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老人の同窓会 本文へジャンプ
今にも雨が落ちてきそうな5月も末に近い蒸し暑い日でした。京都の鴨川は、曇った空と同じ色をして細く流れ、橋の上の喧噪を吸い込んでか、淀んで疲れているように見えました。卒業後50年をこえた同窓会にはふさわしい環境だと言えば、年寄りの僻みだと言われるのでしょうか。

もう今年で会も終わりかもしれないなどという脅しめいた通告のせいもあって、前年よりは出席人数は増えているようでした。会場は四条大橋のたもとにある老舗○○菜館、クラシックというよりは古ぼけた館で、日本最古のエレベーターも今更自慢出来るようなものでもなく、50年前の隆盛の頃の面影はもうありません。でも、古都を象徴するような建物は、4年間をここで過ごした75才前後の老人が、昔を懐かしんで集うにはお似合いの場所であるのかもしれません。関東方面からも数人、88才を越えたかっての教授先生もお二人が出席されて、会は盛会でした。与えられた1分間の近況報告時間で話し終えるほど平穏な人などありません。みんな訴えたい不調や不具合をもっていますから、大幅に話は延長してしまいます。老練な幹事はそれを計算して「1分」としたのでしょう(笑)。

出席者のなかに足を引きずる人がありました。学生時代親しくしていた友人の一人です。定年を目前にして倒れ、リハビリ10年を越えたということでしたが、あまり芳しい効果は得られていない印象です。かっての闊達なイメージはすっかりなくなっていましたが、繊細でシャイなくせに辛辣な皮肉屋で、斜めに世の中を見る独特の感性は健在なようでした。好きな音楽界での仕事だったのですが、過酷な営業マンの生活が続き、昼と夜がひっくり返ったような日々を十数年も過ごしたとのことでしたから、病気の元はそこら辺にあったのだと思います。後遺症のリハビリで心が折れそうになった時には、自分を叱咤するために、五箇条のご誓文のごときものを作り、踏ん張っているとのことでした。それは、

  (1)「生きること」を「やめない」
  (2)「人を好きになること」を「やめない」
  (3)「感謝すること」を「やめない」
  (4)「夢見ること」を「やめない」
  (5)「諦めないこと」を「やめない」

悲壮感と悔しさいっぱいの病への抵抗、「やめない」五箇条です。

察するにあまりあるものがありました。他の人達も何らかの不調を抱え、家族の介護に疲れ、連れ合いのどちらかを亡くしたりしていて、元気そうに見える顔にもペーソスのスパイスをまぶした薄グレーのシミが潜んでいるように見えました。

若い頃は誰しも自分が半身不随になるなどということを想像すらしません。現実に倒れるまでそのような想定はしないものです。それが平均寿命が近くなり、なにがしかの故障を身に感じるようになった時に、はじめて老いと死を意識して慌てます、そして現実を受け入れるのに手間取り、じたばたしている内に、「死ぬ病」と嫌でも向かい合うようになります。そして仕方なく諦観するのが普通です。

「おまけの人生を謳歌」などと浮かれたことを言っていてはいけないような気がしてきました。謳歌とまでは言わずとも、その時が来るまでは、自分に出来ることをして、願わくばそれが誰かのためになり、そして喜んでもらえるような日々を過ごしたい、、しかし、そんなことを望んだら、「望みすぎ」だと天に叱られるにちがいない、そう思ってしまったのです。

その夜泊まったのは洛西の瀟洒なホテルでした。ホテルの部屋の白い天井のスクリーンには、半世紀前の学生時代のあれこれが、次々とコマ送りで映写されて、過ぎた日をしきりに思い出させてくれました。老人の同窓会は、若い頃にそれぞれがこの街で展開した束の間の事柄を「胸に棘刺す」思いと共に、残像として懐かしむ会なのでしょう。(2012.6.01.)


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