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長く酷い夏


毎朝の挨拶は「暑いですね〜!」今年の夏は、今までにない長い長い高温の夏でした。暑さに恐怖にすら感じられたほどの酷暑でした(大袈裟!)。

東海地方の西に移住して5年目、このあたりの夏は、過去4回の経験では、以前に住まいしていた大阪府下の町よりは数段凌ぎやすくて、深く考えもせずに移ってきたにしては幸運だったと、老夫婦が話し合うたびに笑顔になれる原因の一つでさえありました。海と湖に近いせいで、いくら日中の気温が高くても、なんとない風が常に流れ、陽が落ちれば、気温は幾分下がり、夜になっても蒸し風呂のような関西とは違っていましたから。夏好きになってもいいかも、、とさえ思っていたほどでした。

それが、今年は暑さを呪う言葉を止めようもなかったのでした。しまいにはもっと北に移住した方が良かったかも、、なんてぼやいたりもしました。夜になってもクーラーはうなり続けていましたが、体にまとわりつくような湿度が、これまた今までにないほど高いのが苦痛でした。汗が蒸発しないでベタベタと張りつくのも我慢ならない感じでした。シンガポールやインドよりも高温の日がありました。そしておきまりの夏ばてです。朝起きてもだるさが残り、足が重い、いつもなら簡単に済む家事がはかどらない。アタマもすっかりいかれてきて、考えることすら暑い、しんどい、というていたらくでした。

関西では盂蘭盆の「京都の大文字焼き」が終われば、幾分凌ぎやすくなるというのが定説でした。だいたい毎年お盆が過ぎれば耐え難い関西の暑さもなんとかなるものでしたが、今年は浜松でさえこの暑さですから、大阪はモノスゴイ夏だったのだろうと思います。大阪へ行ってこられた知り合いの方が、新大阪駅と浜松駅では温度がはっきりと違い、浜松駅に立った途端にホッとしたと話しておられましたから、まだここはマシだったのかもしれません。

気象学的にはこの猛暑の原因ははっきりと定義づけられているようですが、南の湿った風が入りやすい日本列島の位置がそもそも悪いのでしょうか、それに偏西風のかたよりと遙か彼方の海水温度が高いせいだと言われますと、地球は全てが繋がっている一個体なのだと、あらためて思わされます。

折しもパニック映画「
The Day After Tomorrow」がタイミングを計ったようにTVで放映されていました。温暖化で溶けだした極地の氷が、海の塩分濃度を薄めたことが海流の急変を引き起こし、地球は急激に氷河期に突入します。大津波や巨大竜巻の前になすすべもない人間の惨めな有り様を、さまざまな角度から描いていました。多くの人々や動物が命を落とします。たぐいまれな幸運に恵まれなければ、決して生き延びることは出来ないのだと悟らされるようなお話でした。荒唐無稽と笑い飛ばすには妙に説得力があったのが気になります。

昨晩から雨が降り、今朝は気圧が入れ替わったように感じます。さしもの記録的猛暑もノロノロと後退をはじめたようです。ようやく季節は秋に移るのでしょうか。ひと夏の間、ほったらかしにしていた庭の雑草の始末をしなければなりません。くたびれはてた老人二人も、そろそろ気持ちを持ち直さねばなるまいという気になってきました。でも、思うだけでなかなか取りかかれません。暑いからダメだという言い訳が、染みついてしまったのでしょう。

人は何かつらいと感じることが長く続きますと、そのつらさがすでに去りかかっていても、その兆しを感じ、受け入れることをためらってしまうようです。ずいぶん凌ぎやすくなった気温を素直に受け入れられずに、まだ暑いと思ってしまいます。又明日、猛暑がぶり返しはしないかという恐怖にかられてしまいます。

今夏のような記録的な酷暑はもうないのでしょうか、、来年も、その翌年も、そのまた翌年も、、、いいえ、そんなことはないでしょう!私共があずかり知らぬ所で起きている天候の異常が、いまや進行形だと思わない人など、いませんものね。次の夏のことなど思わない方が幸せなのかもしれません。

あさっては、五回目の夏がとりあえず終わる日だと思いたいです。「暑さ寒さも彼岸まで」と、昔から言いますから、、
 (2010.9.16.)

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