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(pic01) 99年の旅の終着点、そして98年の出発点でもあった西安空港。 (pic02) 空港近くの玉蜀黍畑の中に見えるスリーマイル風の煙突は、渭水火発だそうだ。 (pic03) 畑の中に大小さまざまの古墳群が点在する。 (pic04-07) このあたり地名を咸陽という。咸陽博物館には付近から掘り出されたと言う、身長50cmほどの兵馬像が大量に展示されていた。 (pic08) もう中国ではおなじみの露天市場が道端に並ぶ。 (pic09-13) 兵馬俑坑には体育館のような屋根が3つほど並び、、2m大の大男達が隊列を組むが、撮影禁止。土産物屋のレプリカと後ろの写真からご想像頂きたい。 (pic14) これも土中から出たという馬車の模型は、ホテルのロビーにあったもの。 (pic15) 近くにまだ発掘されていない始皇帝陵があるが、兵馬俑坑は始皇帝の叔母の墓を守るために作られたのだそうだ。手前はこの地方特産の石榴畑。 (pic16-19) 華清池は、玄宗皇帝が楊貴妃の為に造ったと言う温泉付き別荘。後の世の統治者たちも避暑地として利用した。蒋介石はここの裏山で共産軍に逮捕された。 (pic20) 夜はナイトシアターで食事を楽しむ。 (pic21) 中国の街は城市といい、街全体を城壁と外堀が囲っていたが、今ではその姿をはっきり留めるのは、ここ西安と荊州ぐらいだ。 (pic22-25) 城内への入り口は、東西南北の4つの門しかない。その一つ、西門を見る。城壁は想像以上に厚く、まるで堤防のようだ。跳ね橋を渡ると城門の入り口は狭く、馬車がすれ違うこともできない。更に内側には四方を壁で囲まれた関所があり、二重の門を抜けて城内に入るのは容易い事ではない。城郭に登ると、窓の外にかつてのシルクロードがあった。古の旅人達は、どのような思いでここを旅立ったのだろうか。 (pic26-32) 大雁塔の内部は急な階段が続く。上層から見ると、四方に向かって、真っ直ぐな道がどこまでも続いていた。 (pic33) 以前は香港名物だった二階建てのバスも、大都市では珍しくなくなった。ただどこも信号が少ないので、交差点では自転車も道を譲らない。 (pic34-36) 郊外に散在していた石碑を一個所に集めたのが碑林。書の好きな人にはいいかもしれない。雨の日の夕暮れでは、何が書いてあるのかよく判らなかった。 (pic37) 番外だが、西安にはジェットコースター付きの遊園地もあった。 (pic38-39) 西安駅の一等待合室は、薄暗いが落ち着ける。ここから洛陽へは、二階建ての軟坐(一等)車で向かった。 (1999年9月) (pic8,10-12,14,16,17,27,33-39は98年9月)
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