【2002年5月】

5月27日(月)  マラドーナ
気が付けばもう今週末にはワールドカップが開幕だ。
祭りはその直前が一番楽しい、今がその時。
祭りの後の寒さも好きなんだけどね。無責任なマーケターだから。(笑)金がかかるほど楽しいのさ。
というわけで、過去のスーパースターもこの時とばかりにテレビに登場するらしい。ブクブクになったマラドーナもニュースステーションにでていた。兄貴がサッカーバカの中学生のころ、彼に夢中だったので、よくビデオやらなにやら見せられたものだ。メキシコ大会のイギリス戦、「神の手」によるゴール、そして5人抜きのゴールは今やマラドーナ伝説の肝みたいなものとして語られている。この「神の手」と「5人抜き」についてマラドーナ本人と当時のイングランドのGKが別々の場所で振り返っていた。
「彼ほどの選手がハンドでゴールをした後にいつものように大喜びをした。さらにハンドが明らかになった後にも「神の手」などと公然と言うことは信じられない。選手としては偉大だが、人間としては尊敬できない」うんぬん、ともっともなGK氏のコメントに、ちょっとうつろで面倒くさそうにディエゴはこう返した。「ゴールを盗んだのだ」悪びれる様子もないし、弁解もしない。いかしているぜ、盗人なんだから仕方ないの、ってことだ。盗人万歳。選手としてのプライドなんかよりも、盗人としての仕事として考えているんだな、だから優秀だったんだ。ゴールは盗むもの、これくらいのがめつさがないと勝てない。勝ってなんぼ。
「あの後だったから普通の精神状態ではなかった」と言外に普通ならとめられたというGK氏に対しては「あれはすべて右なんだ」とレベルの高い、こだわりもあった美技であると言う。ゴールまで12タッチ、すべて右足だった。たまたまであんなことできるわけないだろう、と言うのだ。
ラテン系の破格な理論に感動した。マラドーナ万歳。
汚くてもこだわりがあればOKなところがすばらしい。

5月18日(土)  世界不思議発見 肥沼医師
途中から見ただけなんだけど、こういう話に私は弱いんだな、これが柄にもなく。
祖国から離れて、敗戦国の医師として薬どころか食べ物さえないなかで医者の使命を果たそうとした肥沼さんは、自らも病に倒れ、治療も薬も病院の患者のために拒否し亡くなった。棺おけもなくただ荷車で墓地に運ばれ埋められたそうだ。
当時、肥沼さんの助手であった看護婦さんが存命で詳しく証言するんだけど、この方も立派な方であらせられた。「虱が部屋を歩いている家から診察を頼まれたことがあった。先生は躊躇なく家に入った。私はどうしても入れなかった。先生は私に「使命感はどうした」と言った。」こういうやりとりができて、それを50年以上もたって後世に語れる関係、歴史のなかで生きるとはこういうことだろう。
今でも彼をしのんで命日には彼が救命に文字通り命を捧げた市の市長さんまでが墓に出向く。助けられた人はもちろん、その子孫とともに。
肥沼さんがドイツの人に見せたかったものは「富士山」となに?というラストミステリーの正解は「桜」だったが、まこと君は「もちつき」。草野さんが最後に「肥沼さんが亡くなったのはまこと君と同じ年齢ですね」というのは笑顔とは裏腹にすごいことを言っている。が、まことはそんなことどうでもいのだ。
しかし、日本人は個人個人ではとても立派な人がいて、海外でも賞賛されるが、政府とか国家とかになるとあまり誉められていないのはなぜなのだ。それどころかそういう個人にも政府は冷たいよ、杉浦千畝は外交官身分の剥奪すらされたもんね。昔から宗男みたいのがいたんだろうな。
人道とか人権とかに関心がない国なのだよ、中国よりもない。とうちゃん、情けなくて涙がでてくら。

5月12日(日)  寅と殿様
今日の寅さんは脂ののりが違ったね。
マドンナは真野響子なんだが、脇を固めるのが三木のり平と嵐寛寿郎でこれに渥美清が絡むんだからすごい迫力だ。このアラカンの息子ってのが平田昭彦で、困るほどの昭和の映画。アラカンがお殿様でのり平が執事。で、のり平さんは江戸っ子なので「し」が「ひ」になっちゃうもんだから「藤堂家のひつじ」なんて言っていた。それもかんかん帽でサスペンダー、なに時代の人なんだよ、いくらなんでも、って感じ。
しかし今回、さくらさんはさすがに寅がかわいそうにみえたんだろうな、というか、妹としては真野響子が演じた真理子と寅が結ばれればいいのに、と思ったのか、そういう思い入れを感じさせる演出だった。なんで、とか思う。
しかし、最初はあれだよ、拾ってきた犬に「トラ」って名前つけてしまった車屋さんたちに怒って旅にでちゃうって話だったんだけど、ホント関係ないんだな。余裕たぷりの映画つくりがそこかしこにうかがえて、現場の想像をしてみても面白い。

5月9日(木)  (無題)
今日は納品前日でタクシー帰りさ。
集中できたからまあいいいさ、疲れない。
http://hiroshu29.tripod.co.jp/ばっかり読んでいたのだけど、実は。

5月7日(火)  またまたラーメン道  (^_^) 普通
また懲りずに「ガチンコ」を見る。
またというのは自嘲なんだよ、嗚呼、因果なものよのお。
龍門またやんねえかな、どんな形になろうとも龍門それが一番なのだが、今日から3シリーズ目の「ラーメン道」もいいね。なにがやらせって、これが一番のヤラセ企画だと思うんだけどね。この企画の指導者である佐野は♪ラーメンのことなら女も泣かすう、ってな非情のライセンス的なオールバックオヤジってことになっているが、この前に見たテレ東の企画ものにでていた時はすごいいい人だった。どっちが本当かというと、どうもテレ東の方だと直感的に思うんだけど、どうですかお客さん。なぜかっていうと、ガチでは行動が不自然すぎるんだよね、無理に突飛な厳しいことをやっているみたいな感じがするんだけど、テレ東は自然な振る舞いに思えた。言葉のひとつひとつが自分の言葉である時にでてくる雰囲気ってあると思うのだが、それがあったんだよね。アドリブでなにかやれるタイプにも全然見えなかったから、結構無理してガチはやっているんじゃないか。ガチでは決められたことをその通りやっているからなにか不自然に写るのだろう。どうして無理しているのかは全然わからんけど。
まあテレビ的に面白いということがあればよいのでこの程度なら一向に構わないことですね。むしろ佐野さんが一生懸命演技していることが面白い。どうしてかはわからんけど。(笑)
今回も過剰な演出でよかったです。
今回の企画は川崎駅前の大規模商業施設にこれまでにないラーメン屋を出店することがゴール。このこれまでにない新しいラーメンというのがキーワードで、そのためかオーデションに集まった中でまずラーメン屋を書類審査で全員落としてしまった。これに納得するはずもない応募者たちは佐野に詰め寄る。ラーメン屋のオーナーであるというオヤジは身に付けていた店の名前のはいったTシャツを脱ぎ捨て上半身裸になって「今ここでラーメン屋はやめたから、いいだろう」これには佐野も一瞬とまどっていたのが笑えた。他の今泉ににた感じの関西なまり男は「3年前に女房に逃げられ、子供を育てながらやっています、ここでは帰れませんのです」と懇願。ついには「話をきいてくれるまでここを動きません」と椅子に座って居座ろうとするが、スタッフ2人にかかえられて「なにすんねん、神輿やないぞ、先生たのんます」との声もむなしく退場されられてしまう。それでもこの後3回くらい「娘には学校でいやなことがあってもがんばれと言っています。だからこのまま帰えれません」と意味不明の言葉を言いながら再登場するのだが、もうええ、って。
で、素人も帰ってもらって、最後に残ったのはイタリアンやうどん、居酒屋、など他の食べ物商売をやっている人たち。「いままのでのおまえらのやっていたことなど関係ない」といきなりでました、たかぴー(死語だな)発言。それに切れるうどん屋「そんなにラーメン屋がエライのか」。
承服できない応募者を別室の厨房に連れ出す。イタリア料理20年、3軒の店を持つノータイシャツ男に佐野はパスタを作らせる。ありあわせの材料でペペロンチーノをあっという間に作ってしまう。さすがと思わせるお手並みだ。応募者全員と佐野が試食する。うまいという表情がそれぞれの応募者からこぼれるが、1人佐野だけは一口つけただけで皿の上のものを捨ててしまう。唖然と憮然の入り混じった困惑の空気を引き裂くように、今度は佐野がパスタを作り始めた。そしてできあがったペペロンチーノ。
動揺の色を隠せないイタリアノーネクタイシャツに佐野が「食べてみて」と皿を差し出す。ありあわせの割り箸でパスタを口に運ぶと「うまいっす」。
あはは、マジですか、ってなもんだ。
「俺は15年、洋食やってた、すべてを捨ててラーメンに入った。それくらいの厳しい覚悟がないとだめなんだ」
そういうことか、だったら初めからそういえばいいじゃん、って言っちゃいけない。この回りくどさと仰々しさがこのヤラセ番組の見所なんだから。
それが一番わかっているのは佐野さんなんだと思うけど。スタッフの脚本通りにやることで彼の中のなにかに充足感があるのだろう。それがもしかしたら「非情なラーメン屋」になりたかったしなってもおかしくないことをしてきたのにそうはいかなかったんだよ、というものから来ているのかな、とか想像すると楽しくなる。

5月5日(日)  お館様  (^o^) まあまあ
すっかりかくし芸大会的になってしまったNHKの大河ドラマだが、ホント今回の信長=反町には愛しさすら覚えてしまう。私の理想の信長は竹中直人の「秀吉」において「お館様」だった渡哲也=信長であるのだが、反町もあの演技を見る限り私の同胞であることは間違いがない。よって同胞は愛しいのである。それだけ。松島菜々子を嫁にするような男にあまり興味はないんだ、言っておくけど。しかし真似するならもっとカッコよくと思うのだけど、下手さ加減がいいわけよ、可愛さがあるからね。
しかし、あの「秀吉」はよかったんだと今更にして思うのは、竹中も「モビット」で秀吉ぶっているし、渡さんも「松竹梅」で信長をやっているのである。それほどあの役はご両人にとってはまり役であったということだろう。竹中にとっては秀吉ほどのいい役はなかったので不思議ではないが、渡さんにとっては不滅のキャラクター「大門部長刑事」というものを乗り越えて「信長」を得たのである。とてもハートウォーミングな話である。裕ちゃん、やったよ哲は、って感じ。(裕ちゃんと哲の件は当サイトの別項を参照のこと、だが、すぐにわかった人がいたならその方の愛人にでもなってあげたいくらいスゲ−)
「秀吉」では仲代達也の利休役というのも印象的。ホントに頭を剃っていたらしい。その仲代利休と渡信長が本能寺の変の前夜、最後の会見をするのだが、このシーンは白眉である。信長が朝廷からもらったランジャタイを利休に与える場面である。「ランジャタイ、秀吉の茶室にて焚け」
その本能寺の変もすごかったので今も鮮明に覚えているよ。TOKIOの松岡が森蘭丸もはまっていたな。波の様に押し寄せる光秀の軍勢に必死の抵抗を試みる蘭丸以下少数の側近。信長自ら弓を放ち応戦する。久々の実戦に「楽しいよのお」と気勢を挙げるが、よく戦う信長側も多勢に無勢、じりじりと引き下がる状況に時を知る。この時の渡信長の表情の異様さには
恐れ入った。
蘭丸が守る広間には火が放たれ、その中で「神が死ぬか」の一言があって信長は首筋を大刀で切り裂く。吹き上がる血しぶき。

いい、いい、最高だ。

家康の「今泉君」はちょっとギャグだったけど。石田三成が真田ひろゆきだったんだけど、三成役は絶対に奥田英二だと思うな。

5月4日(土)  ジ・アーティスト・フォマー・あわあわ  (^^)v 最高
元ちとせが「はじめちとせ」であることが今日わかった。「もとちとせ」というのだと勝手に思っていたので「あは、もとちと、だ、元プリみたいでカッコいい」くらいのイメージでなんとなく楽しい名前であったのだが、「はじめ」とか言われてしまうとつまらなくなってしまった。元プリ以外にもモト冬樹とかもいたし、「もと」 にしておけよ、って感じ。
モト冬樹で思い出したが、NHK教育テレビで18時からやっている「天才テレビくん」のグッチ裕三はすごい。子供相手にムーンウォークしたり、マーヴィン・ゲイで「泳げたいやきくん」を歌ったり、実にソウルな展開。上手くないとコミックはできないと実感させてくれた。
しかし元プリって正式名称、なんだったかなあ。

5月1日(水)  芸能プロダクション所属のガチンコファイトクラブ所属
ガチンコファイトクラブのメンバーが恐喝か盗みで逮捕されたとニュースになっていた。21歳のなんとか君はファイトクラブのメンバーなのだが、所属は芸能プロダクションなんだそうだ。ガソリン代が欲しくて犯行に及んだらしい。
いまさらヤラセがわかったところでなんとも思わないのだが、だからといってファイトクラブの放送が休止されることは納得できないな。逮捕者をだしたことで対応するのはわかるけど、あの企画そのものを終わりにするのは中途半端すぎないか。ここまで虚虚実実の展開をしてきて、最後はガソリン代という小さな現実がきっかけて、電気がついた映画館のようにスクリーンからすべてが消えさえることでいいのだろうか。ホントか嘘かなんて興味はないのに。