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中欧三国への旅    
(チェコ・オーストリア・ハンガリー)2009.10.4.~2009.10.13. 

プラハ ザルツブルグ ウイーン ブダペスト




ヘルシンキの虹
プラハへ乗り継ぎのため降り立ったヘルシンキ空港で遭遇した虹です。


  プラハ(チェコ)

6世紀後半にスラヴ民族によりヴルタヴァ川河畔に集落が形成されたのが始まりとされています。9世紀後半にはプラハ城、10世紀頃にヴィシェフラト城が建てられ、この二つの城に挟まれた土地に、この街が出来上がっていったということでした。

現在、約120万の人口があり、1993年チェコとスロバキアに分離され、プラハはチェコの首都となりました。秋が短くすぐに冬になるというこの地方ですが、冬の季節を迎える前のほんのわずかな秋の間に訪れることができたのは幸いでした。



喧噪ということから遠い、静かな街です




聖ヴィート大聖堂のステンドグラスは素晴らしい色です











遠くに旧市街の中心的な教会や建物が見えます


右の黒い長四角の塔がカレル橋、遙か遠くにプラハ城の尖塔が見えます。


カレル橋西方の塔


カレル橋の上の楽士達(一曲いかが?)


旧市庁舎と時計
旧市庁舎の大天文時計 
(多くの観光客が時を刻むときに現れる窓の人形を見上げていました)



石畳の黄金の小径 (昔ながらの民族雑貨を売っています) 


夜のプラハ城です(今も市民の心のよりどころなのだそうです)


レストランからの帰り道、尖塔だけ見える位置から


秋色のチェスキークロムロフ
(チェスキークロムロフはオーストリアとの国境に近い美しい町です)



丘の上に立つチェスキークロムロフ城
ゴシック、ルネッサンス、バロックの様式が混じった複合形式の城です









中世の雰囲気を持ち、周囲の景色も素晴らしい町でした

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ザルツは塩、ブルグは砦、名前そのまま、「塩」の貿易で古くから栄えてきた街であり、人口は約15万人、アルプスの山々とザルツァッハ川の流れが見事に調和し、美しい街として知られています。中でもこのハルシュタットは世界最高といわれる調和の取れた風景の美しさで有名です。

ザルツブルグは、モーツアルトが若い頃に住んでいたという家もあり、多くの観光客を引きつけています。
旧市街と歴史的建造物は、1996年、ユネスコ世界遺産に市街地歴史地区として登録されました。




あまりにも有名なハルシュタットの美しい景観です


湖面に町並みが映り、一番素晴らしいといわれるポイントです


大型店、などという物がない所ですから、
小さなお店がそれぞれに工夫したデスプレイで品物を売っています



レストランの主人がお昼のメニューを書き出していました。
きっと美味しいのでしょうね、、


ザンクトカンマーグート付近でしょうか、帰り道のバスの窓から見た光景です
(ビデオからの取り込み)


ミラベル庭園
(映画、サウンド・オブ・ミュージックの舞台としても知られています)





ホーエンザルツブルグ城


ホーエンザルツブルグ城


モーツアルトの生家
(大勢の人が見物に来ていました)



野菜と果物がイッパイ、思わず苺の小箱を買ってしまいました


このお店ではアクセサリーを1個買いました


夕方、お店にもそろそろ灯が点り始めます


夜のホーエンザルツブルグ城は幻想的でした


 ウイーン(オーストリア)
オーストリアの首都で、人口は約169万人、世界有数の「芸術と音楽の街」です。中欧ヨーロッパを支配したハプスブルグ家の中心であり、多くの芸術家を輩出してきました。マリアテレジア女帝時代に栄えた市街は、フランツ・ヨーゼフ一世の治下で整備されました。

シュテファン寺院や旧市街をふくむ歴史地区は、「ウイーン歴史地区」として2001年、ユネスコ世界遺産に登録されました



王宮敷地から見たウイーン市庁舎


夕方、逆光のシェーンブルン宮殿 
(外側はマリアテレジアイエローと呼ばれる黄色、内部は絢爛豪華です



ハプスブルグ家紋章 双頭の鷲(ビデオから)



シシィ博物館にはマリアテレジア関連の品物が展示されています
(豪華な衣装や調度品でしたが、撮影は禁止でした。)



ヨハン・シュトラウスの像 (市立公園) 
撮影の人がいっぱいで、なかなかシャッターチャンスがありません



有名なカフェ・モーツアルト
(開店に間があるのか、まだお客様は入っていませんでした)




シュテファン大聖堂にある三位一体の像
モーツアルトの結婚式とお葬式が行われたのだそうです


プラーター公園の最古の大観覧車
(貸し切りにしてお見合いやデートに使われているそうです)


映画「第三の男」のラストシーンが思い出される並木道


ウイーン国立歌劇場、(右手が正面です)

小澤征爾氏指揮のチャイコフスキー「エフゲニー・オネーギン」が今夜の出し物、
客席数2200だそうです



   ブダペスト(ハンガリー)

ハンガリー第一の都市であり、市域だけで約180万の人口を抱えます。ドナウ川の両岸に広がった街で、右岸(西側)のブダとオーブダ、左岸(東側)ペストの3地区で成り立っています。1873年に合併されてブダペスト市が形成され、この両地区を結ぶ代表的な橋が、セーチェニ鎖橋という優美な橋です。

現在は観光に力を入れ、市内は観光客であふれています。夜の鎖橋の美しさはたとえようもないほどです。



国会議事堂周辺の歴史地区


ヨーロッパ最大といわれる国会議事堂 (バロックとゴシックの混じった華麗な建築です)


国会議事堂内部
(なかなか入れないのだそうですが、朝早く見学しました)



金の葉巻置き台 
(かつて議会の休憩の時に葉巻を吸い、ここへ残りを置いて又会議場へ入ったのだそうです)



王宮 
(ブダ側の王宮の丘にあります。マリアテレジアによってルネッサンス様式に改装されましたが、
後に火災や戦争で被害を受けたため、現在の王宮は第二次大戦後に建てられた物です)


王宮側からみたドナウにかかる鎖橋、秀麗な美しい風景です


パンノンハルマベネディクト修道院
現在でも修道僧が生活しています)
図書館には沢山の蔵書があり、映画「薔薇の名前」を思い出してしまいました



修道院からの帰り道は、ヤーノシュ山で運転手以外は全て子供達が運営しているという
ハンガリー子供鉄道に乗りました



近代的な設備と内装のソフィテル・チェーンブリッジ五つ星ホルに到着です 
(でも、ウオッシュレットはありませんでした)



漁夫の砦
(王宮を囲む城壁の一部で、対岸のペスト地区を見渡すことが出来ます)






12世紀以降のハンガリーの王が代々引き継いできたもので、
建国の父イシュトヴァーン1世にちなむものです。
この王冠は
ハンガリー、クロアチア、リエカ周辺からの持ち出しが禁じられているとのことです



たそがれ時の鎖橋 (夜になるほんの少し前が素晴らしいです)


ナイトクルーズ船から見た国会議事堂付近です(ピンクのドームが素敵です)


夜の王宮と鎖橋は見事な眺めです


下から見上げた鎖橋 
(恋人同士のシルエットもおまけに入れました、、笑)



旅の最後の夜、丘の上から見下ろした王宮と鎖橋の夜景です
 
旧東側体制から脱却した国々は、どのような生活環境なのかという興味と、中欧世界遺産を自分の目で見てみたいという単純な目的で今回の旅を計画しました。短い体験でしたが、生活の利便性はやはり日本の方が高いと思われました。しかし、自国を思う心の強さをどの国でも感じました。日本ではもはや失われた精神です。

長い歴史があり、様々な侵略を受け続けてきた中欧の国民は、我慢強く、愛国心に富み、しっかりと働いていて、浮ついた所が見えませんでした。がっしりとした体型に似つかわしくない質素な食事は、量が多いことで納得でした。各国独特の郷土料理も味わってみましたが、ハンガリーの、シチューに似たグヤーシュなどは、少し日本的な手を加えればもっと美味しくいただけるかも知れないと思わされました。ビールはどこで頂いても雑味がなく、すっきりした味で美味しく、ブラボー!でした。

パプリカなどの香辛料も豊富に採れ、農業に活気があり、フォアグラは今やフランスへ輸出しているのだそうです。食材も多く、毎日を楽しんで生活できるのではないかと思いました。中欧の国々は、本来の人間が持っている力の大きさを、いまさらに認識させてくれました。

質素な修道院の庭にも宿泊施設や会議場が建設途中でした。歴史的名所とされるところでは観光開発も盛んでした。いずれは日本のように物質的に豊かで便利な国になっていくのでしょうが、このあたりでとどまっていて欲しいという勝手な願望も感じました。かっての支配者達が残した素晴らしい遺産を、後世の人々のために保ち続けてほしいと願っています。
2009.10.23.

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