誰しも、子供の頃に実際に見たのかどうかさえ定かでは無い風景が、永い年月を経た後になって、何かの拍子に記憶の底から、ふっと頭に浮かんで来るなんていう経験の二つ三つは、有るのではないでしょうか。
私の場合、そんな記憶の一つに、こんなものがあります。時は夕暮れ、季節は真冬では無かろうということ以外、はっきりしません。子供の頃に住んでいた家の北側に、普通の家が10軒以上は建ちそうな、広い空き地が在りました。その一角に私が一人ぽつんと、北を向いて立っています。 辺りには人影も、いや犬の仔一匹すら見当たりません。ただ、夕餉の仕度と思しき煙が二筋、三筋。見上げると、西の空は既に小半時も前に陽が沈んだのでしょうか、次第に赤みが薄れ、東の空は次第に彩度を失って、青から濃紺に変わりつつあります。 ようやく明るい星が一つ二つ輝き始めようかというそんな中、西北の空に、明るい大きな箒星が、長い尾を引いて懸っています。 その尾の長さは北の空を越えて、次第に黒味を増しつつある、東の空にも届こうかと言わんばかり。 前後に何の脈絡も無く、ただその箒星を支える空だけが、まるでミレーの絵か何かのように、何年に一度か、ふっと頭に浮かんで来るのでした。 何時の頃からか、「例え、子供の頃の経験が、多少誇張されて記憶されているにせよ、或いは当時どれほど目が良かったにせよ、そんなに明るい空に、そんなに見事な箒星が見えるはずが無い。 あれは現実ではなく、夢か幻だったのではないか」と言い聞かせて、自分を納得させるようになりました。 ところが先日、ある2チャンネルの掲示板で、こんな記事を見つけました。整理すると、<書き込んだ女性のお母さんが、数十年前に見事な彗星を見たといっている。 誰か、それが何だったのか知らないだろうか。>という内容です。早速数人から、いくつかの可能性が寄せられました。私の目を惹いたのは、そのうちの一つ。 1957年の春(4・5月)、アラン・ロラン彗星が出現。夕方、西北の空に懸り、尾の長さは30度にも達したと言うのです。これです、これです。時期といい(その年、私は9つ、記憶に残るその場所に住んでいたのは、6歳から14歳までです)、見えた方角・見え方といい、まず間違いありません。 そうなのです。あれはやっぱり、夢でも幻でもなかったのです。 もう一度、あんな見事な箒星が見てみたい。思いが募ります。折しも、今年は二つの明るい彗星が、同じ空に同時に懸るという話が、マスコミを賑わせているではありませんか。しかも、一生に二度とないチャンス。どうせなら、最高の条件で見られるオーストラリアで。 というわけで、初の英語圏海外旅行記です。中国と違って、筆談は通じません。はてさて、どうなりますことやら。 | |||||||||
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(追記)
今回の旅行で気がついたことが、二つあります。 一つは、月の無い夜に空が曇っていると、
(1) 東京では、空が明るく白く見えます。街の明かりが雲に反射するためです。 (2) クーナバラブランでは、空が黒くて何も見えません。雲に反射する街の明かりが、殆ど無いからです。 二つは、月の無い夜に空が晴れていると、 (1) 東京では、足元がボヤーっと明るく見えます。街の明かりが、大気中のチリやガスに乱反射するためです。 (2) クーナバラブランでも、足元がボヤーっと明るく見えます。星明りが照らし出すのです。 この数十年の間に、私たちは何を手にし、何を失ってしまったのでしょうか。
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Photo by INO, Shohta with NIKON D70改 and Coolpix4500. |
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