平野神社略記
平野神社は古都京都の西北、衣笠山麓の平野にあります。社域は江戸時代初期に再建された重要文化財の社殿を中心に、方約150メートル、
8000坪の欝蒼とした社の森に囲まれています。 当社は桓武天皇 の平安京遷都にともない、
延暦13年(794)に平城京田村後宮から現在の地に御遷祀されました。
以来1200年にわたり皇城鎮護の社として上下の信仰を集めております。
御 祭 神
当社のご祭神は北から今木大神、久度大神、古開大神、比賣神が祀られております。今木大神は「神今食(かみい まけ)」で、新嘗祭についで穀霊等から生気、元気をいただく祭の神、
久度大神は「くど=かまど」。
古開大神は「古」が「魂ふり」。すなわち魂を振り動かし活性化すること、「開」は古い訓に「はらく(晴れ
かにする)」があることから、邪気を祓い元気をよみがえらせる神事にかかわる神。すなわち三神は「神今食」「御竈祭」「鎮魂祭」などの宮中祭祀とかかわる神であったと考えられます。
また比賣神は、生成、生産力の象徴の神とされております。いわば宮中祭祀を臣籍に降下した源氏、平氏等諸氏の祭祀する神社が当社の本来的姿と考えられます。
御 社 殿
本殿玉垣内、東向きの社殿は二社ずつ一組になっており、春日神社の春日造りが平野神社独特の造りで、「平野造」あるいは「比翼春日造」といわれております。戦国時代の荒廃を経て江戸時代初期の寛永五年(1628年)に再建されたものです。
平松時量が寄進した三十六歌仙の額(書は関白近衛基煕、画は海北友雪)が掛けられている
「接木の拝殿」は江戸時代初期の建築で後水尾天皇の 中宮東福門院の寄進です。
昭和初期に現在の東鳥居の位置から移築された南門は御所の門を下賜されたも です。
玉垣内には南に独立して摂社県社(あがたのやしろ)、拝殿の北側に境内社として西から春日神社、住吉神社、蛭子(えびす、戎)神社、鈿女・(うずめ)神杜、八幡神社の末社が、参道には出世稲荷神社、猿田彦神社の二社が祀られております。
猿田彦社は
東の大鳥居から入って右側のお稲荷さんの鳥居が並んでるところから
入って突き当たりに、お稲荷さんの右にあります。
古くから「知恵の神」「子守の神」「習い事の神」として知られています。
猿の縫いぐるみを奉納して祈願すると霊験あらたかであるとされています。