アメリカ大好き
KOJI1200(produced by TOWA TEI)

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このCDのどこがいいのか説明するのは、結構なんぎだ。

今田耕二とキャシー東野のネタの部分で笑えるだけなら、ここでとりあげもしないし聞くこともなかっただろう。

テイ・トウワ的解釈による80年代の軟弱な部分を、90年代も後半に入ってから今田により批評してしてしまっているところが、80年代に10代を過ごさざるをえなかった私にはなんとも哀しげに、そして回想モード、郷愁さえ感じさせてしまうのである。

80年代のロック、それは70年代という10年間に、ロックがあまりにダイナミックな展開を歴史に刻んだために、70年代の次の年代としてはかなり見劣りする。大ざっぱに言ってしまえば、勢いと気ままな内的体験に没入したため、さまざまなスタイルが登場し、その変化のみで衝撃的だったのである。黒人音楽なども外的刺激として吸収していった結果、ロックは巨大化しその本質的な部分での喪失は避けられなくなった。

80年代に入ってすぐジョン・レノンは死んだ。パンクムーブメントも下火になった。中期にいたるまでには華やかなりしウエスト・コースト・ロックも死滅し、ジャーニーなどのいわゆる恐竜ロックがチャートをにぎわし、ストーンズはツアーをしなかった。マイケル・ジャクソンだ、マドンナだ、アイドル的な売れ方をしたり。フーは解散し、ジャムも解散、いろいろな70年代は消えていった。でも90年代になって復活する70年代もあるから不思議だけど。

それら80年代といのうも10年間はあったわけで、なにもなかったようだけど、いろいろあった。象徴的なことの一つに第二次ブリティシュインベンジョンてなのもあった。MTVがロックスターを作る時代がきたのだが、ここから出てきたのがデュランデュランを始めとするイギリスのアーティストだった。カルチャークラブとか、カジャグーグーとかティアーズフォーフィアーズ、U2、フランキーゴーズトゥーハリウッドとかアメリカのチャートをにぎわしたのだが、これがMTVでながれるビデオクリップを発端にしたのである。このなかでもネオ・ロマンティックといわれる人達がいて、ウルトラボックス、デュランデュラン、カルチャークラブ、カジャグーグー等がその代表格で、ルックスと軽くてノリのよいポップなサウンド(意味不明な表現だが実際そうだった)で人気を博したのである。

当時の私はかくかくにとんがっていて、主張のない音は駄目、しみるやつでないとだめ、軟弱でもぎりぎりにいきがった音が好きだったので、もちろんそれらの音にはまったく受容性がなく、まともに聞いたことがなかった。でもそこかしこで流れていたので、それなりに耳なじみにはなってしまう。今でも覚えているわけである。

そして90年代、特に最近、あの時代の雰囲気がリバイバルしている。ビジュアル系といわれるバンドはまさにネオ・ロマンティックと言い切ってもよいのではないだろう。その質的なものは別の問題として、ネオ・ロマンティックの軟弱な部分というのは、80年代のよい意味での遺産であろうと思うのである。世の中全体、今ほど複雑でなかったし、まだ可能性のあった時代で、ロックという世界だけが閉塞感があったのだろう。

テイ・トウワがネオ・ロマンティックの軟弱な部分だけをとりだして、こうして90年代のどうしようもない所においてみると、80年代も70年代に劣らずロックの幸せな時代だったように思えるから面白い。ビジュアル系が流行る現象といのはある意味ばかばかしいが、ロックというのがだんだん80年代までのものを語る言葉になってきていて、今まで現出されたイメージを繰り返し使ってゆくしかないような時代になったかと思うと、こわい気もする。