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追悼 朝比奈隆 (1908-2001)

それはそれはなんてことのない朝の記事だった。
私は新聞を最終面から読むことがしばしばある。それは単に折り込み広告を見て、その流れで新聞をめくるからである。ひさしぶりに日経を読んでいるのに、やっぱり折り込みから見てしまう。というか折り込み広告と言うのは面白い。そんなことはどうでもいいのだが、いきなりである。
「朝比奈隆を悼む」、である。
日経の終面というのは一般の新聞とは異なり、テレビ欄ではなく文化面なのだが、いきなりこうきた。息がとまる思いで、もう一度活字を確かめる。「朝比奈隆」と確かにでている。早合点で悲しんだり喜んだりすることが多い質だが、確かにそうなのだ。嗚呼、ついにきたか、うなってしまった。しかし29日に亡くなっていたことが31日になって報じられたのはなぜだ、日経の怠慢か。

そうではなかった。12月29日に朝比奈隆が亡くなっていたことを、31日の新聞がいっせいに伝えていた。告別式は近親者などで行われたという。そのため公になるのに時間をとったということだろう。秋ごろから体調を崩し、恒例の第九も井上道義が代打で大フィルを振ることになったというのは情報として伝わっていたが、2002年を目前にこんなことになるとは夢にも思わなかった。92歳の彼について、死ぬことを予感しないでいたのに、我ながらよほどのおめでたい性格であると笑ってしまうが、実際に彼の演奏を実感してみると、ストコフスキーの94歳現役という記録を塗り替えながら まだまだなにかやりそうな旺盛な生命力を感じてしまい、疑いもなくこれからの活躍を期待してしまったのである。最近でもシカゴからオファーがあって、ベートーヴェンの3番をやるという頼もしい記事を読んでいたので、今度こそレコーディングをなんて思ったものである。死因が老衰と知ってはっとするが、あれが老衰で死ぬ人間のエネルギー、オーラなのか、と思うと、演奏会場で覚えた感動とはまた違った思いが襲ってくる。音楽のもっている見えない力がもしかすると朝比奈隆の生命力と共鳴して我々のこころに熱として伝えたものがあそこにはあったのだ。それはいったいなんだろうか、いや無理に言葉にしてまた無駄な時間を使うときではない。一言いえば、あれこそが音楽の理想なのではないだろうか。


大阪フィルハーモニー主催の音楽葬「朝比奈隆さんを送る会」が、2月7日午後1時からザ・シンフォニーホールで開かれる。