LOW


1977

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近日解説公開「ボウイなんて「ロウ」を出した後に死んでしまえばよかったんだ」とキュアーのロバート・スミスは言ったらしい。なんとすばらしい批評だろう。言外に「死ななかった彼は裏切りものだ、くだらない」ってことだろう。

裏切りである。死んでしまわなかったかつてのトリックスターは、生き恥をさらすことになる。

少なくともそれ以降の仕事には彼がそれまで見せていたすばらしいアイデアやインスピレーションは消えうせる。挙句の果てにプロデュースをナイル・ロジャースにまかせて、アメリカに回帰してセールス的な成功を得るのである。時代をつくってきたもののなれの果ては、時代にあっぷあっぷしながらついてゆくことで売れたという皮肉。彼自身のシナリオならなんて素敵なストーリーだが。

本作はボウイの最高作にして終わりの始まりになった作品である。折しもパンクの嵐が吹き荒れるなかでベルリンで制作された。アメリカからヨーロッパへの回帰といわれるが、このヨーロッパ的なデカダン、けだるい黄昏を表現しているボウイが私は好きである。黒人音楽へのアプローチは本当にうまいが、そのなかにもシニカルな顔が覗いているのが彼らしくてよいのだが、この終わりへの予感、革新が不安になって空にきえてゆくような感覚の表現は彼独特のヨーロッパ的アプローチがあっていると思う。

イーノのシンセが印象的で、透き通った狂気の美しさを浮き上がらせている。パンクが伝統的なものの破壊と閉塞感の打破をわかりやすい力により行う表現なら、同時期のボウイのアプローチは目的地はさらに先をいっていた様に思える。抑えようのない力より、静かな狂気の方がおそろしい。狂気を言いえ代えれば外部の発想である。