自己責任ってなんだ
04.4.20



 イラク邦人人質事件の被害者に対して、政府や保守的マスメディア、それに尻馬に乗った野次馬たちから「自己責任論」がかまびすしい。事件発生当初から政府の救出責任を主張し、被害者に対する自己責任論を批判してきた私のウエッブコラムに対しても、批判を寄せてくる人たちがいた。もちろん、全体としてみれば、賛同と共感のメイルの方が多かったが。

 自己責任を言い回ってさわいでいる人たちに、ここでまとめて私の意見を述べておきたい。
 まず、最初に形式論ではあるが、確認しておきたいのは、今回の事件の過程で、人質たちが一度たりとも政府に助けてくれといったかという事実に関してである。高遠さんが宿泊したホテルのノートに「イラクにいく人は自己責任で」と書いているように、彼ら自身は自己責任でイラクに入国したのであり、政府に救援をもとめたわけではない。自己責任でイラクに入った人質が、自らギブアップして救出してくれと政府にSOSを発したのなら、自己責任の原則に反するという批判が形式的に成立する。しかし、今回の事件では、それはなかった。にもかかわらず、政府は政府の独自判断として救出に乗り出したのである。これをまず確認しておかねばならない。不十分な装備と準備で危険な雪山登山を敢行して遭難し、救難信号を発したのと同列に議論してはいけない。

 もちろん、これはたんなる形式論であり、問題を真に議論することにはつながらない。議論すべきは、問題の最も重要な部分が、今回の人質事件が日本政府の外交政策と深く関わっていることについてである。

 そもそも、イラクの人々の求めもないのに、アメリカの尻馬にのってイラクに自衛隊を送った政府には政策責任がある。今回の人質事件が発生した背景には、イラク戦争以来のアメリカの巨大な暴力があり、それに荷担した小泉政府の政治的選択があった。それがなければ、人質事件は起こらなかっただろう。(起こったとしても、中国人やフランス人、ロシア人が即座に解放されたように、今回のように厳しい状況には至らなかったに違いない。)人質事件が深く政府の政策に原因している以上、政府は人質やその家族の意志とはかかわりなく、人質を救出する義務があった。国民にリスクを強いる政策を決断した政府には、そのリスクに対して対策をとる義務がある。家族や一般市民が政府に人質解放に全力を傾けるよう要求した根拠も、まさに、その一点ある。つまり、政府の政治的決定がNGO活動家やジャーナリストを危険にさらすことになった以上、政府は最善をつくす義務があるということである。もちろん、自己責任の原則を形式論的に当てはめれば、政府が救出に成功しようと失敗しようと人質は文句が言えない。しかし、この点に関しても、人質たちは、現に、文句らしいことはいっさい言っていない。正しい態度である。かれらは形式論的にも、自己責任をまっとうしたのである。

 つぎに、重要なことは、多くの市民も家族も、自衛隊の撤退というオプションを含んむ解決をもとめたにもかかわらず、政府はそれを拒否し、人質の救出だけを行おうとした。政府が独自の判断で人質の救出を行おうとした以上、その行動の正否は政府が負うべきものである。ここで問題とすべきは、政府の国民に対する説明責任である。今回の事件で、人質を解放したのは、人質自身が占領軍に荷担せずイラク人が望んでいるような援助活動をしていたという彼ら自身の行いの正しさ、日本政府による自衛隊の派遣を批判しその撤退を求めた市民活動の方針の正しさ、そして、それを報道したアラブ系メディア、アルジャジーラの報道方針、それを受けて人質解放の声明を発した聖職者協会の行動などによるものであった。いってみれば、自衛隊の派遣に反対し、イラクの人々に対する真の援助を求める人々が、見当はずれでむしろ妨害に近い政府の行動にもかかわらず、みずからの力(自己責任)で人質解放を勝ち取ったというべきだろう。政府の実行したオペレーションは、莫大な税金を遣いながら、まったく効果がなかった。政府はなぜ政府のやり方が奏功しなかったかについて説明する責任がある。このような責任を自己責任とはよばない。政治責任というのである。

 だいたい、日本の政治家や官僚に、被害者の自己責任を云々できる資格があるのか。彼らは、日頃、国民を子ども扱いし、余計な干渉をしたり、自由を制限したりすることについてはすこぶる熱心だ。そのくせ、国民が真に危機に直面したときには、きわめて冷淡で、自己責任などという言い訳をして逃げ回ろうとする。自由主義における統治の原則とは、「人々が元気なときは自由にさせ、困難なときだけ助ける」というものではなかったのか。ところが、現実には、「元気なときには干渉し、困ったときにはほったらかす」のである。

 一方、国民の危機に際して自分の都合ばかり優先する卑怯で不甲斐ない政府に、盲目的に忠誠を誓い、ものほしげに尻尾を振り続ける羊のような人々がいる。そういう人々が政府の提灯持ちをする保守的マスメディアにのせられて、犠牲者に対して口にする無責任なことばが「自己責任」なのではないか。

 見当はずれに被害者の自己責任など云々する暇があるなら、自衛隊を派遣して破綻したアメリカの占領政策の肩を担ぎ続ける無謀な日本政府の政治責任を追及することの方が、もっと緊急性が高かろう。被害者の自己責任を口にする人間の自己責任を問いたい。

 英語もろくにしゃべれないのに、海外フィールド調査に出かけていき、現地の人たちに信じられないような迷惑をかけた上に満足な調査結果も手にしないまま帰国し、論文が書けずにこまりはてて指導教授でもない私のところに泣きついてくる学生がいる。そういう学生の一人が、今回の事件について、「自己責任」などという発言を発していた。あのね。他人のこという暇があったら、自分のことを考えなさい。日本政府とちがって、私はあなたの調査についていかなる政治責任もないからね。