98.11.28

大英博物館で考えたこと

 この秋、文部省の国際共同研究の一環で、映像を主題とする博物館および博物館におけるマルチメディア映像の利用に関してイギリスとフランスに調査旅行に出かけた。

 2週間の短い旅だったが、ロンドンでは動画博物館(Museum of Moving Images)と大英博物館、ブラッドフォードでは国立映像博物館、パリではビデオティーク・ドゥ・パリ、マルセイユではマルセイユ博物館、ポワティエではフューチュール・スコープなどを訪問し、また、研究者や製作者などと意見交換を行った。フランスでは、現地留学中の大森康宏教授(国立民族学博物館教授)に大変お世話になったが、それだけ収穫の大きな旅であった。

 なかでも、ヨーロッパおけるマルチメディア開発の基本的な考え方の中に、デザインや美術に対するヨーロッパの伝統や歴史が色濃く反映されていることに改めて気づかされた、日本やアメリカのマルチメディア開発が、どちらかというと新しいメディア技術の利用やコンセプトの提示という側面に力点が置かれるのに対し、ヨーロッパの表現とデザインを重視する行き方は、印象的だった。マルチメディアのようなきわめて今日的なメディア技術の領域においても、というより、今日的だからこそというべきか、その背後に横たわる芸術やコミュニケーション表現にまつわる歴史や伝統が深く投影されていることはもっと強調されてもよいことにように思える。

 この旅で得た多くの知見は、また、改めてどこかで書くとして、ここでは、ちょっと残念だったことを書き留めておきたい。

 それは、大英博物館における日本展示である。

 大英博物館は、現在大改装中で、来年、新しい展示ドームを中心に装いを新たに新装開館する予定とのことで、現在は、あちこちで盛んに工事が成されていた。時間があればみたいと思っていたオセアニアの展示が閉鎖されていたのは、非常に残念だったが、それでは、100室にもおよぶ展示室に広範に展開された世界中のすぐれた文化財の数々のその量と多様性には、今更ながら圧倒されると同時に、往年のイギリス帝国主義のすさまじさを感ぜずにはおれなかった。もちろん、ここでは、帝国主義批判をしても詮無いのでやめるが、いずれにせよ、結果として、大英博物館は、世界文明の総合展示場と化しており、歴史と空間を超越して世界各地に生起した文明が、その芸術性と技術力の頂点を互いに競い合うような趣を呈している。

 古代ギリシア、ローマ、エジプト、メソポタミア、インド、中国、アメリカ大陸、オセアニアなど、世界各地に生まれた諸文明が、たとえその後衰亡の歴史をたどったにせよ、それぞれの時代の人類が到達した頂点の輝きを放っている。それは、まるで人類文明の競技大会のようでもあった。

 そんな大英博物館を訪れる人々も多様である。開館時間の10時以前から、たくさんの人々が博物館の前庭に集まって、開館時間を待っている。前庭に設けられたミュージアムショップはすでに開いていて、展示品のレプリカやガイドブック、土産品などを物色する人々もいる。教師に引率されてきて開館をまつ高校生とおぼしき一群の集団。ガイドに従ってお行儀よく旗のもとに集う日本人観光客。ベンチに座ってじっとたたずむ老人たち。それぞれに開館までの時間を楽しんでいた。

 10時になると一斉に人々は、博物館の中に足を踏み入れていく。人々が通り過ぎていく入り口の横には大きな寄付金のポストがおかれている。「博物館の活動支援のため、できれば2ポンド以上の寄付をお願いします」と掲示にはあった。大英博物館はご存じのごとく入場無料なのだが、自主的な寄付は積極的に募っているのである。その精神やよし。この寄付の呼びかけには、すすんで応じたいと素直に思った。

 実際、多くの観覧者たちがなにがしかの寄付をこの箱に投じていた。寄付金箱は透明のプラスチックでできているので、中がよく見える。硬貨以外にも、高額紙幣も目立ち、なかには日本の千円札もちらほら見かけた。ロンドン留学中にコンプレックスのため神経症になった夏目漱石もここでは面目躍如である。

 さて、問題の日本展示である。日本展示は、博物館の北回廊の最上階の92室から94室までを占めている。この北回廊は、おもに東洋系の展示が占めており、1階部分の33室は中国の各時代の文物、その上階の91室は、朝鮮半島の文物が展示されている。日本展示は、そのさらに上階にある。その展示場へと至る雰囲気はなかなかよい。中国から朝鮮半島、そして日本と階段を奥へ奥へと上っていくと極東世界へと導かれるのである。

 しかし、なんとしたことか、日本展示場の前には、「ここから有料展示。入場料1ポンド」の表示が掲げられている。

 いったいどういうことなのだろう。なんとケチくさい話なのであろう。なぜ、日本展示だけが入場料を取るのか。それも、たった1ポンドである。しかし、たった1ポンド(約200円)であるが、それをどう考えるかが思想の問題であろう。それくらいだから徴収してもよいだろうと考えるか、そんなくらいの入場料なら取らずに入場無料の原則にもっと大切な意義を見いだすかである。

 寡聞にも、私は、なぜ日本展示だけが有料になっているか、その正確な理由は知らない。パンフレットには、このコレクションが、裏千家とコニカのコレクションであると表示されていた。これらコレクションの所有者が入場料の徴収を求めているということなのか、それとも、大英博物館側の事情なのか、聞きそびれた。しかし、百歩下がって、たとえそれが博物館側の事情であったにせよ、日本展示だけが有料というのはあまりに寂しい話ではないか。

  繰り返し言うが、大英博物館は、入場料無料である。あのロゼッタストーンも、エジプトのミイラも、ギリシアのパルテノン神殿彫刻も全部ただで観覧できるのである。世界の諸文明がその粋を大胆に惜しげもなく披露し合っているそのめくるめく展示空間の中で、日本だけが拝観料を取るのである。

 実際、長い回廊を上って日本展示場までやってきてくれた多くの人々が、この掲示を見て入場をためらい、上ってきた階段をふたたび降りていく光景をみた。そして、この私自身も結局入場をしなかったのである。それは、1ポンドが惜しかったからでは決してない。そのケチくさい精神が、嫌われたのである。「そうそんなら見てあげないわ。世界にはもっとすばらしい文明が他にもたくさんあるから」といったところであろうか。

 日本は、自分の文明の価値を1ポンドで売っていると言うことに気づくべきであろう。