95-05-02
観光開発と先住民の町興し


『毎日新聞』1995年

 観光開発の進んだハワイにも、その波を免れている地域はある。オアフ島の最西端にあるワイアナエの町もそんな地域の一つだ。ホノルルから高速道路を数時間走ると、乾燥した風景の中、ゆったりとした町並みが現れてくる。ここは、先住民ハワイ人や貧しい農民たちの町だ。
 八〇年代後半、バブル経済の余波はここにも押し寄せ、リゾート計画が持ち上がった。多民族社会ハワイでは、すべてが民族問題に結びつく。経済振興に夢を託す促進派の日系人、自然と文化の破壊に抵抗する反対派のハワイ人。対立は深刻化した。
 そして、バブルがはじけた。そんな中、建設中断したリゾートホテルを横目に、先住民運動グループが町興し事業を始めた。反対するだけでなく、民族の心をあわせる何かが必要だった。
 その象徴がカアラ谷の農園だ。そこには、ハワイ人の伝統的住居やタロイモ水田が再現され、ハワイ人の若い世代が失われた民族の誇りを取り戻す場となっている。一方、ここを訪れる一般市民も増えてきた。
 リーダーのエノス氏は、こう語る。「観光客はポリネシア文化センターに行く。ここには、意識の高い人々が集まってくる。えっ、新種の観光業かって?それは違う。ここの主導権はハワイ人が握っているし、収入も持続可能な最低限に抑えている。観光依存がすべての元凶だよ」
 観光産業の被害者だったハワイ人たちの町興し活動は、従来の観光への批判であると同時に、新しい観光への提言でもある。