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クーナバラブラン滞在記
−− オーストラリア、NSW州、2004年5月 −−



    誰しも、子供の頃に実際に見たのかどうかさえ定かでは無い風景が、永い年月を経た後になって、何かの拍子に記憶の底から、ふっと頭に浮かんで来るなんていう経験の二つ三つは、有るのではないでしょうか。

    私の場合、そんな記憶の一つに、こんなものがあります。時は夕暮れ、季節は真冬では無かろうということ以外、はっきりしません。子供の頃に住んでいた家の北側に、普通の家が10軒以上は建ちそうな、広い空き地が在りました。その一角に私が一人ぽつんと、北を向いて立っています。 辺りには人影も、いや犬の仔一匹すら見当たりません。ただ、夕餉の仕度と思しき煙が二筋、三筋。見上げると、西の空は既に小半時も前に陽が沈んだのでしょうか、次第に赤みが薄れ、東の空は次第に彩度を失って、青から濃紺に変わりつつあります。
ようやく明るい星が一つ二つ輝き始めようかというそんな中、西北の空に、明るい大きな箒星が、長い尾を引いて懸っています。 その尾の長さは北の空を越えて、次第に黒味を増しつつある、東の空にも届こうかと言わんばかり。
    前後に何の脈絡も無く、ただその箒星を支える空だけが、まるでミレーの絵か何かのように、何年に一度か、ふっと頭に浮かんで来るのでした。
    何時の頃からか、「例え、子供の頃の経験が、多少誇張されて記憶されているにせよ、或いは当時どれほど目が良かったにせよ、そんなに明るい空に、そんなに見事な箒星が見えるはずが無い。 あれは現実ではなく、夢か幻だったのではないか」と言い聞かせて、自分を納得させるようになりました。

    ところが先日、ある2チャンネルの掲示板で、こんな記事を見つけました。整理すると、<書き込んだ女性のお母さんが、数十年前に見事な彗星を見たといっている。 誰か、それが何だったのか知らないだろうか。>という内容です。早速数人から、いくつかの可能性が寄せられました。私の目を惹いたのは、そのうちの一つ。
    1957年の春(4・5月)、アラン・ロラン彗星が出現。夕方、西北の空に懸り、尾の長さは30度にも達したと言うのです。これです、これです。時期といい(その年、私は9つ、記憶に残るその場所に住んでいたのは、6歳から14歳までです)、見えた方角・見え方といい、まず間違いありません。
    そうなのです。あれはやっぱり、夢でも幻でもなかったのです。

    もう一度、あんな見事な箒星が見てみたい。思いが募ります。折しも、今年は二つの明るい彗星が、同じ空に同時に懸るという話が、マスコミを賑わせているではありませんか。しかも、一生に二度とないチャンス。どうせなら、最高の条件で見られるオーストラリアで。

    というわけで、初の英語圏海外旅行記です。中国と違って、筆談は通じません。はてさて、どうなりますことやら。


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第一日目(成田 − シドニー)
 5月15日、いつもの中国行では午前の便が多いため、朝の始発の電車であたふたすることが多いが、今回は夜間飛行になるので、ゆっくりと18:30に成田集合。
 託送荷物の検量で、私の前に並んだ人のスーツケースが29kgを指し、「帰りには減らしてください」と注意される。私のは27.1kgで何も言われなかったが、「Heavy.(運ぶには手伝いが要るかも知れない)」と書かれたタグが付いた。今回のツアーの主催者、コプティック星座館の店長から、ドブ(ドブソニアン式=大きさのわりに、軽く動かせるように設計された、反射式経緯台。この型で、大口径の反射式を自作する人もいる)を持ち込む人が居ると聞いていたが、やや細身の黒いドラム缶が何本か、荷物に混じる。
 機内持ち込み手荷物の検査では、珍しくピンポン鳴らなかった。いつもと同じように、リュックサック、カメラケースは勿論、小銭入れ、キーホルダー、ボールペン、タバコ(これの銀紙が結構鳴るらしい)、ライター、ガムなど、疑わしいものはすべてトレーに乗せる。ベルトはと、えーい、ままよ、鳴ったら鳴っただ。無事通過。
 20:45 ほぼ定刻通り離陸した。
 22:00 水平飛行に移ってしばらくすると、機内食(夜食)が出る。スチュワーデスは洋食と言わずに「Japanese or English?」と聞いた。和食には、少しだけ蕎麦が付いた。食べ終わったら、さっさと寝る。長時間の禁煙に耐えるには、これしかない。


第二日目(シドニー − クーナバラブラン)
 05;00 二度目の機内食(朝食)が出る。
 06:30 ほぼ定刻通りシドニー着。
 入管は、列の長さの割りにすんなり抜けたが、検疫は大変。「食べ物、植物の種を持っている人は、申告しないと最悪拘留も」と脅かされ、梅干を申告することにして、検疫カードの「食べ物申告有り」にチェックを入れる。
 行列の振り分けをしていた恰幅の良い女性は、私のカードを見て、申告有りの行列に並ばせる。おいおい、この列さっきから殆ど進んでないよ。暫くして、私が申告無しの列の人たちと話しているのを見た別の女性が近づいて来て (団体客だと気が付いてくれたらしい)、手にした梅干を見ると、申告無しの列の後に移してくれた。しかし、皆より大分遅れてしまったぞ。やがて、私の番。背中のリュック、カメラケース、そして成田で買った煙草1カートン (もうどこにも入らない) と、リュックの底から取り出した、汁が垂れないようビニールで厳重に包んだ梅干のケース。担当官は私の手から梅干を取り上げ、顔の前にかざして見ていたが、そのまま煙草の袋に放り込んで、X線のベルトコンベアに。機械の反対側にいた係官は、これまた煙草の袋を取り上げ、一旦は顔の前にかざしてみたが、結局そのまま手渡してくれた。
SydneyAp1  通り終えてみれば、グループの半分はまだ機械の向こう側に並んでいる。やっと到着ロビーまで出て来た。機内で左の窓際に座って居た何人かが、夜明け前の空に、リニア彗星が見えたという。吉兆か。皆がトイレに行っている間に、空港前の灰皿のところで、半日ぶりの一服。うーっ、くらくらするぅ。
BlueMountain11  8時にバス発車。いよいよ目的地のクーナバラブラン(Coonabarabran)に向けて、約600kmのバス旅行の始まりである。スーツケースをバスの腹に押し込み、リュックとカメラケースを身体に巻き付けたままで、バスに乗り込む。48人乗りのバスに30人なので、中は割りとゆったり。紫外線が強いためか、窓には厚手の遮光ビニールが貼ってある。バスは晩秋の朝日を浴びて、一路内陸へと向かう。程なく、車窓に映る景色は郊外のそれに変わった。
BlueMountain12  10時にブルーマウンテン (Blue Mountains) で休憩。  最初のトイレ休憩と、バスの運転手が交代し、すぐ出発。のつもりだったが、レンタカーで付いて来ているはずの、現地ガイドの佐藤氏がなかなか現れないので、しばらく待つことに。で、一服のつもりが、二・三服。ここでは木の枝から、真っ白い野生のオームが一行を出迎えてくれた。
Mudgee11  再出発後しばらくは、遠くに渓谷を見ながらの景色が続く。
 12:30頃 マジー (Mudgee) の住宅街に在る公園で、佐藤氏が用意してくれた弁当の昼食を摂る。
 ここでちょっとした事件が起きた。弁当を食べ終え、公園を写真におさめていたところ、突然右目を木の枝か何かで払われたような感じがして、強い痛みに襲われた。
Mudgee12  タラタラと涙が出てくる。慌てて手の甲で右目を押さえ、それを左目で見てみたが、血は出ていなそうだ。無理矢理右目を開くと、視力はある。しかし、強い痛みは治まらない。後になって冷静に考え直してみると、木の枝から飛び立った鳥に、当て逃げされてしまったのかも知れない。
Mudgee13  幸い、今度の旅行では珍しく目薬を持参していたので、これを差しながら様子を見てみる(だが、バスはどんどん都会から離れていく。今日は日曜日。何かあったらどうしよう?)。
 そのままバスに揺られること二時間余り、15:30頃、目的地のクーナバラブランのモーテル (Acacia Motor Lodge) に到着する頃には、ようやく痛みが少し和らいで、涙も僅かになった。目はちゃんと見えている。やれやれ、ともかく一安心。周りの人には黙っておいた。一日目から、皆の気分を殺がないで済んで、本当に良かった。

 (この話には、実は後日談がある。帰国してから1ヶ月近くも経ったある朝、目が覚めると、右目に激しい痛みを覚えた。どこかにぶつけた様子も無い。数分すると痛みは治まったが、一日中右目がゴロゴロ、涙目状態。2,3日、毎朝同じ状態が続き、市販の目薬を注しても改善しないため、とうとう眼医者に駆け込んだ。診断は「連続性角膜剥離の疑い」。  要するに、「目にごみが入るなどして、角膜に傷がつき、剥離する。通常はすぐ再生されて終わるが、寝ている間は涙が出ないドライアイ状態のため、目が覚めたときに、瞼の裏側に再生中の角膜がくっ付いて、剥がれてしまうことがある。これを繰り返すと大変なことになりかねない。」と脅かされた。
 現在、処方された軟膏を寝る前に目に塗って、様子を見ている。ただ、上の事件から時間が経ち過ぎているだけに、関係が有るかどうかは、定かでない。
 この時、眼科で視力検査も受けた。右目裸眼1.2、左目0.6乱視矯正後1.2。1週間パソコンを見なかったから? クーナ効果とでも名付けようか。)

 部屋で荷物を解いて一服し、観測用機材だけを纏めてから、17時に再び出発。ロッジからバスで、観測予定地の村営空港に向かう。ニューウェル・ハイウェイ(Newell Highway)を南西に10分程走ると、空港入り口の看板がある。ここからは、曲がりくねった一本道を山へ登る。と言っても、街の中心部が海抜600m程、空港が同1,000m程というから、大した高度差は無いのだが、なにせ一車線、それも舗装部分はバスの幅ほどもない道である。所々急に険しくなり、バスはギアをローに入れ直し、息つきながらようよう上っていく。
 二・三箇所、バスの幅ぎりぎりの、狭いゲートのようなものを通り抜けた。通過時にバスがスピードを歩行者並みにまで落とし、ヤケにガタガタ揺れると思ったら、現地の人がグリッド(だったと思う)と呼ぶ、そう、ちょうど地下鉄の通気口を蓋しているような、幅数十cmの金属網(モンローの「バスストップ」に出てきたようなやつ)が敷いてあった。
 空港の周辺は牧場になっており、牛や羊は(臆病なので)、これを渡って出歩くことができないのだそうだ。最後の急坂を越えると視界が開け、バスは平らな牧場の中を走る。
 やがて前方に一軒の農家が、と思ったら、その向こうに金網と、小型のセスナ(?)機が。この建物が、空港の管理棟だった。ここで、ウェルカム・ディナー。定期便が復活してしまい、夕方の便の到着まで、滑走路は使えなくなったと聞いていたが、飛行機が飛び立つ様子は無い。一応定期だが、客がいなければ飛ばない、ということらしい。
SouthPole1  日が暮れると共に、頭上に天の川が、そして全天に、中学生以来久しぶりに眺める、降るような星が瞬き始める。ベテラン諸氏が、あれが南十字星、これがエータカリーナ星雲、あそこを双眼鏡で見るとオメガ星団などと説明してくれるので、しばらくは他の事を忘れて、双眼鏡に見入る。後になって振り返ると、結局この日のシーイングが一番良かったようだ。勿論、新鮮味もあるが。
 ポタ赤 (ポータブル赤道儀=星を点に写す為、望遠鏡やカメラを地球の自転分だけ回転させるようになった、モーター付き架台) を三脚にセットして、撮影テストを始めたが、「あれ、星が流れる」。オーストラリアでは、星が天の南極を中心に回転する。うっかりして、南半球用にポタ赤をセットし直して来るのを忘れた。余りにも初歩的ミス。「すいません。誰か、先の尖ったピンを持ってませんか?」(赤面しても暗闇で助かった)。
 ベテラン諸氏と新人グループは、後に残ったが、自分は23時の定時のバスで宿に引き揚げる。まだ残り5日有るし、最初からテンション上げ過ぎると、身体が持たないかも。


第三日目
Coona31  今日の昼間は、一日予定が無い。午前中はテレビを見ながら、ベッドの上で身体を休める。
 昼になったが、大して食欲も無い。 確か、隣に中華レストランが、街中にサンドイッチハウスが在ると言っていたな。 少し、街の写真でも撮りながら、散歩してみるか。
Coona32  クールピクスをぶら下げて、出かけてみる。モーテルの前を走る通りはニューウェル・ハイウェイ。ハイウェイと言っても、片側一車線の何の変哲も無い舗装道路。右が中華レストラン、左(北)が教会だが、商店街はその先にある。
 村の人口3,000人余り、郡?(Shire)の人口を合わせても7,150人という小さな村落である。街の目抜き通りといっても、店が並ぶのはせいぜい200m足らず。あっという間に端まで来てしまう。一番北側のロータリーの真ん中に、写真で見た時計台が有った。この付近が、裁判所や警察、郵便局等が並ぶ、街の官庁街らしい。折り返し始めたところで、ツアーメンバーの一人に会う。スーパーに買い物に行くというので、付き合うことにする。1軒目は、やや大きめのコンビニ程度の広さ。
Coona33  交差点の反対側に30m程歩くと、もう一軒、酒屋兼スーパーの看板。BI-LOという店名は、テレビでもコマーシャルをやっていたから、チェーンストアかな。こちらの方が大きそうだ。自分はさっきの店で、水とチョコレートを買ってしまったので、店の前で一服しながら、連れが出てくるのを待つことにする。
Coona34  入り口から覗くと、レジの脇、入り口から見えるところに、特大の文字で、「喫煙は隣人を殺す。下記に電話を!」とか何とか書いてある。まさか、タレコメってんじゃー、無いよな。店のお姉ちゃんが、買い物籠を乗せるキャリアーを片付けに、外に出てきたが、口にはちゃんと咥えタバコ。車で買い物に来る連中も結構吸っていて、妙に一安心。
Coona35  宿まで戻って来たところで、更に数人のメンバーが出て来る。隣の中華レストランで、昼食だと言う。食欲は無いが、後学のために付き合おうか。金海龍飯店の米は、予想したほどひどくは無かった。佐藤氏の話だと、ここオーストラリアでも、日本から持ち込まれたジャポニカ種が作られているのだそうだ。勿論田圃は無いので、陸稲である。
Coonabarabran Airport1  ロッジの部屋で、夕方まで寛ぐ。
 ほぼ昨日と同じ時間に、クーナ空港に到着。丁度我々が着いたときに、小型機が飛び立った。昨日の飛行機の姿が見えないから、あれが定期便なのだろう。二時間ほどしたら、帰ってきた。
Coonabarabran Airport2  エプロン際で撮影を始めたが、なかなか星が点になってくれない。局軸合わせがいい加減なこともあるが、カメラが重過ぎるようだ。クールピクスと同じような訳にはいかない。飛行機の重量制限を気にし過ぎず、やはり、もう一回り上のポタ赤を持って来るべきだったか。
エータカリーナ  暫くカメラのシャッターを押していたが、21時ごろには雲が空全面を覆い尽くし、星は見えなくなってしまった。夕方テレビで見た天気予報では、大陸を南北に縦断する長い雲の影が、次第に近付いていた。明日あたり、一雨来るのかも知れない。足早に去ってくれればいいが。
 バスに乗って、宿に帰投。シャワーを浴びて、すぐ休む。
 今朝、シーツの交換に来たときに、部屋のドアを開けっ放しにしていたが、この時紛れ込んだのだろうか。どこからかコオロギの鳴き声がする。どうも冷蔵庫の裏辺りに隠れているようだ。


第四日目
Narrabri1  朝、早めに目が覚める。テレビのチャンネルをガチャガチャ(では無かった、リモコンをピコピコ)やっていると、昨夜のNHKのニュースが流れていた。
 10:30にロッジ発。ニューウェル・ハイウェイを北へ向かって、バスで1時間余り走る。
Narrabri2  次第に、北の空の一部から青空が顔を覗かせる。バスの周囲は、殆ど人の手が入っていない自然林。所々、樹皮の黒くなった一角がある。自然発火の跡だという。 ユーカリの木の実は表皮が硬いため、表面を焼かないと発芽できないらしい。焼けてしまった木々は、それでも数回の雨を受けて、数ヵ月後にはまた芽吹くという。自然の摂理は奥が深い。
Narrabri3  11:30頃、ナラブライ(Narrabri)電波天文台着。まず、手前の建物内で簡単な説明を受け、ヘルメットを被って、電波望遠鏡の下へ。高さ約20m、確かにデカイ。レールの上に乗ってゆっくり移動する様は、「ナバロンの要塞」の砲身を思い出させた(一体何人覚えているんだ?)。 Narrabri4  6台の望遠鏡の相互の距離を変えることで、全体が1台の望遠鏡として働くよう、焦点距離を変えているようだ。此処の6台の他に、北の町に在る1台と、南の町に在るもう1台を連動させると、直径320kmの大電波望遠鏡が出来るという。
 次に、研究棟を覗く。海外からの研究員の受け入れも盛んなようだ。
Narrabri5  見学を終え、Tシャツも買って、天文台の敷地で昼食。モーテルの隣の中華レストランから運んできた弁当を食べる。周辺を保護自然林に囲まれているせいか、野生のオームやインコが、頭の上を飛び回っている。
Narrabri6  足元はカンガルーの糞だらけ。13:30頃、天文台を発って、バスでクーナに戻る途中、セルフのガソリンスタンドで給油。14時頃から、パラパラと雨が降り始める。


Narrabri7  バスは、周りに人家も何も無いところを、ひたすら走り続ける。道は片側一車線だが、所々追い越し車線が作られている。時々「この先○km、カンガルーの飛び出しに注意」の道路標識が目に付く。路線バスが走っているのかも知れないが、番地がないようで、所々に立っている地名表示は殆ど「○○クリーク」。小さな枯れ掘が地名になるとは。
 15:30頃には、ロッジに着いた。
Narrabri8  17時になったが雨が止まないため、22時まで様子を見て、最終決断しようということに。
 22時少し前に、賑やかな声が聞こえる部屋を覗いてみると、既にご機嫌モードの人も何人か。結局、昨日置きっ放しにした荷物を、空港に取りに行くという数人を除き、大部分の人が観測断念(23時過ぎに雨が上がって、23:30には星が見える。残念)。


第五日目
Coona51  7時に、いつものように、本棟のレストランで朝食を摂る。セルフなので、つい取り過ぎてしまうのがいけない。メニューは余り変わらないが、フルーツとヨーグルトが数種類出るし、厭きてしまって食べられないなどということもない。
Coona52  食べ終えて外に出たところで、足元の芝に、カラフルな野生のインコが居た。人慣れしているせいか、傍まで近づいても逃げない。カメラを取り出したところで、屋根まで飛んでしまった。

Coona53  今日も昼間は予定が無い。午前中はテレビを見ながら、ベッドの上で身体を休める。時々テラスに出て一服。私の部屋は一階なので、目の前に小さなプールが在る。


Coona54  勿論晩秋のこととて、泳ぐ者もいない。このプールの周りに、よく小鳥 (こちらの小鳥は、日本のそれより二回りほど大きい) が飛んで来る。と言っても、派手な色のは少なく、黒と白のヤツが多いが。

Coona55  昼過ぎ、街中へ出てみる。相変わらず食欲は無いが、サンドイッチハウスが空いていたので、入ってみる。テーブルが数卓と、ショーケースにサンドイッチの中身が数種。持ち帰り(Take away)の客が多いようで、テーブルに座ってメニューを見ている間にも、ショーケースを見ながらこれとこれとか言って、作ってもらっている。こちらは、コーヒーとサンドイッチを、そしてもう一つ、夜食用に持ち帰りのサンドイッチを注文。計約800円。やけに安いと思ったら、ママさんが、「ほんとに一つでいいの?」と聞いてくる。曖昧に「Uh, Yah!?」と言って会計を済ませると、「じゃー、食べ終わってからでもいいから、足らなかったら声を掛けてね。奥に居るから。」(多分そんなようなことを言ったんだと思う。自信は無いが。)
Coona56  やがて出てきたサンドイッチを見たら、薄切りの食パン二枚で1セット。成る程、そういうことか。でも今日の私には、これで丁度良い。ゆっくりコーヒーを飲み終えてから、飲み水を買いにBI-LO(スーパー)へ。
Coona57  一昨日のスーパーよりかなり広い。魚以外は、食料(缶詰や冷凍が多いが)も日用品も、大体揃いそうだ。レジで打ち込みを待つ間、日本円に換算するといくらかなどとボケッと考えていたら、お姉ちゃんに突然「How are you today?」と言われ、面喰らって咄嗟に「え?」と言ってしまう。もう一度言われて「Oh, yah, ah,,, fine...」と、我ながらいかにも間の抜けた受け答え。釣り銭を渡されながら「Have a nice day!」と言われる頃には、「You too.」、多少心理的余裕が出来てきた。
Coona58  しかし、オーストラリア人て、こんなに人懐っこい人種だったの。大昔の、英会話学校の教師一人しか知らないから、、、彼の個性だけじゃなかったのか。
 ところで、写真でお気付きかと思うが、クーナの街には信号が無い。街の南側の入り口に、一箇所有っただろうか。しかし、ハイウェイを向こう側に渡ろうとして、見えている車を遣り過ごしてからと立ち止まっていると、大抵向こうが止まってくれる。日本の地方の街に比べれば、交通量がさほど少ない訳ではない。やはり国民性なのだろうか。それでも、多少大きな街に行くと、「歩行者を優先しましょう」と書いた標識が有るが。
 16:00 ロッジ発。今日から合流する後発組と一緒に空港に向かうはずが、予定より到着が遅れ、連絡もつかない。草原や自然林の真ん中を走っていれば、携帯が通じなくとも不思議は無いが。先に出発して空港で待つことにしたが、途中でバス同士すれ違う。
Coonabarabran Airport3  16:30 クーナ空港着。
 空港で二回目のウェルカム・ディナー。
 もう定期便は帰って来たので大丈夫と踏んで、皆が滑走路に散らばったところで、突然照明が点灯。無人空港なので、点灯は飛行機からコントロールするのだそうだ。着陸しようがしまいが、一定時間経つと自動的に点滅に変わり、更に数分後に消灯するらしい。
Linear1  と言うことは、臨時便が来ると言うことだ。一旦機材を残して、網の外に退避。やがて、定期便のセスナ(一度覗いてみたら、操縦席を含めて6人乗りだった)より一回り大き目の機体が着陸。この時、この臨時貨物便の操縦士が、航空管理局かどこかに、滑走路に危険物が散らばっているとか何とか、通報したらしい。その後しばらくは、上空を別の機が通り過ぎるたびに、30分程照明が点灯。嫌がらせなのか。
Neat1  今日から、いよいよ夕方の空に、リニア彗星が姿を見せ始める。二彗星競演の始まりだ。地球最接近直後のリニア彗星は、さすがにニート彗星より見応えが有る。誰かが「昨日まで明け方の空に見えていたのに、なぜもうあんなに高いところに有るの?」と聞いている。『太陽よりもずっと南に見えるからだよ』
SouthPole2  天の南極を中心に、今度は少し短めのシャッターを切ってみる。頭の上の天の川から地平線付近まで入れて。画面中央右端に赤く見えているのが有名なエータカリーナ星雲。その左上、天の川が黒く抜けているのが、石炭袋 (コールサック) と呼ばれる暗黒星雲で、すぐ右上に南十字星がある。更に天の川に沿って左上に進むと、明るい二つの星。左がリギル・ケンタウルス、いやむしろアルファ・ケンタウリで通っている。勿論ゲームの名ではなく、地球からの距離4.3光年、太陽のすぐ隣の恒星であり、様々な話題を提供してくれている。画面下部の白い雲のようなものは、右が大マゼラン雲、左が小マゼラン雲、共に我が銀河系の伴銀河だ。ナラブライ天文台にあったゲーム機で、「銀河系に最も近い銀河は?」と言う質問の答えが、この「大マゼラン雲」。
Scorpion  ところで、この空港、ローカル空港にしては結構デカいと思ったら、滑走路の長さは2000m以上で、ジェットも降りられる大きさなのだそうだ。ただ、計器類の装備が全く無いため、現実には使われていないという。我々のメンバーは、殆どがエプロンの隅に、こじんまりと固まっている。23時過ぎ、いつものように、定時のバスで宿に帰る。


第六日目
Warrumbungle01  10:30 ロッジ発。今日から、乗客が増えて、48人乗りのバスに40人。満員で窮屈かと思ったら、そうでもない。何人か寝てるのかな。当初現地では、61人乗りのバスを手配したらしいが、空港への狭い道が通れないとのことで、一回り小さいバスにしたと聞いた。これは正解。
 11:30 ワランバングル国立公園 (Warrumbungle National Park) 着。


Warrumbungle02  早速、カンガルーの群れが出迎えてくれる。そのうち、2匹が立ち上がって、ボクシングを始めた。何たるサービス過剰! 勿論、調教師など居るはずもない。昼食の準備が整うまで、暫くはこのカンガルーの群れを追いかける。
Warrumbungle03  どこかで、ワライカワセミがけたたましい声を上げている。13時、公園でバーベキューの昼食。いつものケータリング・バーベキューだ。




Warrumbungle04  食事を終えた後、「運が良ければコアラが見れますよ」と言われて、自然林の一角を散策。ユーカリの木の上の方の、大きな叉を探すのがコツと言われたが、結局見られずじまい。最近は、余り見られないらしい。
Warrumbungle05  佐藤さんの話だと、一方で天文台周辺など、保護・規制の行き届いた地域では、増えすぎて、困っているところも有るようだ。




Warrumbungle06  遠くに、エミューが一羽、姿を見せた。









Warrumbungle07  13:30 バスで一旦ロッジに帰る。途中、タイマーロック(Timor Rock)で写真撮影。海底から吹き上げたらしいが、まるで「未知との遭遇」で見たデビルズタワーか、モニュメントバレーのようだ(行ったこと無いので、どっちも良く知らないが)。
 15:30 ロッジ着。
Racecourse1  何時もよりやや早めに、16時頃ロッジ発。昨日のトラブルのことが有るので、今日は真っ暗になるまで町営競馬場で撮影、その後、飛行場に移るという。


Linear2  クーナバラブラン競馬場は、ロッジから直ぐのところに在った。草競馬場といっても、結構広い。屋根の付いたメインスタンドや、乗馬クラブの建物、出走を待つ間の厩舎などが並んでいる。レースで使われるのは、クーナバラブラン杯が行われる年一日だけという。
Neat2  いつものように、ケータリングの夕飯をそこそこにかっ混んで、機材のセットに取り掛かる。
 西が大きく開けているので、広角レンズを使えば、2彗星を一枚の画に写し込めるかと思ったが、カメラの向きのセットがいい加減で、僅かのところで失敗した。
Linear3  正面の民家の明かりは、距離が有るので余り邪魔にはならないが、時々真横から差し込む遠くの車の明かりが結構気になる。



Neat3  とりあえず、写っても写らなくても、180mmレンズで、リニア(上)とニート(左)を撮っておく。おっと、いけない。周りの人達はもう片付け始めている。撤収、撤収。
 20時過ぎに、競馬場を離れ、いつもの飛行場に向かう。
 20:30 Coona空港着。
 今日は少し頑張ってみるか、と意気込んで、暫くは撮影に没頭する。ふと我に返り、辺りを見まわすと、いつの間にか殆ど人影なし。滑走路の奥のほうに、辛うじて一組。東側のエプロン脇には2−3台。赤道儀のコントローラーの赤いランプが、仄かに見えている。
M8_1  急に寒さが身に沁みてきた。心なしかM8干潟星雲も縮こまって見える。拡大写真で見ると、M8の右上にM20三裂星雲、画面中央の左側には南斗六星の一部が、画面左上にはわし星雲やオメガ星雲なども存在が確認できる。天の川が濃いが、この方角は、我が銀河系の中心部なのだ。そう言えば、天気予報での今日の予想最低気温は0℃。丁度レンタカーも戻ってきたし、ボチボチ引き上げるか、と片付けていたら、置いて行かれてしまった。
SouthPole3  とりあえず、飛行クラブ・ハウスに避難。店長と常連さんが数人、暖を取っていた。車を待つ間に、外に出てもう一服。ついでに小用も足しておこうと、管理棟のトイレへ。ヘッドランプの電池が切れてしまったが、歩き慣れた道、足元は星明りで見えている。建物内は真っ暗だが、右斜め前に7歩、扉を開け、真っ直ぐに2歩、更に左手の扉を開けて・・・・・。「あー、すっきりしたぁ」と思った瞬間、突然鼻先で「バコーーーン」と大音響。この夜、室温も0℃まで下がったそうで、冷えたブリキが温度差で撥ねた音だった。あー、心臓が止まる思いだった。
 27:30 やがて戻ってきたレンタカーで、宿まで送ってもらう。


第七日目
SidingSpring01  10:30 今日はサイディング・スプリング天文台 (Siding Spring Observatory) の見学。途中までは、昨日と同じ道を走る。




SidingSpring02  天文台入り口の看板で右に折れ、山道へ。夜間は、観測の障害にならないよう灯火制限されるとのことで、サイドランプの僅かな明かりでも判るように、道の真ん中に反射板が埋め込まれている。小一時間で到着。
SidingSpring03  11:00 まず、高台に登って周囲の景色を眺める。昨日行った、ワランバングル国立公園も足元に見える。大昔の火口壁の上と言われても、既にあちこち風化が進んで、輪山の趣は残していない。そう言われれば、いくつかの山が楕円形に並んでいるか?という程度。
SidingSpring04  次に、口径2.3mの反射望遠鏡を見学。周りの人には内緒だが、実際に天文台の内部を見るのは初めてである。
 13:00 天文台の食堂で、サンドイッチとスープで昼食。食堂兼土産物屋だが、ここで韓国から来たというグループに会った。彼らもクーナに滞在していると言う。




SidingSpring05  最後に、施設内最大の主鏡AAT(Anglo-Australian Telescope)、3.5m望遠鏡を見学。ドームの入り口から入るときに、頭の上を飛び抜けたものがいてビックリ。何と、ドーム内にツバメが巣を作っている。有名なコメットハンターの、Malcolm Hartley氏が説明に同道。最近は、過去の発見彗星のフォローアップに忙しいらしい。ところがこの望遠鏡、只今休止中。

SidingSpring06  まー、昼間の見学だから、同じことだが。なんでもドームのスリットのカーテン(勿論、金属製だが)が動かなくなってしまい、修理が済むまでビニールシートで蓋しているんだとか。


SidingSpring07  望遠鏡の下に(といっても2階だが)潜ってみる。反射鏡のメンテナンス用に、大きなアルミのメッキ(蒸着)装置が在った。年1回は塗り替えるという。装置が大きいので、個人でも希望があれば、空きを利用して同時に蒸着してくれると言う。しかし、個人の反射鏡でこんなに薄い塗工では、後の管理が大変そうだ。13:30にバスで帰路に着く。
CoonaAp61  15:30 ロッジ着。
 16:00 再びロッジ発。
 16:30 クーナ空港着。いつものように食後観測に入る。西の空に雲が有り、研鎌のような月と宵の明星が、薄絹を被ったように霞んでいる。これ以上広がらなければ良いのだが。






Antares1  やはり、次第に薄雲が架かってきたようだ。アンタレスもM8も、フィルターをかけたように滲んでいる。23時過ぎ、最終日なので、翌朝寝過ごしてもいけないと思い、最終のバスで宿に帰ることにする。

M8_2  この夜、レンタカーは2回ほどカンガルーとニアミスをした後、最終便は遂にカンガルーに衝突したそうだ。勿論、ちゃんとカンガルーバンパーが付いていたのだが、一旦これに当たってから、もう一度横腹に当たったらしい。修理代は保険が掛けてあるが、一部免責だけで数万円負担させられると、佐藤氏がぼやいていた。結構凹んだらしい。幸い両者とも死亡事故にはならなかったが、カンガルーは筋肉質でゴム鞠のように弾むため、当たり方が悪いと、フロントガラスを破って飛び込んで来るという。


第八・九日目(クーナバラブラン − シドニー − 成田)
Mudgee21  週末で道路が混むといけないから、少し早めに出発すると言われた、その集合時間にも少し間があるせいか、バスのそばには、まだ誰も来ていない。そう言えば、コミュニティセンターに街の地図が有るとか言っていた。記念に一枚貰って帰るか。
Mudgee22  だが、センターの前まで来てみると、扉が閉まっている。10時前では駄目なのか、と考えてみたら今日は土曜日。また、失敗してしまった。帰り道、Nickに会う。「コーヒーを飲んで来る」と言い残して歩いて行った。そうそう、夕方まで一人でバスを運転するんだから、しっかり目を覚ましておいてくれ。
Mudgee23  10:00にモーテルのオーナー夫妻?に見送られてクーナを出発。2時間半ほどかかって、マジーの街に到着。
 12:30 繁華街の中華レストランで昼食を摂る。クーナより大分大きな街らしく、繁華街も面的拡がりがある。ちょっと見ただけで、大きな教会が3つも見えた。オーストラリア人は敬虔なのか。




Mudgee24  ここでも街のシンボルはロータリーに建つ時計台。それぞれ個性的な造りだ。13:20、マジー発。





Mudgee25









BlueMountain21  往路は、ブルーマウンテンの景色を車窓から眺めただけだったが、帰路は寄り道して峡谷美を見せてくれるという。




BlueMountain22  15:50 ブルーマウンテンの展望台“エコーポイント”に到着。"Three Sisters"の名は、峡谷に突き出た岩のピークが3つ有るから。写真を撮っていて、名の由来は聞き損ねた。

BlueMountain23  16:20 ブルーマウンテン発。
 来るときは、空港を発つと直ぐに、車窓外の風景が郊外のそれに変わって、「シドニー空港も市街のはずれに在るんだな」と思っていたが、帰路はサービスか、摩天楼のダウンタウンを抜けて走る。河?の向こうに、写真で見慣れたオペラハウスの特徴的な屋根が見える。この時になって、「あー、やっぱりオーストラリアに来ていたんだ」と妙に納得。
 18:40 シドニー空港に到着。なんだ、街中じゃないか。運転手のNickともお別れの握手をして、建物内に。だが、土曜日で道が込むといけないからと、早めにクーナを出たせいで、直ぐに荷物を預けられない。順番を待つ間、降車場脇で一服しながら空を眺める。市街の明るさにも関わらず、辛うじて南十字星が見える。いよいよ見納めだ。
 シドニー空港のトイレの扉には、1枚のポスターが貼られている。「ショー・ザ・フラッグ」だか「レイズ・ザ・フラッグ」だかの文字と、大きな丸の描かれたものだ。無論、日の丸であろう訳はないし、サリンジャーとも関係ない。一歩下がって見て判ったのだが、この丸はコンドームを図案化したもの。どうもエイズ予防の呼びかけらしい。
 託送のスーツケースは、使用済み電池と使用済み?下着を捨てたおかげで、26kgに減っていた。但し、成田で受け取ったときには、28kgと書いたタグが付いていたが??
 1人だけ、スーツケースの重さが30kgを超えてしまい、中身を出せと言われたらしく、蓋を開けて、友人の手荷物に詰め替えていた。2度目の検量で何とかパスしたようだ。
 添乗員に「パスポートと出国カードを手に持って、出国手続きをしてください」と言われ、列に並ぶ。やがて順番が来て、私の手からこれを取り上げた管理官氏、「Bording Pass」。「あー、そうだった」と思い出して、内ポケットから取り出し手渡すと、件の管理官氏、ニヤリと笑って、私のパスポート、出国カードそれに搭乗券を両手に持ち、頭の上に掲げると、列の後ろに向かって、「Tojoken! Tojoken!」。どうも日本人団体客は、一組丸ごと、同じミスをよくやるらしい。
 それにしても、日本の出国窓口の、能面のような顔をした管理官殿との、この落差は何?
 出国手続きを終えても、まだ2時間もある。サンドイッチとコーヒーで軽く小腹を満たした後は、免税店をぶらぶら、時折喫煙ルームへ。免税店のタバコを見たが、成田ほど安くは無い。税率が低いのか、免税外の上乗せがあるのか。ここでもカートンには、「妊婦には有害です」とか「あなたを殺します」とか露骨な大文字が並んでいる。ツアーメンバーの一人に「自分は吸わないんだけど、お土産にはどれがいいだろうか」と聞かれたが、オーストラリアの銘柄が見つからない。欧米の銘柄なら、大して安くもないのに無理して買って帰らなくても、ということになった。
SydneyAp2  重い小銭を少しでも減らそうと、自販機でちょっと高めの炭酸水を購入。冷えてはいたが、口を切ったら、ラムネのように半分噴き出してしまった。
 22:30 手荷物を頭上の棚に押し込み、いよいよ離陸。しかし、なかなか動かない。そのうちにアナウンスで、「登場予定のお客さまのパスポートが見当たらないため、探しているのでお待ちください」。暫くすると、窓際の人が、「一旦積み込んだ、スーツケースを下ろしてるぞ」。「ん?スーツケースにパスポート入れちゃってたら、搭乗券貰えてないだろに。さては、テロ予告か?」などと考えていると、、、20-30分して、ようやく「お客様のパスポートが見つかりましたので、これより離陸します」のアナウンス。
 滑走路の端まで来ると、エンジンの音が高くなって、体がシートに押し付けられる。やがて機体が浮き上がったと思うと、窓外の地表の灯りが後ろに流れて、どんどん小さくなる。さようなら、初めてのオーストラリア。機首の向きを変えるため機体が大きく傾いて、一寸の間窓の外に地面が見える。この時の、足元が口を開いてふわっと重力が消える感じだけは、何度飛行機に乗っても好きになれない。
 前のシートの裏に、液晶画面がある。網の中の利用案内を見ると、映画、テレビゲーム、音楽とマルチチャンネルで、一人一人好きなプログラムを選べる。映画のチャンネルの一つでは、2ヶ月ほど前にロードショウで見たばかりの、「ロード・オブ・ザ・リング−王の帰還−」をやっていた。但し、機械が故障していたのか、前後編に別れた後編は写るが、前編は最後まで写らずじまい。さすが、カンタス。もう寝る。

 05:00 朝食には、蕎麦も饂飩もない。ま、シドニーから積んだのだから、当然と言えば当然だが。ところで、和食のトレーに乗っている、このバターは何に付けるの?
 06:00 成田着。スーツケースを受け取って、これにて解散。お疲れ様でした。
 カメラのリモコンの故障、レリーズの損壊、ポタ赤の不調その他もろもろと障害の連続だったが、南天の素晴らしさだけは、しっかりとこの目に焼き付けることが出来た。
 さ、気を取り直して、明日からまた仕事、仕事。

 最後になってしまったが、ツアーの間ずっと同行して、トラブルがないよう見守ってくれていた、物静かな元助役のウォン・リー氏、すべての手配から弁当の買出し、通訳まで、八面六臂の大活躍だった現地ガイドの佐藤氏、一週間一人で大型バスを運転し続けた陽気なNick、一人々々お名前は挙げないが、昼夜何かとお世話になった同行のメンバー各氏、そうして何よりも、このような素晴らしい機会を与えてくれたツアーの主催者、コプティック星座館の水村店長と、レンタカーの運転までしてくれたクラブツーリズムの鈴木添乗員にも、心からお礼を申し上げたい。

 拙い文章に最後までお付き合いいただき、有難うございました。


(追記)
    今回の旅行で気がついたことが、二つあります。

    一つは、月の無い夜に空が曇っていると、
       (1) 東京では、空が明るく白く見えます。街の明かりが雲に反射するためです。
       (2) クーナバラブランでは、空が黒くて何も見えません。雲に反射する街の明かりが、殆ど無いからです。
    二つは、月の無い夜に空が晴れていると、
       (1) 東京では、足元がボヤーっと明るく見えます。街の明かりが、大気中のチリやガスに乱反射するためです。
       (2) クーナバラブランでも、足元がボヤーっと明るく見えます。星明りが照らし出すのです。

    この数十年の間に、私たちは何を手にし、何を失ってしまったのでしょうか。

((参考))
 これから初めて、クーナバラブランに行ってみようかという人のための、参考です。

   (1) クーナバラブランの中心街の見取り図

[[ リンク集 ]]
   (2) クーナバラブランのホームページ    (2-1) タウンマップ
   (3) クーナバラブランの天気    (3-1) クーナバラブラン飛行場の天気
   (4) Acacia Motor Lodge このツアーで利用したプール付きのモーテル


Photo by INO, Shohta with NIKON D70改 and Coolpix4500.


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