「ハワイアン」『世界民族辞典』弘文堂


1. ハワイアン

2. はわいあん

3. 布哇人

4. Hawai'ian

5. Kanaka Maori

6. ハワイアンとは、18世紀末のジェームズ・クックによる世界周航によってハワイが「発見」される以前からハワイ諸島に先住していたポリネシア系先住民を祖先にもつ人々を指す。かつては、純粋ハワイアンと他のエスニック集団との間に生まれた混血系ハワイアン(Part-Hawai'ian)を区別していたが、現在は統計上の区別もなくなり、その両方のカテゴリーを加えた総称としてハワイアンの名称を用いる。

 クック来島時の人口は約30万人と推定されたが、西洋との接触による伝染病の侵入等によって19世紀を通じて4万人弱にまで激減した。しかし、他のエスニック集団との混血化が進み、今世紀に入ると人口は再び増加に向かった。1990年の合衆国センサスでは、全米で211,014 人。そのうち約66パーセントがハワイ諸島に、約16パーセントがカリフォルニア州に居住する。近年、アメリカ本土への移住傾向が顕著である。また、ハワイ州の総人口中の約5分の1を占め、これは白人、日系人、につぐ第3位である。

 言語系統は、他のポリネシア系民族と同様にメラネシア、ミクロネシア、インドネシアと共通の起源を有している。ハワイ諸島への移住は、考古学的推定によれば、およそ3000年前、太平洋へと進出したオーストロネシアンがメラネシアを経てポリネシアのトンガ、サモアに達し、その約1000年後、マルケサス諸島からタヒチ、ソサエティ諸島、ハワイ諸島などへと展開した。ハワイ諸島への定着は、西暦500年頃には完了したと推定される。

 政治的には、1796年、ハワイ島の王族であったカメハメハによってハワイ諸島が統一され、1864年には憲法が制定され、立憲君主制の国家体制が確立した。しかし、1893年に白人農業資本を後ろ盾とするクーデターによって王朝は打倒され、ハワイ共和国が樹立、1898年に合衆国に併合された。アメリカの支配下でハワイアンの社会経済的地位は低下し、今日でも社会階層の低位を形成している。しかし、1970年代以降、先住民族の権利回復運動が進み、今日、ハワイアン・ソブリニティ運動(自決権あるいは独立要求運動)へと発展し、民族主義的な傾向を強めている。

 宗教については、キリスト教の進入によって火山の女神ペレをはじめとする自然信仰を基調とする伝統的信仰体系は崩れ、19世紀前半には王家によってキリスト教の準国教化が図られた。しかし、近年の傾向として、先住民族文化の復興運動であるハワイアン・ルネサンスの拡大によって古典フラやオリ(古歌謡)の復興が進み、それと並行して伝統宗教への関心も高まっている。

8.

Eleanor C. Nordyke, The Peopling of Hawai'i. University of Hawaii Press, 1989.

Herbert Barringer, Robert W. Gardner, Michael J. Levin, Asians and Pacific Islanders in the United States. Russell Sage Fundation, 1993.