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雑記帳 「耳鳴り

 この場所は、このホームページの作者の「屑篭」みたいなものです。 中身は愚痴とボヤキと、それからたまにフィクションと。勿論現存する組織、個人で同名の方が出てきても、何の関係もありません。例によって、暇潰し以外の目的では読まないで下さい。

「リューセージン」に出会った夏('98.11.16)


 

「リューセージン」に出会った夏

 いよいよ11月18日早暁、「しし座流星雨」が極大日を迎える。

 地球が太陽の周りを一年かかってめぐる間、その軌道はいくつかの彗星の軌跡の中を通過する。
 この時、彗星の撒いたチリが地球の重力に吸い寄せられ、大気圏で摩擦し光を放ち、流れ星となって雨のように地球に降り注ぐ。これが流星雨(群)で、 毎年この時期に見られる「しし座流星雨」は、なかでも最も知られているものの一つだ。

 とりわけ、「しし座流星雨」の元となるテンペル・タットル彗星が今年初め、33年ぶりに太陽に接近したあとであり、その他いくつかの好条件も重なることから、 今回は日本で今世紀に見られる最大の天文ショーになるかもしれないと、期待が先行し、マスコミもこぞって報道している。 関係者は運がよければ一時間に百個を越える流れ星が観察できるかもしれないと、控えめだが、1965年には北米で20分間に数万個が観察されたともいわれ、 否がうえにも期待は高まるばかりだ。

 このニュースを聞いているうちに、36年前(東京オリンピックの2年前)の中三の夏休み、友人たちとともに「リューセージン」を追いかけ、捕まえた時の記憶が蘇ってきた。

 「しし座流星雨」ほど派手ではないが、やはり毎年8月中旬に見られるものに、スイフト・タットル彗星による「ペルセウス座流星雨」がある。
 この年、転校して初めての夏休みに出された理科の宿題で、親しい友人達二人と語らい、この流星雨の観察をすることになった。 流星雨が極大日となる前後数日間、友人たちは我が家に泊まり込み、夜中に起き出しては、深夜1時から2時までの1時間、流れ星の数を数えるのである。 3人で背中合わせに座り、1人120度を受け持つ。流れ星が見えると、ダブルカウントしないように、「ひとつ」、「ふたつ」と声を出しながら、指差して数えていく。 幸い天気にも恵まれて、極大日には、1時間のあいだに170を越える流れ星を数えることができた。

 ところで、この流れ星とともに「リューセージン」が地球にやってくることは、あまり知られていない。
 ウェルズの火星人以上に丸い頭と、漆黒の顔を持ち、その姿は余りにも小さいため、顕微鏡を使わなければ見えないほどである。 もちろん罠も捕虫網も通用しない。プレパラートの表面にグリセリンを薄く塗り、さらに火で温め薄く伸ばす。これを先の流星雨の観察と同時間、屋根の上に置いておき、 回収して、翌日中学の理科室で、顕微鏡で覗くのである。

 そんなある日、理科の先生が様子を覗きにきて、何をしているのかと尋ねた。
「実は、これこれこういう観察をテーマに選びました」と説明すると、
「そんな地味な研究では、県の表彰は受けられない。まだ間に合うから、今からでもテーマを変えたらどうだ」
 図体ばかりは大きくても、まだ純真?で傷つき易かった少年達のロマンは、パチンと音を立ててはじけ、キラキラ輝く星屑となって、 宇宙のかなたへと消えていった。
 あとには、プレパラートが何枚か、理科室の片隅で埃をかぶったまま、忘れ去られた。まとめられなかった「流星塵」とともに。

 半年後、春とはいってもまだ桜の蕾も硬い3月半ば、ぼくらは中学を卒業して、3人それぞれの道へと散っていった。
それからしばらくして、理科の先生は県教委に栄転になったと、風の便りに聞いた。

(いの '98.11.16記)

 (余談)

 98年のしし座流星群は、期待されたほどの大出現とはなりませんでした。なんでも、ピークが17日の午前中にずれてしまったようです。スペインなどヨーロッパでは、1時間に2000〜3000個が観測されたとのことでした。
 それでも、この日夜中に起き出して夜空を見上げた人は、かなり多かったようですね。我がマンションの屋上でも、十数人が寒い中、夜空を見上げていました。私も3時40分から1時間ほど見ていましたが、ときおり薄曇が懸かっていたにもかかわらず、十数個を観察することができました。

 とりわけ、4時14分台に流れた二つ(一つはオリオン座方向へ、もう一つは大熊座方向へ)は、きれいな青い流星痕を見せてくれました。 東京の空でも、結構星が見えるんですね。

 こうなったらあとは、来年に期待しましょう。

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