彼の理論の多くは、中国の伝統的な方法論に従って展開されています。それは、どの様なものかと言うと、「編纂とその注釈」というものです。
しかし、彼の特筆するべき点は、無理は在るものの、単に情報の編纂をしたのではなく技術の「普遍性」を追求した「分析」を行ったところにあります。
中国ではそういった事、つまり、科学技術が自然環境や社会に与える影響について、事前に予測したり、技術の評価(分析)をする(technology
assess-ment)等の学問がなかったと言われており、伝統的に好んでデータの「蓄積」と「編纂」と「注釈」をくり返しおこなって来たのです。
つまり、中国における科学技術とは、経験によってのみ形成され、現象の原理を分析したり、または、技術の継承によるものと云うのは、ほとんど無いと言われています。
だから、天文学に例えると、中国では何千年もの間、現象面での記録はするものの、西洋天文学のように、星の観測記録から得たデータを分析して、星の周期を導き出す事をしなかったというのが良い例でしょう。
従って、現象ばかりを追った理論展開で説明しようとするから、どうしても説明しきれないことや、いままで整理してきた理屈に合わないもの(矛盾するもの)等が出てくるのです。
中国ではそれらをまとめて、大抵は「無形式」という名称で注釈的に扱っています。
ジョセフ・ニーダム著「中国の科学と文明」、三省堂出版「大辞林」、ベースボール・マガジン社 呉連枝著「呉氏開門八極拳」ほか