1992年5月31日

MONACO GP

ROUND6TH 1994

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これほどの激戦がかつてあっただろうか?そしてそのあとも。

92年シーズン 無敵のウイリアムズ

アクティブサスペンションとルノーV10、そしてセミオートマの熟成は冬の間さらに熟成をかさねられ、トラクションコントロールも搭載された。98年の今となっては考えられないパッケージだが、フォミュラーカーの一つの頂点を究めたのがこのFW14Bであるといえるだろう。アドリアン・ニューウィーの空力理論に裏付けされたマシンは直線で早く、コーナーを鋭く切り裂く。そしてマンセルとい獰猛な獣に操られ、コース上を席巻した。

対するマクラーレン・ホンダは冬の間なにもしなかったのに等しかった。開幕戦にニューマシーンは間にあわず、セナは前年のチャンピオンカーの改良型であるMP4/6Bで新しいシーズンを迎えた。前シーズンの中盤からウイリアムズチームの猛威をかろうじて交したマシーンの改良バージョンは、同じく改良モデルとして位置付けられたウイリアムズのマシーンには歯が立たなかった。ホンダV12の猛き雄叫びは空しくひびく。セナはただこのテクニカル的にはほとんどアドバンテージのないマシンーンで奮闘するしかなかった。アクティブサスもセミオートマも空力もない、始めからハンディキャップを背負わされていたのだ。

そのなかでおっとり刀で登場したMP4/7はフライバイワイヤーという新技術を引っ提げてきたものの、パッケージの完成度はみじめなものだった。セナの腕をもってしても3番手までが限界、ウイリアムズの独走にはじき飛ばされていた。ドラッグ、エンジンパワーは史上最強と評されたホンダエンジンに、シャーシー全体でダウンフォースを生み出せない場合には、ウイングをたてるのが手っ取り早いがこれはエンジンパワーをそぎ直線での最高速を殺すこと。マシーンバランス、メカニカルグリップがよければ曲がれるコーナーのためにこのドラッグを多量に摂取することになる。いくらエンジンパワーを改良しても勝てない、この逆説的な結果にホンダのエンジニアはこうもらした。「そんなにウイングが必要ならベニヤ板でもはっておけばいい」この苦汁の発言は頑固なエンジン屋の愚痴でしかないかもしれないが、「エンジンで勝つ」というホンダの勝利への方法論が限界になりつつあったことを示しているかのようだった。

ホンダV12は空力のためにエンジンの高さを抑え、パーツの軽量化をはかり、マシーン全体のバランスをよくしようとしたのである。それでもマシーンは良くならなかった。多分エンジン屋として出来る限りのことをしたのだと思う。それがレースをやる以上勝たなくてはいけない、ホンダイズムであると信じる。エンジン、人の技術で作り出したもののなかで人間の欲望の一番つまっているものだろう。より強く、より早く、壊れず、ガソリンを喰わない。その目的を達するにはさまざまな方法があり、それを選択し改良し新しい方法としてゆく、終わりのない神への挑戦にも似たこの作業である。これをホンダの技術者たちは究めて高い次元で行っていたのである。彼等はマンセルの開幕5連勝をみてなにを思ったか。自分達の仕事が結果として表われないことに苛立ちはあったのだろうか。いやそれ程絶望はなかったのではないだろうか、彼等が真のエンジン屋であればきっとこう思ったはずだ。「勝たせてやるよ、絶対に。」そう「勝たせてやる」のだ。セナがホンダに対して繰り返しプッシュする発言をするのが耳に届く度にそう思ったはずだ。

モナコ4連勝にのぞむ

そして迎えた伝統のモナコ。セナはここモナコで3連勝中である。予選1日目こそセナはマンセルを1000分の3秒さでトップにたったが、2日目でマンセルは簡単に19秒代というコースレコードを打たてポールを奪う。たった1台だけの19秒代である。それも平均時速にすれば150km/hという驚異的なタイムである。セナはパトレーゼに続く3番手。二列目からのスタートとなった。

マシーン性能よりもドライバーの腕が試される、低速でオバーテイクポイントの少ないこのコースではトータル的にマンセルと対等に戦えるかもしれない、という甘い期待は打ち破られた。パトレーゼにもわずかの差で後塵を拝し、2列目のスタートを確保するのがやっとということになった。セナのポケットにあるはずの1秒はこのシーズン失われたままであった。もはやマンセルのマシーンがとまること以外に勝機はないように思えた。パトレーゼとの勝負だったらなんとかなるかもしれない。その望みもほんの少しであることはこれまでの5戦ではっきりしていた。

そして本選のスタート、スタートは楽々マンセルが飛び出す。セナは少しさげ4番手付近まで落ちるがすぐさま抜き返し2番手にあがる。気迫がマンセルのマシーンに届いたのはこのオープニングラップでだけ、あとは異次元のスピードで得意げなマンセルの一人旅さえコクピットのセナには見えないレースとなった。開幕から繰り返されたシーンがここモナコでも再現され、このままレースは終わるものと思われた。

また苦戦

またか、うーむ、このままマンセルがいくのか、きっとなにがあっても我慢してチャンピオンをとるまでマンセルはゆくだろう、今年は気合いが違ううえ、マシーンのパッケージも類を見ないものだった。こういう年もあるんだ、と思うしかなかった。明日からまたストレスばかりの仕事が始まるというこの日曜深夜にまたこういう思いになるのはやりきれないものがあった。レースだけを見るなら、ビデオは録画しているわけだし、新聞、雑誌の情報をもとに楽しめるのだが、走りを見るのはやはり中継時間にみるものなのだ。ビデオでは味わえないものがあると思う。とくに今年はセナは勝てない。今年の初勝利を見られるかも、この期待こそ日曜の深夜にテレビを見ることにさせているのである。

そのころのF1は私にとって十分面白いものだったが、レースを離れてもセナという人間は特別であり、セナがどうしているか、セナを中心とした動きにとても関心があった。セナはレーサーなのである。そこに純粋な狂気があったのだ。勝負にこだわる、一番でありたい、それがかなえられるなら努力を惜しまない。それは常人からすれば狂気に近い。常軌を逸しているともいえる。しかしそこにはものすごい高温で燃え盛る情念の世界。それが見たかった。

レースは危険だ、そのレースにおいて彼ほど危険を犯す人間は知らない、プロストがそういう発言をしていた。その危険度がすさまじい才能と鍛練によってレースをしている者が犯すのである。危険を犯さなくてもレースには勝てるはずの人間が、あたかも全部に勝つような気迫で危険に挑む、プロストにはもはや理解不可能だったろう、いや多分理解出来たF1パイロットは少ないはずだ。そこまでしてレースをする必要があるか、そう思うのが普通であろう。

レースこそわが人生、セナは言い切った。そうとしか思えなかった人間の発言なのだ。

そのセナがどう転がしてみてもマンセルから離される一方であった。ファステストラップを更新しながら、危なげなく周回を重ねるマンセルに比べて、セナは必死だった。レースを捨てない、決して負けを信じない、やれることは最後までやる。しかし28秒の差にすることがその時の精一杯だった。残りわずかになってマンセルはすこしペースをゆるめ勝利を確信したかのようだった。

もう寝よう、うんうんよくやった、次はカナダか、画面を消して音声だけにして床についた。2位か。三宅アナの時は勝率たかいんだけどなあ。

神はいたか

ところがである、川井レポーターのちょっと甲高い興奮した声が聞こえた。「ウイリアムズのピットが騒がしくなって、タイヤ交換の準備をしています、マンセルをいれるようです、パンクかもしれません、とにかくピットクルーが準備をしています。」飛びおきた、アドレナリンが体内を駆け巡る。

リアのタイヤの様子がおかしい、タイヤをかえたい、ということらしかった。マンセルとタイヤ、この因縁のある取り合わせに、正直「勝てるかもしれない」と思った。たしか差は30秒程度、モナコのピットレーンは狭いため、ピットロードで加速はできないため、コースに復帰するまでかなりかかる。ここでセナが前にでることができれば、セナは抜かせないだろう。鳥肌がたつ。

あわててテレビをつけるとマンセルがピットロードをのろのろと走っていた。画面が切り替わりトンネルに入るあたりのセナを映し出した。マンセルは問題のリアの交換に手間取っていた。その間にセナはホームストレートを駆け抜けた。ようやくマンセルピットアウト、セナはすでカジノコーナーを目指していた。のこり7周。フレッシュタイヤのマンセルは脅威の走りを見せ始める。この走りもレース史上残るだろう、周回遅れを鮮やかに料理しながらここにきてファステストラップ更新しはじめた。1分22秒台、そして21秒、セナも必死に走る、ころがり込んでくる勝利を離しはしない。しかし相手はマンセル、しかもフレッシュタイヤ、残り3周、マンセルの射程に完全に捉えられたしまった。

やはりだめか、追い付かれた、誰しもそう思った、しかし相手はセナ、抜かせないだろう。津川さんの「セナは抜かせませんよ」という言葉が耳に残る。マンセルは右に左にマシーンを揺らす、しかしそれに動ぜずにセナは自分のラインを正確にたどっていた。左右にマシンーンのはいりこむすきをつくらないようにそしてブレーキミスもないという完璧な走り、並ばれたらおしまいという極限のプレッシャーに耐えていた。

トンネルの先のシケインがオーバーテイクポイントではあったが、トンネルのなかでのホンダパワーはマンセルからセナを少しとうざけ、シケンインではドリフトしながらマンセルを防いだ。その先のラスカスでも正確に自分のラインを守り抜いた。マンセルは追突ぎりぎりで仕掛けてくる。マシーンをゆさぶりながらどのコーナーからでもいける体制をとり続ける。異例の青旗が両雄のために振られていた。セナはミラー越しに見えるその姿に最後まで屈しなかった。このミスしたら終わりという状況で、全くミスを犯さなかった。マンセルを抑えこんだというより、自らの頭のなかに、抜かせないラインがすでにインプットされており、それを正確に実行したのである。相手が誰であろう数周のマッチレースとなれば抜かせない走りをすでに頭のなかで用意していたとしか思えない。そう思わせるほど正確に同じラインを最後まで描いていた。

なんたる集中力であろうか。まさにレーサー・セナの真骨頂である。

マンセルのタイヤはパンクしていなかったが、ボルトが少しゆるんでいたようだ。

セナはこれでモナコを4連勝、そして最後のモナコとなる翌年も制すことになる。マクラーレンはシーズンの初勝利。

この年セナは通算3勝、ポールが1つ。

総合ポイントでシューマッハに抜かれ4位だった。

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