スーダラ節

1961年

作詞 青島 幸男
作曲 萩原 哲晶

もどる

当初、「こりゃシャクだった」のB面として作られたが、このB面が時代を超える名作になる。

植木等の父であり、過激な仏教家であった徹誠は「おまえのスーダラ節は、シンランの教えにあっている。わかっちゃいるけどやめられないというのは人間の真の姿でよろしい」と言ったそうだ。でも等は「関係ないんじゃないスかね」

植木はスーダラ節の譜面を受け取った時に腹がたったという。