切ない。町を囲むようにして連なる白山や菅名岳が真っ白になり、里の雪は深い根雪となって最早融けはしない。学校へは徒歩以外に何があろう、一晩で積もった雪を踏んで40分も歩き、身体が暖まって疲れてくると、ようやく校門にたどり着く、平坦な道でない新雪の積もった道は二倍の労力がいった。

少女雑誌で見る都会のお正月は、乾いた路上で美しい振り袖を着た女の子が「羽根突き」をしていた。それにひきかえ、粉桶をひっくり返したように降り続く雪の中では、遊びに華やかさは無かった。たまたま気まぐれのようにのぞく晴れ間にしか外へ出ることが出来ないし、雪囲いの薄暗い部屋ではラジオの音も雑音がひどかった。

こんな雪国の町が大嫌いだった。冬の間、風邪ばかり引いていた私は子供の頃から「疲れる」事を意識出来た。会津藩に加担し、滅んで跡形もない名ばかりの城下町「村松」貧しい町は敗戦の年の火事で全町を殆ど焼失し、学校は遠い町外れの元連隊の兵舎を借用して、寒さなど防ぐ術も無い教室で授業が行われていた。7才の子供にはひたすら寒く、そして疲れた。

そのくせ夏はやたら暑かった。米の生産地であることは「高温多湿」が条件であるから、短い夏は思いっきり暑いのだ。青々と伸びた稲を渡ってくる風は湿気を含み、青臭かった。この暑さも大嫌いだった。現在暮らしている関西の暑さは勿論雪国より数段ひどく、呪いたくなる程だが、子供の頃は他所のことなど知らず、ひたすら自分の住んでいる町が嫌だった。(此処での生活が耐えることを教え、粘ることを教え、勇気と頑張りと、許すことを教えてくれたのだと意識したのは、ずーっと後になってからだった)

「別の所に住もう、ここには住むまい」といつの頃からか思うようになっていった。そして家を離れてからもう何十年が経つのだろう。今、このふるさとは懐かしい香りを放って心を引く・・老いた両親が健在のせいもあるが、それだけでは説明出来ない何かが呼んでくれる。「たまには帰っておいで」と・・まるで演歌だ。心が疲れ、毎日に疲れるとあの大嫌いな町がニコニコと微笑みかけてくれる。そしてその誘いに抗しがたく、アクセルを踏み込む。

山あいの町も農産物を基幹産業にして発展し、多目的ダムが出来、山からの水を使う水道も完備し、美味しい水は近頃は都会の羨望の的になっている。家々は近代的になり、文化の落差は埋まってしまった。そしてあの寒く暑い学校はとっくに町の中心に建替えられ、融雪道路は町を縦横に走り、降る雪も年々少なく、新雪を踏んで歩く事もしなくて済む。

昔、大嫌いだった冬の到来を告げた厳しい山々は今、新緑に笑って、大きな手を広げて長旅に疲れた者を迎えてくれる。とてつもなく大きな心を持った神の手のように、力強い木々は暖かく、緑の風は透き通ってそよぎ、背いて去った者を受け入れて優しい。この雪国の厳しい自然で鍛えられ、教えられた数々をやっと自覚し、得難いと思うことが出来るようになった馬鹿者にも分け隔てなく優しい。すぐに又帰って行く者だから優しいのだろうか

事故死した男の幽霊が出る!と恐れられているという大沢峠、この峠を越えれば、もうふるさとの町は見えてくる。

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