ANYTHING ABOUT DAMNED

MAY 11st 1997

FOR ALL DAMNED MANIA

第3回

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このページの設立趣旨でもある、イギリスロックの歴史的検証をすこし試んでいますがその続編です。

今回はダムド独特な世界の背景を知るうえでの手がかりを紹介します。

B級であることのこだわり

1995年にティム・バートンが監督した映画が話題になった。ティム・バートンとうのは例えばシザースハンズとかバットマンの何作目かをてがけていて、彼自身はそれなりのハリウッドでは仕事も金も集まる監督だろう。その映画こそ、史上最低の監督と言われたエド・ウッドを描いたものだ。エドの映画はどれも日本では未公開だったが、このティムの映画のおかげで30年以上おくれて日本でも公開になった。私もこのエドの映画見ましたが、呆れるくらいのアイデアのなさというか金がかかってない、話も支離滅裂。例えば、説明もなくそこから飛んできましたというだけで、そのあそこをカメラは追わないという映画の方法からは逸脱しているなんてことがここかしこに見える。(実はセットが間に合わなかったらしい)確かに史上最低監督といわれるわけだ。その生涯も映画とさしてかわらなかったらしいが、映画を作ることには異常な執念をもやしたらしい。

好意的に見れば、みんなが史上最低と評価するのは、一応彼の映画が知られていたわけで、それゆえ口をそろえてエドについて評価するわけだ。でも全員が嫌うことはないもので、かならず支持者が出てくる。嫌われているほど、その支持者は熱をおびてくる。ティムも幼いときに見て以来、熱狂的な支持者だという。(あとデヴィット・リンチ、タランティーノあたりもそうらしい)。映画まで作るんだからそれは嘘ではないだろう。カルトムービーの元祖といってもいいだろう。

ここでダムドに話をもどすと、PLAN9 CHANNEL7のビデオ、いやこの曲自体がもろエド・ウッドの影響のもとにある。ヴァニアンの趣味だろうと思うけど、エドにインスパイアされたことはまちがいない。ビデオの前半部はもろエドウッドの映画のパクリ。パクッた映画がPLAN9 OUTER SPACEというんだから、曲自体がすでにぱくっている。この映画は1959年に制作され、アメリカでは一部で連続上映されたるほどのヒットにはなったが、次の映画をつくる資金を監督にもたらすことはなかったという。冒頭私がみたどうしようもない映画とはこの映画のことで、はじめて見たときは「なるほど」と、ダムドのルーツをまた発見したというような感じだった。墓堀人ヴァニアンは、墓に眠る死体を再生させ地球の侵略をもくろむというこの映画を見て、このイメージを他人のものに思えなかったんだろう。たぶんリアルタイムで見るのはむりだから、テレビで放送されたのをたまたま見たか、自分で偶然に映画館の再上映を見たのだろう。ロンドンでブームになったことがあったりしたらそれも驚きだけど、そこまでこの島国にいては分かりかねる。

でもこういうB級カルト映画をとりあげるところなんて、さすがカルトバンド。深淵をみたものが深淵化する、もしくはB級をみたものはB級化する!(エドに関してはこのHPのなかで別途くみなおします。)

MC5とSTOOGESとデトロイトミュージック

1969年のアメリカといえばサイケデリックの全盛で、ウッドストックコンサートが行われた年だ。これ以降西海岸を中心として異常な盛り上がりを見せたヒッピー文化のユートピアは、人間があっけなくドラッグによって死ぬという単純な事実により崩壊、サイケデリックは新興のロック産業に組み込まれゆく。ところで69年にアメリカではサイケの西海岸文化しかなかったというえば、そうではない。デトロイトでもその当時のアメリカの内政を反映したよう動きがあった。

さてデトロイトと言えば、1960年代のソウルミュージックの中心だったモータウン本拠地、もっと遡ればジョン・リー・フッカーのブルースもあった。70年代にはパーラメント、グランド・ファンクもこの町からでている。最近ではレッド・ホット・チリ・ペッパーズもいるが、全米自動車産業の本拠地は、音楽でも豊富な才能を作り出している。でも一番この町を象徴しているといえばMC5だ。なにせ名前がモーターシティー5、1967年に結成し1971年に解散するまで同じメンバーで突っ走っていった。デビュー作はKICK OUT THE KAMSで1969年にエレクトラからリリースしたが、”マザーファッカー”というシャウトがはいっているのが問題となり、販売拒否される事態に発展してしまう。エレクトラ側は急遽編集しその部分を置き換えるということで販売を続けたが、このことにバンド側は反発し”fuck you"というステッカーをレコード店に貼り対抗した。このバンドには反体制活動の政治的エピソードもあり、またその後のメンバーのイギリスでの活動も興味深い。いわば本国にいるよりイギリスでの支持を得て活動場所を移していった。

ダムドはMC5の"LOOKIN' AT YOU"をカバーしている。そのほかにもライブでのアジりかたなど、キャプテンが影響されているのではとも思われる。ロックンロールが本質的にもっている原初的な衝動が全面にでており、70年イギリスパンクとは通ずるところは多いが、やっぱりそこはアメリカバンド、ブルース色があったりするところは当時の音楽的状況がでている。

またイギー・ポップのいたストゥージーズはMC5と並び称される存在だが、ダムドは言わずとしれた"I FEEL ALRIGHT"をカバーしている。アプローチ的にはMC5とは異なり、その暴力性が内面に落ち込んでいるような屈折したものがある。1967年のハロウインの夜に結成されてから、ドアーズのジム・モリソンに影響されたのたうちまわるイギーのステージアクトが話題をよび、後にラモーンズのマネージャーなるダニー・フィールズによりやはるエレクトラと契約する。最初のアルバムはヴェルベット・アンダーグラウンドのジョン・ケイルにプロデュースされた。でもこの1枚目よりも2枚目の"FAN HOUSE"のほうが評価は高いく、"I FEEL ALRIGHT"のネタ"1970"でこのアルバムに収められている。イギーの絞り出すような独特の神経質で高ぶるシャウトが何とも不気味だ。

以上見てきたようにダムドのバックボーンを考えるときに、やはりアメリカ文化は切り離せない。はしはしから彼等の育ってきた環境が少しでもかいま見ることできるわけだが、少なくともマイナーなところまでフィールドにいれて、独自の世界の下地にしていったことがわかる。


次回は5月20日ごろ

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