今回のインタビュー調査に協力いただいた日系二世のみなさんをご紹介します

ルース・カスミ・セトさん
1916年生まれ。子ども時代から容姿端麗で注目の的だった。カウアイ島最大の日系商店であるカワカミ・ストア(現ビッグセーブ)の会計責任者を勤め上げた。戦時下の42年にサトウキビ会社で働くマサオさんと結婚。その後も仕事は辞めず働いたが、病気になったマサオさんの看病に専念するため辞めた。現在は、ハナペペ川を見渡せる高台に一人暮らし。

ソルトポンドビーチでのパーティで

プレスリーが来島したとき、ロケを手伝う。


オキノ・ナミエさん
1930年生まれ。10人きょうだいの長女として生まれる。地元で漁業を営む父の下で、父が経営するマサキ・マーケットで働いた。戦争中は、父の漁船は軍用として徴用される。漁業者は、会場で日本のスパイ行為を助けているのではないかという嫌疑がかかって、監視が強く、窮屈な日々だった。戦後、結婚。最近までワイメアに花屋を開いていたが、それも閉じて、現在は病気の治療をつづけながら悠々自適の生活。

自宅でのインタビューに答えるナミエさん父の経営するマサキストアのオフィスで(結婚前)

ノナカ・イワオさん
1925年生まれ。マナと呼ばれるカウアイ島最北端のサトウキビ耕地で生まれる。その後、両親がハナペペに農場を開いたのにともなって、転居。10人きょうだいの次男として農場を支えた。朝鮮戦争に従軍。戦傷を負い、大阪で治療を受けこともある。激戦の中、勲功をたて帰還。数年前、脳梗塞で倒れ、現在、不屈の意志でリハビリ中。

インタビュー現場で、車椅子から自力で立ち上がる朝鮮戦争から帰還後結婚。すてきな奥さんのルシールさんと

ニッタ・ヒサコさん
1916年生まれ。サトウキビ耕地で働く両親のもとに生まれる。公立学校を終えたあと、1930年に日本に留学。東本願寺系の女学校を卒業後、ハワイに帰り、日本語学校の教師をしていた。改憲の前にやめ、ニッタストアを経営するシゲオさんと結婚。以来、ハリケーン・イニキで店が全壊するまでその経営にあたった。

お寺の勤労奉仕後のランチで開戦直前の日本語学校での教員時代(後ろの先生がニッタさん)

タカキ・マサジさん・ミヨノさんご夫妻
マサジさんは、1913年生まれ。サトウキビプランテーション会社の自動車メカニック担当職員として勤め上げた。おくさんのミヨノさんは、1917年に生まれた。洋裁の仕事をしているとき、マサジさんと会い、恋愛結婚。当時は、シンパイ結婚が大半だったという。シンパイとは、仲人をたてたお見合いのこと。主婦として、マサジさんの仕事を支えた。喧嘩をしたことがないという仲の良い夫婦。

昔使っていた工具を整理するマサジさん結婚前のデートでの一枚