大阪フォーラム
大阪をインターネット自由都市に

『21世紀大阪街づくりフォーラム1996』大阪都市協会1996年4月

 東京で仕事をするようになってもう十年がたつ。でも、遊び仲間も研究仲間も大阪がいまでもメイン。ハワイ先住民の村興しを応援する在阪のNGO運動「タロイモ基金」にもずっと関わっている。東京は仕事や研究をする上で確かに効率的だけれど、人が集まってわいわいとNGO活動をしたり、おしゃべりたっぷりの研究会などをするには大阪の方がはるかに楽しい。
 そんなわけで月に四日は大阪にいるが、これ以上は滞在日数を増やせないと困っていたところ、インターネットのお陰で、東京に居ながら大阪の仲間と遊べるようになった。インターネットの大阪関係のサイトは今一歩のところが多いけれど、「ただでは帰しません」というサービス精神があって、一度入るとけっこう遊んでいられる。これは大阪のメディアに共通する基調音といえるが、インターネットはとくにそんな大阪人に最適なメディアかもしれない。こてこてのノリのまま世界にリンクしていけるからだ。
 ところで、インターネットをめぐる日本の最近の動きは、ちょっとおかしい。本来、インターネットは誰もが自由に平等にアクセスできるよう設計されたネットワークだ。アメリカでは、情報スーパーハイウエーが提唱される一方、市民が平等にその利益を享受できる仕組みもある。たとえば、図書館などの市民施設にはインターネットにつながったパソコンが何台もあり、自由にアクセスできる。また、利用登録と同時にメイル・アドレスも発行してくれ、電子メイルが利用できる。
 インターネットへのアクセス権は、二十一世紀の市民的権利のひとつだといってよい。だから、「アクセスできる人はエラくて、できない人は肩身が狭い」ではいけないのだ。
 ところが、日本の現実はそうでない。「アクセスできないと時代に乗り遅れるぞ」と脅迫するパソコンメーカーのCMが幅をきかせている。このままでは、インターネットで情報武装する人々が、できない人々を差別する情報階級社会ができあがってしまう。
 そこで、がんばってもらいたいのが大阪である。大阪は、アジア太平洋人権情報センターもある世界に冠たる人権都市だ。二十一世紀の人権といってよいネットワーク・アクセス権を市民全体が享受できる環境を他都市に先駆けて実現してほしい。
 具体的に言うと、インターネットに接続されたパソコンを図書館や市民センターなど公共施設に大量に設置し、それを市民に開放する。そして、求める人には誰にでもメイル・アドレスを発行する。また、公共のWWWサーバーの中に、市民団体やボランティア・グループが自由にホームページを開けるようにする。自宅にいる障害者や高齢者には、無料でパソコンを提供しインターネットへのアクセスを保障する。生涯学習の分野では、電子メディアから疎外されてきた中高年や女性のためのデジタルメディア・リテラシー教育、電脳識字学級を開く。
 公共セクターの努力だけでは、もちろん不十分だ。経済界にもがんばってもらいたい。
 大阪が生んだ世界の企業人であった松下幸之助は、家電製品を水道の水のように安価に供給することで市民生活の向上を説いた。これに習えば、情報の水道であるインターネットは、水並みの値段で利用できるようにしたい。
 ざっと計算して、適度に開いた水道の蛇口から流れ出す水の値段が一分間でおよそ一円だから、インターネットの利用もこの値段が本来のあるべき姿だ。ところが今はアクセス料が平均して一分一〇円、さらにそれに電話代三分一〇円が加算される。高すぎるのだ。水道の水程度にするには、なにか革命的なブレイクスルーが必要だが、これを大阪の企業がやらずに誰がやるといいたい。
 小林一三は、東京では金持ちが特権意識を味わうためにいくところだったデパートの屋上レストランを庶民の昼食の場に変えた。東京の金持ちや権力者たちのステータスシンボルを、新技術や革命的な経営で一般市民の手が届くものに変えるのが、大阪企業人の十八番ではなかったか。がんばってもらいたい。