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映画 硫黄島からの手紙




やっと今頃になって「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」、二つの映画をDVDで観た。クリントイーストウッド監督のこの二つの映画は、去年、アメリカのイラク戦争が泥沼にはまりだした時期に、なぜ公開されたのかと疑問に思えるほどのタイミングで発表された。取りざたされたアカデミー作品賞は、無論取れず、公開劇場数もアメリカでは少なかったと聞いたが、各国で大きく評価されて数々の賞を獲得した。イーストウッド監督がこのことを一向に意に介さない風だったのが又、カッコよかった。

アメリカ人による日本人軍人の描写は、時代を知る者には時として違和感を覚えるところもあったが、描写のリアルさと丁寧さはさすがで、今までの外国映画では到達しえなかったものだった。

映画の冒頭に「一枚の写真で戦争は勝ったりも負けたりもする」という言葉があったが、ここで描かれた星条旗の写真にまつわる物語「父親たちの星条旗」は、その写真が大衆を扇動し、「負」の部分を忘れさせる効果を発揮していくサマを描きつつ、人種差別や、社会の格差、政治と経済のつながり方などを深く突き詰めて表し、秀逸だった。

アメリカ側がベトコンの軍人捕虜を座らせて、頭を打ち抜いたあの写真が世界に公開されたことによってアメリカがベトナム戦争に「負けた」といわれるのは、事実だろう。この映画に描かれた星条旗は、戦争で疲弊したアメリカ経済を救うことに利用され、結果的には国民に「国債」を買うようにと訴える広告塔の役目を負わされ、関係した兵士達を翻弄することになってしまった。映像が持つ意味はそれほどに大きい。

硫黄島の山頂に星条旗を立てた兵士は6人、このあと生きて帰国した兵士は3人だったことからも、硫黄島での激戦のすさまじさがわかる。予想以上の日本軍の粘りに振り回されたアメリカ軍の困惑がうまく描写されている。圧倒的な物量と武器弾薬の差にもかかわらず、5日で陥落できると思われた島を35日も持ちこたえさせた日本軍の精神力にも驚かされる。この戦いでアメリカは初めて日本軍を上回る戦死傷者を出した。たった縦8キロ、横4キロの島を死守することが、日本本土への空爆を少しでも遅らせることになると信じて戦い、そして死んだ1万5千にものぼる若い兵士達の命による盾は、結局、広島と長崎の原爆を防ぐことは出来なかった。なんという無残な死なのだろうか。

パニックに陥ったとしか思えない大本営は、陸海空のすべてを制圧され、敗北が分りきった末期になっても、本土決戦などと息巻いて、気力だけの自滅的精神戦を愚かにも敢行し、狂気の特攻作戦へと国民を追い込んでいった。自己の命の選択もままならなかった兵士達の無念は、いくら歳月が経っても消えるものではない。補給もなく、硫黄のガスの出る洞窟を掘り進みながら、飲み水すらなくなっていく彼らの絶望の深さを思うと、手榴弾で自決した者たちを「無駄死に」だと責めることは出来ないだろう。

このような極限の人物像を見事に描き出した監督の力量は、今のアメリカが背負っている対イラクの混迷をも組み込んでいるように見えて、見事としか言いようがない。ブッシュ大統領がこの映画を嫌った意味がよく分る。彼は、今ここにあの「硫黄島の星条旗の写真」のように民衆の心を掴むインパクトのある「イラクでの星条旗写真」を心から欲しいと願っていることだろう。

指揮官栗林中将は最後の日、総攻撃を前に、東京の大本営へ訣別の電報を送った

「物量的優勢ヲモッテスル陸海空ヨリノ攻撃ニ対シ、克ク健闘ヲ続ケタルハ小職自ラ聊カ悦ビトスル所ナリ・・・然レドモ要地ヲ敵手ニ委ヌル外ナキニ至リシハ小職ノ誠ニ恐懼ニ堪エザル所ニシテ、幾重ニモオ詫ビ申シ上グ・・・。」

なんと悲痛な叫びなのだろうかと思った。そして、やはり「旧日本」は、負けてよかったのだと痛切に思った。あのような理不尽な軍部が、もし万一勝利していたならば、今の日本は確実に北朝鮮と同じになってなっていただろうと思うからである。

今の私たちに必要なことは、マスコミの断片的な画像や映像の報道に煽られることなく、冷静に事態を分析し、推測する力を、各々がしっかりと持つということなのだろう。

心にしみる二つの映画だった。

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