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バンクーバー日記
バンクーバー体当たり日記

Staying in Vancouver British Colombia,Canada.

(July 10/ 2000〜Aug 8/ 2000 )




 カナダ国際大学

(2420 Dollarton highway North Vancouver. B.C. V7H2Y1)


1ヶ月間のカナダバンクーバーでのシニアロングスティ募集の記事が目に入った。

行ってみたいけど、、出来るやろか?、、、この記事を見つけたのも何かの縁、やってみようか!
カナダ国際大学のキャンパスと寮を使い、様々な人々が日常のしがらみから離れ、学生生活をする。しかもシニアと銘打ってある以上、年齢に不足はない、一体どんなことになるのやら、正直、気がかりは山ほどあった。

長年放り出したままの英語、年齢とともに加速度を増している記憶力の衰え、体力への不安、頑固といわれる年齢層の人々との協調、などなど。出発の頃には、不安はほとんど恐怖に近いものになっていた。

どうしよう?!止めようか、、、しかし、生来の無鉄砲と怖さ知らずの野次馬根性の方がまさった。国際化もへったくれもあらへん!要するに勇気があるかどうかやないの!!

この思いが60才を過ぎて体験したカナダCIC学生寮での一ヶ月の始まりを告げるゴングとなった。




目次

 しょっぱなのトラブル  滑り出しは順調
 盗まれた!  ホットメール
 ミンターガーデン行き  ホームビジット
 タレントショウ?!  派閥?!
 花火見物  もうおしまい、、
 それぞれのロングスティ  おまけ(隠れた見所)
 一つ釜の飯の仲間達 .




しょっぱなのトラブル

関空発のノースウエスト機は満席、初めて会った関西方面隊?!の面々はお互い見知らぬ同士、自分より年上の人、年下と思われる人、夫々に緊張したまんまアメリカのシアトルに到着した。関西隊はここで乗り継ぎ、バンクーバーを目指す。長旅に疲れ、時間不明の状態で乗り継ぎ口にたどり着いたが、一向に次の飛行機への搭乗の案内がない・・・

みまわしたところには30年ほど前に日本で製作されたYS11型機に良く似た小型機がチラホラ、Alaska航空とHorizon航空の文字が読める、機体はかなり小さく、しかも古い。大阪からついてきた添乗嬢はあちらこちらへウロウロしてさっぱり要領を得ない。何かありそうだ・・・

「皆様ー!どうしても一人だけ飛行機に乗れません!(またダブルブッキングや!)私が残って、次の便で参りますから、皆様はこの飛行機で先に行ってクダサーイ!着きましたら、ポーターが来て、荷物を積みますから、各自荷物を確認して、そろっていましたらオッケー!レッツゴウ!と言ってクダサーイ!それでバンクーバー市内へ行くようになっていまーす!」・・・ナヌ?!

オッケー!レッツゴウ!だと、、?何を言うてますねん!もしバンクーバーで荷物にトラブルでもあったらどうしますのん?それはアカンでしょう、、すると白いテンガロンハットをかぶったおっちゃん(ゴメン!)が

「私が残ります!多少の英語の心得もあります!」・・・ヒャー!カッコイイ!

関空からの荷物の確認も、まだしていないし、、、暫くして、やっと飛行機から荷物が降りてきた。背の高いおじさんの新品のサムソナイトの鞄が無残に凹んでいる、添乗嬢はまたまた仕事が増えて、クレームの書類を作るのにかかりっきりとなってしまった。だから言わないこっちゃない、オッケー!レッツゴウ!なんてわけにはいかんのですってば!

結局、バンクーバー空港には着陸出来たものの、後便のテンガロンハットさんの到着を待って、待って、もう午後も遅くになってから、やっとバンクーバー空港からCICキャンパスへ向かうことになった。

大学では皆様のために「うどん」をご用意しておりますとの案内に、昼食抜きの関西隊は少し機嫌を直して、それでもラッシュがあるという市内を抜けて、ノースバンクーバーにあるCICに夕刻になってからヨレヨレと到着した。

でも、楽しみにしていた「うどん」はもう夕食の時間にずれ込んだためキャンセル!となってしまっていた。ヤレヤレ、、、おなかすいたよー!

自室としてあてがわれた部屋に荷物を運び入れ、とにもかくにも集合場所のカフェテリアに降りていく、耳慣れない関東弁がキャピキャピと飛び込んできた。

「関西から今ごろ到着シチャッタノ?どうシチャッタノ?私達はもうシャワーしチャッタワー!」

チャッタ、チャッタってもう、、、空腹の関西隊はむーっとして、着いたまま汚れたまま、の格好で席についた。

しょっぱなから遅れをとってしもうたやんか!が、正直な感想で、疲れはてた頭には何か説明されても何にも入ってこず、しまいに頭痛までしてくる有様となって第一日目は暮れていった
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滑り出しは順調?!


一応入学式なるものがノースバンクーバー市長出席のもとで、カナダ、日本両国国歌斉唱で厳かに開会された。「君が代」なんて何年ぶりに歌ったのかな。

入学式が済むと、クラス編成とオリエンテーション、簡単な市内案内。大学のスタッフはメインのクラス担任とそれを補佐する現地学生ボランティアと事務スタッフで構成されていて、万全の態勢がとられている。

よろず相談の窓口としてカナダ国籍を持った日本人、IKUKO HARAGUTI 先生が専任。この先生の笑顔と優しい口調は一朝一夕のものではないと感じた。温かい人柄がにじみ出ている日本語。

食事は広い学生食堂、カフェテリアで3食とも用意されている。5、6人ののコックさんが忙しそうに働いている。高年齢を意識した献立は、厨房の苦労がしのばれるもので、レベルも高く、毎日メニューが違うし、果物、ヨーグルト、コーヒー、紅茶、日本茶、クッキーなどは食べ放題。

この日のオリエンテーションでは、シニア受け入れにあたって、大学側が全てに非常な気遣いをしていることが説明の端々にも感じられた。問題になりやすいシャワ室ーや洗面室も毎日清掃され、清潔で、週一回のシーツ交換や掃除もきちんと行われる。

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CICスタッフ、 お世話係CAの若者達 (JTB撮影)


学生寮は東西に長く建てられており、北側はまったく太陽が見えず薄暗い、昼間から電灯をつけないといけないので、気が滅入ってくる。二人部屋を一人で使わせてくれているが、ここで二人は、若者でも少々キツイかな、と思った。窓の外は裏山が迫り、熊!も時には出ると言う・・

廊下の端っこにシャワー室、洗面トイレ室、洗濯室が固まってあるが、さいわい中ほどの部屋だったのであまり騒音は無さそう、と一安心した。各階ラウンジにはテレビや冷蔵庫、飲み物販売機などが揃い、湯沸器もあり、オヤツもたっぷり用意されている。


カフェテリアの隅にはビリヤード台とピンポン台が一台ずつ設置されていて、これがストレス解消に大いに役立った。なにしろ54人のシニアの集団、午前中の授業以外はすべて日本人社会、、、ストレスはやっぱりついてまわる。夕食後に1時間ほどの玉突きのカッキーンという音は、昼間の失敗で落ち込んだ気分を晴らすには絶好だった。チョコット手ほどきを受けただけのへたくそなのに、誰もいないカフェテリアでのビリヤードはつかの間のハスラー気分をプレゼントしてくれた。

勉強なんて、もう3年前のカリフォルニアカレッジでしごかれて大変だったのと、たった一ヶ月では何ほどのことも出来まいと考えて、今回は「異文化体験クラス」を希望しておいた、出来れば多くのカナダ人と文化に接したかったからだ。このクラスに集まった人達は職種も色々、実に個性的で面白い人が多く、和やかなクラスだった。

担任のラーラ先生はまるっきり日本語を話さない、助手についたクリスチーヌも同じ、いきなりの授業開始に15人は戸惑いながら顔を見合わせた。

先生の言っていることを大半が聞き取れない、したがって授業は一向に進んでいかない。これではアカン!と直感した。ラーラはパントマイムよろしくいろいろなゼスチュア-をまじえて、気の毒なくらいに動き回って話しをするが、みんなは「フンフン」と頷いているけど、シーンとしてさっぱり乗っていかない。

でしゃばりお婆の本性がむくっと起き上がった。時間がもったいないやん!「みんな自分のことをこの紙に書いて提出して、それを先生がかき混ぜて配るから、貰った紙を読んで、どの人かを当てっこするらしいです!始めましょう!」・・・マタ、でしゃばりオババをやってしまったと思ったがもう遅かった。

ようやく書き終えた紙を集めて先生はそれをカードを切るように混ぜ合わせ、また配った。来た紙に書いてあったのは「I am a housewife 」、、、みんな主婦なのはわかってますやん、、、ピンクのブラウスを着てるとか書かないと、誰だか当てられへんやないですか!?
M さんは賢い。小柄な彼女は「I am short 」と書き込んだ!お見事!

そんなある朝、切れた電球を補充してもらうため事務所にいき、早めに教室に入った。程なくラーラ先生がご入室、、「ハーイ!グモーニン!ヒサコ」そして、、先生は「今日はこの話をするからtranslateしてね!」とごそごそと印刷物を取り出した。読んでみると、簡単な童話らしい、「OK、 Certainly!マダム」、、かくして、でしゃばりお婆は、先生の話す言葉の中のほんの数語しか聞き取れないのに、ラーラ専属のインチキ通訳となってしまった。
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盗まれた!


最初の週末が来た、実はこの週末にアメリカ在住の息子が休暇をとってカナダへ来る事になっていた。彼は昼頃になって赤いレンタカーでのっそりと現れた。1年半も会っていなかった息子は黒いサングラスをして、少し恥ずかしそうに笑った。


カメラ好きの息子は一年ぶりに休暇をとって、ロッキーの写真を撮るべく各種フィルターから望遠レンズ、露出計、三脚、と本格装備で重いカメラバッグを下げていた。

ダウンタウンにホテルを取って、久しぶりに湯船につかろうと、いさんで外泊届けを出して学校を出た。買いこんできた新しいデジタルビデオの出番だ、今回の旅はメモリースティックを使って画像取り込みの出来るPC100を用意してきた。早速手始めにキャピラノ渓谷のサスペンションブリッジへとウキウキと出かけた。国際免許もちゃんと用意してきたし・・・

「カナダってのんびりしていて、人も優しいし良い国だね」

「英語もアメリカと違ってゆっくりで、わかり易いしね」

「危ないってところも、あんまり無いしね」

なんて言いながら夜はバンクーバーで一番と評価されている日本料理店へ行って、たらふく食べて、大満足でホテルに戻った。

翌日も晴れて上々の天気、観光とスキーリゾートで名高いウイスラー山周辺の湖でカヤックを漕いだり、滝の写真を撮ったり、昼ご飯のイタメシも美味しく頂き、ビデオの調子もいいし、気分良くダウンタウンへ戻った。今夜は11時のシャワー時間リミットまでに戻ればいいし、と夕食を摂るために駐車場に車を入れた。

車内には荷物を残したらヤバイと、万一を警戒して、人通りの無いところでデジタルビデオとコンパクトカメラと宿泊用の日用品一式と、それに本式に望遠レンズやフィルターを用意してきた息子の重いカメラバッグとをトランクに移しておいた。

バンクーバー随一の繁華街ロブソンストリートは日没が遅いため遅くまで賑わっている、特に夏の間は日本人観光客でごった返している所だ。

風変わりな物が食べたいと言う息子に付き合って今夜はタイ料理、ニンニクの臭いを気にしながら、エキゾチックな味を堪能して車に戻った。

駐車場に戻ると、一つおいた隣の真っ赤なドイツ車 BMW の窓がこなごなに割られて、持ち主らしい中国系の若者が携帯電話に喚きちらしている!こちらの車は何の異常も見当たらない、「こっちでなくてよかった!!」と車は一路ノースバンクーバーへ戻り、10時半ころに寮についた、シャワーにも間に合ったし、明日から息子はカナディアンロッキーへ写真を撮りに行く、、、

「有難う!来週帰ってきたら一報してね」

、、、あれっ!私のキャリーバッグ、どこにいれたっけ?、、、あれっ!?カメラのバッグは??、、、

車のトランクにはボロい息子のバッグと三脚だけがゴロンと転がっていて、カメラバッグ二つに私のキャリーバッグは煙の如く消え失せていた!


「やられた!」

「クッソー!!シット!!」   と息子が唸った。

「アンチークの露出計、、お父さんのカタミを、友達が僕にくれたんだ、、」

「全部持っていかれたなんて!チキショー!!ぬかった!」

「明日、カメラも無しで、ロッキーへ行くなんて、、、俺、、」

「私も困る!化粧品も洗面道具も全部ないもん、、、」

「なんぼオンボロ婆でも、スッピンで授業に出る勇気なんてアラヘン!」

「これからダウンタウンへ戻ろう!セーフウエイか終夜スーパーがある筈だから」 

と、息子は不機嫌ながらも車で走り回ってくれるが、なかなかお店は見つからない、時間ばかりが音をたてるように過ぎて行く。神様!どうかお店を見つけさせて下さい!、、、心の中で一生懸命念じた。

神様が同情してくれたのか、やっとスーパーの光が目に入ってきた。助かった!もう手当たり次第、大急ぎで化粧品やドライヤーや洗面道具を買い物篭に放り込む。顔のんか、頭のんかを、ゆっくり見定める心の余裕もない。

時間は回って午前1時を過ぎてしまった。大急ぎでとって返す、真夜中の1時45分に寮に戻った。鍵をそーっと開けて、忍び込むように部屋へ滑り込んだ。寮の二階はシーンと静まりかえり、シャワーなんてとんでもない、、夜があけたら行こう、、、ベッドへ入ったが眠れるものではない、チクショー!外国で物を盗られたことなんか無いのが自慢だったのに・・・

外国製品の化粧品は何だかすっきりとしないけど、ツラノカワの厚いお婆のこと、アレルギーも起こさずに使えたのはケッコウなことだった。それにしても息子はあれからホテルを探して泊まったのだろうか、心配になったがどうしようも無い。
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  ホットメール


旅に出たらパソコンの使用は出来ないものと諦めていたが、ここは一応大学、パソコン室には20台ほどのパソコンが終夜インターネットも繋ぎ放題だった。その上世界中何処からでもメールのやり取りができるホットメールアドレスを取得させてくれると言う、願っても無いことと、夜のパソコン講習会に出席した。

半数くらいの人がメールをしたことがあると言う、さすが!と驚く、高齢になるほどパソコンをする人は少なくなるのが普通だと思っていたけれど、ここへ来ている人たちの半数がこの講習会に参加したのには感心した。初心者だった人がここで初めてメール送信に成功して、帰る頃にはかなり上達されたのには驚くと同時に、パソコンは「最初にメールありき」だとつくづく感じ入った。

女性講師のわかり易く丁寧な説明で早速Hot Mailアドレスを取得、試しに、こんなこともあろうかと用意してきたパソコンの師匠様たるDr BOW のアドレスに送信してみた。すると間髪をいれず返信が戻って来た!

「ホットメール取得とはスゴイですね!」

i-mode 携帯電話でメールをチェックされるからあたりまえとはいえ、サッスガーお師匠様!素早いレスポンス!おまけに試しに打ちこんでみた自分のHPのアドレスに反応して、我が家のHPが表示出来たのには驚くというより感激してしまった。世界は狭い!インターネットの威力を実感した一瞬だった。

これでメールは出来るし、HPの掲示板の書き込みも出来る!楽しみが増えた気分で早速、盗難事件を書き込んだ。翌日のわがメールボックスには、ちゃんと同情の書き込みが、メール友達やDrから入っていた!ウワー!やった!

留守番の連れ合いや娘夫婦にも時間差を考えずにメールを送ることが出来るし、絵葉書なんぞは書く気にもならなくなった。落ち込まないお婆は、これですっかりビデオカメラ盗難事件から立ち直った。(保険屋へ電話したし、警察のファイル番号ももらったし、何とかなるやろ、、)

当初は多かったパソコン室への来訪者も日を追って少なくなっていき、ニュースを読むための人やメールを打つ常連の顔ぶれもきまってきて、許可時間内はいつでも使える状態になっていた。

初心者の中で何人かの熱心な人は、パソコンにくらいついて頑張ってはるが、なにせ、なれないパソコンのこと、フリーズしたり、カーソルが動かなくなったり、日本語変換が出来なくなったりの初歩的な不具合に悲鳴あげたり、ブツブツと文句を言ったりで、パソコンルームはけっこう騒々しい。

隣の席で困ってはるのを、またまた見過ごしに出来ず、でしゃばりお婆はちょっかいを出してしまう。


「どないしはったん?」

「ここで止まって下へ行かないんですよー!」

「カチカチカチ、、ハイこれでOK」

「あらー!魔法みたい、、」

(JTB撮影)


なんて、、、自分が3年前に徹夜して唸ったことが、スイスイと解決出来たりして、、、あちらこちらから修復?!のお声が、かかりだした。イイ気なもんです。帰国の前夜、「パソコン、お世話様でしたね」と、思いがけず、S さんが記念コインを、お礼にとプレゼントして下さった。アリガトウ!S さん。

お役に立ててよかった!これもパソコンの師匠様Dr BOW のお陰!デス。
2週目の休みには無事にロッキーから帰った息子と再会し、急遽購入したというコンパクトカメラで撮った写真も貰うことが出来た。安いホテルを泊まり継ぎながら休暇を楽しんだ彼は、レンタカー会社でフルカヴァーした保険で、多少は盗られたカメラ代が戻るかもしれない、と少し機嫌を直して、アメリカへ帰っていった。

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 ミンターガーデン行き


休みがまだ残っている、庭園美で名高いミンターガーデンへ行こうと思って友達に話すと「行こう!行こう!」になった、グレイハウンドのバスは出発時間がうまく合わないので、結局5人でタクシーを雇い片道2時間近い時間をかけて出かけることになった。

CICの教頭とも言うべきIKUKO先生は、それはそれはお優しい方で、(日本でも最近は、この先生のような正確な日本語を話せる人は、少なくなった)いろいろ相談に乗って下さった上、タクシー会社に交渉して往復で260カナダドル(約20000円5人で割ると4000円ほど)にしてくださった。感謝!感激!

翌朝9時の約束に新品の小型車が玄関に到着した。これで5人乗れるのかなー?運ちゃんは4人と聞いたと文句を言う、でも5人と言ったはず、、と押し問答になった。運ちゃんは会社と携帯で話していたが、埒があかないとみるや、自分の携帯電話をこともあろうに私に押し付けた。うっかりと受け取ってしまって慌てた、なんでお婆に渡すのん・・・

電話からはなにやら配車係りのおばさんが喚いている声が聞こえてきた。

「たしかに5人って言ったけど、、」・・・

「聞いたのは4人よ!」  ここで馬鹿力が出た。

「うちの教頭先生から連絡が行ったはずよ!5人だって!」・・・

教頭先生と聞いた途端彼女は黙った。車を代えるから30分待ってくれないか、と言う。「オーケーよ!」、しばらく待つと、かなり古いキャデラックがお出迎えに現れた。運ちゃんはさっきとちがいアラブ系の顔をしたよさそうなおっちゃんだった。

それにしてもこのボロ頭の引き出しからよくもまあ deputy schoolmaster なる古い言葉がでてきたことよ、と思わずニヤリとしてしまった。

車は快適に一号線をとばし、昼前にミンターガーデンに着いた。4時の迎えを約束して庭園にはいった、見事に手入れされた美しい庭にしばし疲れをやすめる。昼ご飯も美味しくいただいて、おしゃべりもしたい放題、のんびりとしていると、なんだか正装をした紳士が集まってくる様子、どうやら結婚式が丘の上の教会前であるらしい、これは絶好のチャンス!と教会の前に陣取り、生の儀式にしばしみとれた。

日本と違い、堅苦しくなく、そのくせ格調高く素敵な結婚式だった。同行の友人達も一斉にカメラのシャターを切り、お祝いの声をかけている。下に下りていくと、またまた結婚式、今日はお日柄がいいのかしらね、こんどのお二人はお互い3度目?!かなとも思えるほどのトシと落ち着きで、カメラに向かってまるでハリウッドスターのようにポーズをとっていた。スコッチダンスのおまけまでついて、堪能しているうちに約束の時間になった。かの運ちゃんのハミさんはきっちりと時間どおりにあらわれた。
帰りの車の中はハミさんのイランからの脱出話から、彼がイランでは学校の教師だったらしいことがわかり、俄然彼は私達の英語の先生になってやると張り切ってしゃべりだした。(s)が抜けただの、もう一回言ってみろだの、面白おかしい話に笑いこけながら時間を忘れ、あっという間に校門に帰り着いた。約束のお金を払うと数えようとしない、

「数えてみてね」

「いや、、、信用してるから、、、」

「それはアカン、私達は日本人で、カナダのお金になれてへん、だから数えて」

それなら、、、と彼はお札をヒイ、フウ、ミイ、と数えて、「ん??」と数えなおす、又「ん??」と首をかしげている。

「あのね!260ドルが約束の分、あと30ドルはあなたへのチップ、計290ドル、OK?」

どうやら300ドルくれるものと勘違いしたらしい、でも教頭先生は「チップは30ドルでいいです」って言うてはったし、、、ごめんね!ハミさん!
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 ホームビジット


午後の活動の一環として、ホームビジットが行われる。「カナディアンベーキング」の個所に引かれて申し込んだ。

CICスタッフのレスリー引率のもと、3人で出かけた。インド系カナダ人のコーキー小母さんの家、白くてキレイに整頓された部屋でコーキーはソファにうずまって、目だけをギョロギョロさせて、ゆっくりとした英語でしゃべっている、インドで生まれ、アフリカで育ち、カナダへ移住して、ホームステイの学生を泊まらせて面倒を見ているという、しかし彼女は何一つ自分で動かそうとはしない、身体の調子が悪く、昨日までは熱もあったし、病院へ行っていたのだそうだ。エライ所にあたってしまった・・・

それでは、、と始めたパン作りも5分ほどで出来る超簡単なもの、これなら目をつぶっていても出来そう、喉も渇いたけれど何にも飲み物が出ない、レスリーは勝手に冷蔵庫からジュースを出して、みんなにふるまってもいいか?とコーキーに聞いている。帰りたくなってきたが、同行の友人でトールペイントのインストラクターである G さんが何か絵を描いてあげようとペイントの道具を持ってきていた。そこで彼女のお絵描きの手伝いをすることになった。すると、コーキー小母さんの目の色が変わった。

彼女も手仕事が自慢で、いろいろな編物や刺繍や縫い物を見せてくれていたが、それよりGさんのペイントの方が魅力的だったから、さあ大変!門扉につけるボードを作ってくれ、との大作の注文である、何処からとも無く旦那さんと上の息子も現れてギャラリー席が?!騒々しくなった。ようやく仕上がった。サテっと腰を浮かせると「待て待て」とコーキー小母さん、今度は紙に6個の花を描いて!と言う、G さんは仕舞いかけた絵筆をまた持ち直す。もう時間が過ぎて、タクシーが迎えにきているのに・・・

引率のレスリーはイライラして出たり入ったりしているが、コーキー小母さんはすましたもので、「運転手もここへ呼んできな!」とGさんのペイントに夢中だ。欲張りな小母さんやなぁ、、もう、、、

やっと、解放され、おいとまをして外に出ると、女性の運転手はタバコを吸いながらイライラが極限の感じだった。レスリーは悪がって、いろいろ話し掛けるが、帰ってくる返事はフンフンと気の無いことはなはだしい。

学校に帰り着くとレスリーはもうカンカンだった。日ごろの優しい笑顔とはまるで別人のように機関銃の如く私に向かってにしゃべりだした。早口の上、怒っているから、半分も聞き取れない。しかし「あのタクシーの運ちゃんは二度と使わないように学校に言う!そしてコーキーもホームビジットの対象家庭として一考して貰う!」、、と言っているらしいことは解ったので、懸命に「ほんとにそうね!」とか「そのトウリ」とか「私もそう思う」とかを挟み込んで、彼女の怒りが静まることをひたすら願った。

あまり物事に波風をたてず、いい加減にしてしまう日本人と違い、体当たりで自分の怒りをぶっつけてくる迫力に、いささかたじろいだが、このあたりが日本の女性とは違う所なんだと妙に納得してしまった。

ついでに言っとくけどねレスリー、あのペイントの門飾りはGさんんのプレゼントだけれど、彼女はプロなんやからね、余分の仕事までさせようなんて、少し欲張り過ぎやない?コーキーは、、、
「そうなのよ!!」

「日本人は頼まれたらイヤと言えずに、なんでもしてアゲルということがコーキーには解ってないの!!」

またまたレスリーは大きな身体を揺らしながら怒り出した、、、もう、いいねんよ、レスリーちゃん!

他の家庭を訪れた友人達は、貰って来たという手作りのお土産を披露してご機嫌だった。あーあ!
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 タレントショウ?!

第2週が過ぎると何となく勝手もわかり、お友達も出来る、気の合う人で集まったりしているうちにどうやら今回の参加者にはタレントが多いらしいという評判が聞こえてきた。何処からとも無く、タレントショウをやったら、、という声が出て、学校も大乗り気になって、なんでも必要な物は援護すると書いた紙切れまで回ってきた。

カフェテラスを広く使い、舞台にして何かやるらしい、とんとタレントに縁がないので、目立たないようにそれとなく逃げを打っていた。

教室で隣に座っている元気のいいM さんは河内音頭(盆ダンス)をやると大張り切りで、出場者を募集している。なんでも河内音頭を通して歌える小父さんがいたはるらしい。ワタシ?!ダメダメ!盆ダンスなんてやったことないもん、、

先ごろ習ったスコッチダンスをやろう!と若いスタッフや男性を勧誘しているA さんも2、3日は晩御飯の後、熱心に練習を続けたらしい。
いよいよ明日、という時になって突然、「茶道のお手前」をやるチームから「解説」をやってほしいとの申し込みが来た!「なんやって?!」もう長いことお茶なんてやってないし、解説ったって、どういう風にしたらいいのか、見当もつかへん、困った事になった、そこで丁重にお断り申し上げた。すると「伏してお願い致します」との再度のお願い、これはもう仕方ない、「引き受けましょう!」やるしかないやん、、

その夜はインターネットで自分のHPを表示して、リンクを張ってある「ヤフー」に接続、「茶道」を検索してみた。結構沢山の解説が載っていたから、そこからピックアップして英語に直し、翌日、京都在住経験のあるキャサリン先生に点検をお願いした。そして夕刻タレントショウは開幕したのだった。

最初はO さんのピアノ演奏、ピアノ教師をされているだけあって、傷だらけのボロっちいピアノで素晴らしい演奏を5曲、後のタレントが辛いほどの「うまさ」、、、しばし感服。

次が急遽繰り上がって「お茶のお手前」。お道具が全部揃ってはいないけど、日本人以外の方々にお茶を振舞うというぶっつけ本番。茶碗が無い、茶筅がたりない、散々な出来だったけど、先生方は楽しんでくださったからまあいいか。下手な解説でゴメンナサイ!
京都西陣織り物の社長さんのTさんは、長年鍛え上げた京の旦那衆の芸とも言うべき「謡い」や「狂言」で出し物の紹介をやってのけて、その素晴らしい複式呼吸の「声」でみんなの度肝を抜いてはった。さすが京都のダンさんは年季が違う、外でタバコをうまそうに吸うてはったし、普段はシャガレ声だったのに、物凄い張りのある声、、、教室でもあの声でやりはったらいいのに、、、

河内音頭は盛り上がった、歌担当のAさんは途中で舞い上がってド忘れしてしまい、これもまたご愛嬌で、しまいには阿波踊りになって大団円。皆さんほんまにタレントぞろい。

この日から参加者の親しみがぐっと増した。なんでもやってみるもんですね。
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 派閥?!

そろそろここの生活にも慣れてきて、個性豊かなユニークなお友達も出来て、思いがけなく珍しい体験談などのお話が聞けるようになってきた。カフェテリアでの食事の時間はこうしたお話を聞く絶好のチャンスだった。
食事は毎食違うメニューで苦心してシニア向けにアレンジしたものが並び、みんな文句のつけようもない内容だった、もしこれがもっと不満足なものであったら、多分、参加者のイライラはもっと大きくなり、健康面にも障害が出たかもしれない。げに食べ物とは基本中の基本であります。ね!

ある日、お盆に好きなものを少しずつ載せて、座るところを探した。何処でも空いているところに座って、その都度、相席になった人たちと話しをしながら食事を楽しんできた。たまたまテーブルに一人だけで、他が空いている所が目についたので、そこへ自分のトレーを置きながら

「ここ、いいですか?」と声をかけた。その人の周りが空いていたからだ。

「エッ?、、、イヤ、うーん、、、」、、、あれっ?!だめだったんだ。ゴメン、、、

どうも自分達のグループのために席とリをしているらしい事がわかった。気をつけてみていると何個かの固定グループが出来上がっている。同じ教室、同じ寮、そして同じ出身地などでグループの出来るのは仕方の無いことだけど、折角ここまで来て、、面白い人は沢山居られるし、夫々にお話を聞くことができたらいいのに、、惜しいなぁ、、

その席とリ被害?!にあった人の中には、「大勢の人と触れ合って、知り合って、いろいろなお話を聞くのもこのステイの目的なのに、どうして固まっているの?」と聞きに行ったとか、

「私達はこのグループでいいんです!人の話は聞きたいとは思いません」と言われたと、いたくおかんむりだった。

団体の中で個を守り、自己を主張しながら協調していく、、、なんて、理想なのだろうけれど、やっぱり群れていないと心細いのかもしれないと思ったりした。いつも一人で行動している I さんと話す機会があった、彼女は外見からは想像もできない強い口調で「一人では何も出来ないからグループになるんでしょ!」と吐き捨てるように言った。
夜遅くの飲食とおしゃべり、下の階に響く足音、いずれもちょっとの気遣いで問題は解決するのに、自分の事となるとなかなか自覚できないのが人間の常というものだろうか。

一見仲良しごっこのようなこの集団も、やっぱり基本的な問題から逃げることが出来ないでいる。学校の先生だった人が多く、専門職をリタイアした人も多い、いわゆるインテリ階層のご婦人方なのに、このあたりがどうしてもクリアー出来ない、これは単に日本人だからだろうか、それとも50代60代の年代のせいなのだろうか、それとも女性だからろうか、疑問はつきなかった。

そういえば、男性は何かあるごとに人を誉めることをすっとしはるけど、女性は人を誉めることが、下手やなぁ、、、と、ここへ来て、あらためて気がついた。
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 花火見物

8月に入るとバンクーバー市内のイングリッシュベイでは連夜花火大会が催される。目の前で見る花火は素晴らしいらしいが、物凄い人出で、帰りのシーバスに乗るのもひと苦労らしいし、どうしたもんだろうと思っていると、願っても無い話が飛び込んできた。

滞在しているノースバンクーバー市の繁華街ローンズデールキイのビルの屋上からその花火が見えるという、しかも無料で。すぐさま暗くなるのをまってバスに乗って出かけた。いつのまにか5、6人が一緒だ。みんな見たかったのだ。ビルはすぐに分かったけれど、屋上は半分がホテルのプライベート部分になっているし、ここで本当に花火が良くみえるのかどうかわからない。


三日月が湾にかかり、あたりが暗くなった。オレンジ色のライトが水面に映えてダウンタウンの夜景が夢のよう。


同行してきたItさんが誰にとも無く言う、(彼女はいつもゆっくりゆっくりとマイペースで話す)

「ここでいいのかどうか、分かるといいんだけど、、、」

「ここが一番良く見えるところかしらね?誰かに確かめるといいんだけど、、、」


あたりを見回したがまだ人はいない、私達だけだ。あっちの方でホテルの係員らしいおニイさんが水撒きをしているだけだ。忙しそうだな・・・

Itさんが又言う、

「あの人に聞けたらいいのにねぇ、、、」

仕方ない、聞きにいってこよう、、彼に近づいた。怖そうな顔で見向きもしない、イヤやなぁ、、水撒きの合間をつかんで声をかけた。


「スミマセーン、一番よく花火が見えるところは、ここでいいのですか?」すると・・・

「ここがベストの場所さ」「何処からきたの?」

「日本!」

「へーっ!日本!俺、日本のカゴーシーマー知ってるよ」

「えっ!そうなん?じゃ桜島も知ってる?」

「知ってる!知ってる!」

話が思わぬ方向にずれてついつい長話になった。日本の知名度も上がったもんやなぁ・・

「It さーん!ここが一番だって!」


そうこうしているうちに花火は景気良く上がり始めた、夜風が冷たく、寒いくらい、上着を着てきてよかった!ガヤガヤと女性達が上がって来た。

「今夜の花火は何処の国のん?」って聞いている。

「何処のんって、、私達は訪問者だから知りませーん、、あなた方は何処から?」

「私達はバンクーバーに住んでるの」・・・

なんで地元の人が外国人にそんなこと聞くのん?どうやら、各国が国がわりで花火の打ち上げを競うらしいことがわかった。日本のは地味で、粋すぎて人気ないねんて・・・

花火は、続けざまにやたら派手に華やかに上がっている。ウワー!キレイ!!

するとItさんの声、

「来る前にシャワーしてきちゃったから、寒くなってきた、、、」

「上着も無いし、、、寒い、、帰りたい、、」

彼女が一人で帰って、もしものことがあったらあかんし、、、仕方ない、寒いのを我慢していて風邪でも引いたらおおごとやし、、

「じゃあ、もう帰ろうか、、、」

後ろを振り返りながら帰りのバスに乗った。

翌日何処からとも無く、昨夜の花火はスペインのだったっていう情報が入って来た。どうりで派手でそういえばラテン風?!だったなぁ、、、It さんは風邪もひかず授業に元気で参加してはった。ヨカッタ、ヨカッタ・・・
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 もうおしまい、

もうあと1週間しか残っていない、あっという間だった、いろんな失敗も今となっては懐かしい。1時間にたった1、2本しかないバスへの不満、(間違って乗ったバスがとんでもない所へ行ってしまって、困ったこと、郵便局からの帰りのバスがなかなか来ないで、夕食にあぶれてしまった事、)

バーベキューの余興にやったキャッチボールで、翌日手の甲が腫れ上がったこと、うっかり冷たいシャワーを思いっきりあびてしまったこと、夜中に寝ぼけマナコで隣の部屋へ入ろうとしてしまったこと、などなど、思い返せばつきない。

忘れられないのは、カメラを盗られて写真が撮れない私を見かねて、同じ階のM さんが撮りっきりカメラを2ツ下さったことだった。

彼女は今でも「性教育」にたずさわる元ベテラン教師で、最初はちょっと怖そうで、とっつきにくかったけれど、実に考え深い良い人だった。真面目で正統派の彼女のご主人は現在日本を離れ、ベトナムで日本語学校を開こうとされていると聞いた。
もう一人、同じ教室のS さん、元企業の秘書だったという彼女は、でしゃばらずマイペースを守りながら、きちんと集団にも溶け込み、黙って気配りの出来るゴルフ好き、そのゴルフ場で見た新聞にワインのページがあったと、何も言わずに私の部屋のドアにその新聞をはさみ込んでくれていた。

オンタリオワインのお土産を連れ合いからおおせつかっていた私が、オンタリオワインがブリッティッシュコロンビアでは手に入らないと、こぼしたのを聞いていてのことだった。

少し年上のY さんは英語を殆どされない、しかし、俳句をたしなみ、書道をされ、着物を手作りして、それを楽そうに着て、オンナの鑑みたいな人。俳句を英語にするお手伝いを少ししただけで、感激して何回も何回もお礼を言って下さり、こちらがかえって恐縮した。彼女も日本に帰れば一人暮らしとか、他にもご主人を亡くされた方がかなり多かったと記憶している。

ご子息がこのCICを卒業されたとか、どんなところで息子が生活したのかを見に来た、と言われたH さん。

自営業の為に定年が無い。ここらで一度自分をじっくり見返して、これからの人生を考えるきっかけにしたい、とT さん。

46歳から独学で英語の勉強をして、すでに英検2級を取得したという努力のカタマリのようなN さんやIさん。

素晴らしい人達に巡り合ったこの1ヶ月はじつに実り多く、活気に溢れた時間だった。明日はもう修了式。プレゼンテーションの準備と暗記に、錆付いた頭を叱咤激励しなければならない、、、
さあ!練習!練習!アシタは関西魂!を見せたろか!ネ!Yさん!

コンビを組んだY.M さんは一番背が小さく、コロコロと良く笑い、屈託が無く楽しい人だった。みんなは彼女を「弾みボール」とか「マメタンク」と呼んで親しみをもっていた。

その彼女が相棒とあって、映画ツインズを気取って作ったスキットや替え歌が、カンニングペーパー無しでなんとかはまったし、CICスタッフの物真似も、彼女の演技力は吉本から誘いが来るのではないかと、後で評判になるほどの出来。二人が最後の出番だったこのプレゼンテーションは、担任のラーラの株も大いに引き上げて、大成功だった。

   
  (JTB 撮影)


続いて、終業式はすすみ、一人一人校長先生から厳粛に終了証を頂く、まるで小学生のようにカチンコチンになってしまう。涙涙の人、笑っている人、夫々に思い出いっぱいに終幕となった。後はご褒美のビクトリア一泊観光旅行を残すのみ。
イギリス調の州都ビクトリアは晴れて清清しく、名門Empressホテルでのアフタヌーンティで締めくくりもあざやかに、全てが修了した。



終わりにあたって、エッセイを夫々に書いて学校へ出さなければならない。なんやかんやと思い出すけれど、つきつめていけば、結局楽しかったことばっかりしか浮かんでこない。その時に感じた感慨を正直に書いて提出した。
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 それぞれのロングスティ

もう終幕です。このロングスティに参加する前は第一期生の書かれたエッセイの中から、辛口の批判や苦情を、目を皿のようにして何回もしつこく探している自分に気付き、苦笑したものでした。良いことずくめの文章ばかりでしたので、本音の部分を検索したかったのです。何故なら、こんな大所帯で不具合がまったく無いはずは無いのですから。

かろうじて、少しの不都合や苦労話を読むことが出来ましたので、その部分を拡大して自分に言い聞かせ、あまり過大な期待を持たずに出発しました。そのせいでしょうか、心配はまったく杞憂に過ぎず、カナダの自然と心ある人々に囲まれて、体験的体当たり生活を心豊かに過ごすことが出来ました。

小さい齟齬を数え上げたらきりがありません。しかし、国際的な思考力を基盤にして、視野を少しでも広げることが出来たとしたならば、それが今回の収穫だったと言えるのでしょう。

緑の風が爽やかに吹いて木々を揺らす涼やかなバンクーバーの街は、その美しい彩りで思い出のページを鮮やかに飾ってくれました。
こけつまろびつの一ヶ月はあっと言う間に過ぎて、それは、たそがれの人生に吹いた一夜の野分の風のようなものでした。

有難う、皆様!命あれば、又お会いしましょう!

CICシニアロングスティ第三回参加 池田寿子
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(写真はJTBとCICからの転載を含みます)

  おまけ (とっておきの見所)


バンクーバーを訪れる観光客はスタンレーパークやギャスタウンの一日観光のみでそそくさとロッキーに向かうのが通常のパターンだけれど、地元の人が休みの日にゆったりと訪れるガーデンや公園は沢山あり、見る価値のあるものが多い。



1ヶ月の滞在とあって、CIC では気を遣い、午後になると、あちらこちら、様々な所へ黄色いスクールバスで修学旅行よろしく連れていってくれた。(このクッションの悪いバスは年寄りには腰が痛く、参った)到着してゾロゾロと降りてくるシニア!の面々にあたりの人はびっくり顔だったけれど、そのバス遠足で行った中でのお薦めスポットを少し紹介しょう。

* Burnaby Village Museum

(6501 Deerlake Avenue Burnaby, BC V5G3T6)


ここは日本でいうなら明治村とでもいったらいいのだろう。昔、と言ってもカナダは歴史の浅い国であるから、日本で言えば、せいぜい明治時代から大正時代、昭和初期の時代の建物であるが、建国の歴史を知るために、古い銀行、郵便局、鍛冶屋、よろず屋などが当時のままに保存され、今にも古い映画の一シーンに出てきそうな雰囲気を漂わせている。

* Vandusen Botanical Garden

(5251 Oak Street Vancouver, BC V6M 4H1)


22 ヘクタールの広大な敷地にカナダの木々と花々が見事に調和を保って植えられている、夕方からも入場できる上、池を使った庭園の造作は見事で、
日本庭園の精神にも通じる静寂の美が感じられる。素晴らしい庭園である。


* Museum Of Anthropology

(6393 Northwest Marine Drive Vancouver, BC V6T 1Z2)



ブリティシュコロンビア大学の敷地内にありカナダの先住民族の信仰と、トーテムポールの歴史がわかり易い陳列で説明されている。人間誕生をどのようにとらえていたかを示す彫刻が、いかにも素朴で人間味に溢れていて面白い。

* 新渡戸記念庭園

(6393 Northwest Marine Drive Vancouver, BC V6T 1Z2)

おなじくブリティシュコロンビア大学の中にある新渡戸記念館は1960年に新渡戸稲造博士を記念して開園された美しい日本庭園である。

散策のための広い庭園と茶の庭、茶室があり散策の道には人間の一生をあらわす石灯籠が配置され、彼の人生観に触れることが出来る。豊かな木々と日本庭園の持つ独特の静寂に包まれた世界は、日常のわずらわしさから訪れる人を、ひととき解き放ってくれる。

「我、太平洋の掛け橋とならん」との言葉で有名な政治評論家、外交官であった新渡戸氏の顔は、五千円札の人として知っている人は多いと思う。博士の故郷、盛岡とブリテッシュコロンビアの州都ヴィクトリアは姉妹都市となっている。

* 日系プレース

6685Southoaks Crescent Burnaby BC,

ここは日系のカナダ人のための施設で、介護の必要な老人向けの施設や自力で生活できる一人暮らしの老人をサポートするための住居、施設が清潔に保持されている。

そして、多くの日系カナダ人、日本人に幅広く利用してもらうために、文化センター、ガーデン、シニア向け住宅が3の土地に点在していて老後の不安な日本とは比較にならない気配りがなされていた。

第二次世界大戦の時に思いもかけず敵地となったカナダに住んでいた人々の苦労の多かったお話に、ここにもまだ「戦争の傷跡」は残っているとの感が深かった
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バンクーバーは、入り江が深く北部の山地にまで切り込んでいて自然が素晴らしく、夏は日照時間が長く、午後9時過ぎまで明るい。気温も25度前後と湿気の少ない爽やかな気候、暮らしやすさ抜群の街。これを読んで下さった人々の中で、シニアロングステイに参加してみよう!と思う方が一人でも居られたら、、、幸いです。

ホイチカ!!ホイチカ!(有難う!皆様)

(写真はJTBとCICからの転載を含みます


 「一つ釜の飯」の縁 (追記)

2001.11.24.大阪「生尾」での再会

急に寒い風が吹き出し、暖かかった秋ともお別れです。
先日は皆様、いろいろ有り難うございました。Koさんから大阪へ出る機会があるので、皆様のお顔をみたいとのお申し越しに、ホイッと乗っかって、連絡係りをやらせていただきましたが、快くお集まり下さり、お蔭様で楽しい一夕を過ごすことが出来ました。



* いつも熱心に語学ボランティアをされている超マジメなNiさん

* 帰国後も英語の勉強をしっかり続けられて、奥様を大切にされているAbさん

* CIC卒業の息子さんが、パースに駐在されたのを機会に英語勉強に拍車がかかる Haさん

* お友達との山歩きや大正琴の演奏会などで大活躍!元気印のMaさん

* おしとやかな外見からは想像もつかない大工仕事!がご趣味、熱心に英語を磨いておられるKoさん

* 今年もボストンにステイし、勉強に行かれる予定をあのテロで断念されたSiさん

* 華やかに、そして楽しそうに活動範囲を広げ、おおらかに人生を謳歌されているNaさん

* あいも変わらず忙しがって、勉強なんぞ何も出来ず、ヒマなしを嬉しがっているオッチョコチョイのしきり婆ァ池田

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又チャンスを見つけてお目にかかりましょう!ロスタイムにも勝ちは転がり込んでくるかもしれません!がんばりましょう!お元気で!!

  


バンクーバー中心部


ライオンゲートブリッジ 
(BOW先生飛鳥写真集より)

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