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それは世代交代と呼ばれた

ニューヨークでのフーとクラッシュ

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82年にTHE WHOは最後のコンサートツアーとして、イギリスを回り、そしてアメリカでいよいよ本当に最後の時を迎えることになっていた。

最後のアルバムがリリースされ、その中からツアーで演奏された曲もあるが、バンドとしてはもはや新しいものを生み出す力は失せていた。もっと早く解散すべきだったバンドだったのかもしれない。残されたレポートを読み返すと、評判は芳しいものでなく、最後の30分の大ヒットパレードでなんとなく盛り上がって終わるようなものであったらしい。

ピート・タウンシエンドはこんなコメントを残している。

「これはアメリカ横断の最後の旅だ。」「だけど、あんだ方は、これで自分の考えていた通りの所へ来たと思っている。それはそれでいい。俺たちがそれをやったんだ。ところが何が残ったんだい?これをもう一度くり返せと言うほど、大車な理由があるかい?何もないじやないか」

しかし、アメリカ、ニューヨークでのスタジアムコンサートではそんなお決まりの解散ツアーに、特別な意味が加わった。THE CLASHがオープニングを飾ることになったからだ。このシエアスタジアムでは2日間のショウで、のべ14万のチケットは数時間で売り切れたというが、THE CLASHの登場が発表されたのはそれよりずっと後のことだった。この年アメリカでもリリースされたCOMABT ROCKの売れ行きをみれば、当日の会場でTHE CLASHに期待している観衆は、THE WHOの前座バンドとしての扱いをするのは当然だった。

特別な意味とは、歴史的な意味である。パンクロックはその当時の音楽的成功者を真っ向から否定した。しかしTHE WHOは別格だった。ピートはパンクを進んで受け入れた『体制側』の人間であった。そんななかでTHE CLASHはTHE WHOの精神を受け継ぐバンドとして考える者が少なくなかった。自分の心がもってしまった戦いを音楽のエネルギーとして取り組むバンド、この新旧の取り合わせがアメリカで実現したのだ。

実際、この大きな会場にTHE CLASHは苦戦を強いられたらしい。

ピートはTHE CLASHについて

「何週間か前に見たけど、すごい音出していたよ。、彼らが俺達のことどう見てるかて事だけど、ほかの若いグループと同じなんじゃないかな、つまり、俺達はもうおしまいってことだね。。知るかってんだ。

ここでやるってことは、もちろん、彼らにとっても大きいさ。だけど、ああいう風なグルーブが、こんなどでかい所でやるってことがいいことかどうか、わからないけどね。ほかのグルーブでも同じか。ま、お互いめでだいことだったとは言えるかな」

と語っている。なんだか自棄気味なコメント。まだこの頃はいかれているからかな。

一方THE CLASHはというと、

「フーの脇役に少しは慣れた。そうすべきかどうかば、疑う余地はない。ものすごい価値がある」「そう、美的な面ではなく一テクニカルな面でね、すばらしい。つまり、ステージの上での全体的な調和という点で。だけど、新しい曲は古い曲ほど俺をひきつけないな。「アルメニアシティ・イン・ザ・スカイ」のようなのも好きじゃないんだ」

とジョー。

他のメンバーも大会場にも冷静。

「聞いているやつらは、人形の大集団みたいに見える。とにかく俺達はは盛大にやったざ。BARの時みたいに。あの時は一○万人いた」とポール。ミックは「精神分裂になっちゃうよ。こっち側を見ながら、もう一方の側のことを忘れないようにしようとするんだからね」

コスモ・ピニ−ル「俺達が避けなければならないことは何か?もし俺達をふきとばそうとするやつらがいるとしたら、それはあの聴衆なんだ。そうなる前に、その場所をよく見ておくってのは、悪くないだろう」とこの年のアメリカでの活動を締めくった。確かな手ごたえを感じていたようだ。

それを証拠に、12月にはROCK THE CASBAHはアメリカチャートでトップ20に入り、COMABT ROCKもチャートしてから半年をかけてトップ10にまで上昇した。

そしてしばらくしてからTHE CLASHはほとんど仕事らしいものを残せず解散した。

THE WHOは今日までたびたび再結成をして、今現在アメリカツアー中である。その後イギリスを回るが、THE CLASHからジョー・ストラマーがTHE WHOのオープニングを務めることになった。

この二つのバンドがこの20年近くをどう過ごしてきたか考えると、信じられない組み合わせと言ってもいいだろう。