父からの宅配便

小さな箱が届いた。雪国の山奥の老いた父親からの包み、枝豆がチョコンと納まっている。「もっと美味しいものはもう少したってから出てくるから、又送ってやる」と電話の声は弾んでいた。

「男子、厨房へ入らず」の世代で、使用人が常に周りにいた時代のオトコであった父は、昨年、思いもかけず突然連れ合いに死なれると、全く家事にもなににも手も足も出ない有り様となった。仏壇の前に座り、一日の報告をするのだが、その声が時には震え、肉の落ちた肩が哀しみに耐え切れずにくっ、くっと揺れる日が続いた。

召集を受けて戦地に赴き、ゲリラ戦に神経をすり減らし、挙句には敵の急襲を受けて生死不明となり、「遺体無き英霊」となった時期もあったが、過酷な戦地で発病した病の高熱からも、かろうじて生還し、無蓋車が兵隊を満載して暴走、転覆、大多数が死亡した中国山岳地帯での事故の際も、幸運にも生き残った。

「三度も死ぬ思いをして生かしていただいたのだから、もう何があっても恐ろしくはない、、」と果敢に生きて来たのだったが、陰で支えてくれ、この上なく頼りにしていた連れ合いの急な死は、こたえた。あの人が・・と周りが目を見合わすほどの落ち込みように、あらためて、口には出せなかった母への愛と敬意の深さを子供達は驚きと共に納得させられた。


「そんなに仲の良い夫婦には見えなかったし、一緒にいる事もあまりなかったじゃないの」と子供達に揶揄された時、憤然として「だから悔いが残って、残って、仕方が無いのだ。もっと大切にしておけばよかったと思うから余計に辛いのだ、、」と言った。その語気の鋭さに、悲しみの深さが感じられて、みんなは一様に黙り込んでしまったものだった。

そして一年余りが経った。この頃は「父の日のプレゼント」に、スニーカーを所望したりして、犬を連れての散歩もこなすようになった。ようやく少しづつ元気を取り戻してきたように思える。昔々、県の決勝大会までいきながら、甲子園出場を逃した口惜しさを、いまだ忘れずにいる野球大好き人間だから、その根性が衰えた体力に発破をかけ、悲しみに打ち勝ち、前進する気力を燃え立たせる種火となって残っていたのだろう。

「生まれて始めて、宅配便を出しに、自転車をこいで行って来たゾ!」


父の小さな包みは、開けると玉手箱のように、封じ込められていた様々な想いが一度に立ちのぼるような気がした。父から贈られたマユミの木は、今年の猛暑にも負けずに紅葉し、ピンクの実を沢山つけた(2003.10.21.)。  

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