メディアが先住者を語るということ
ラテンアメリカ映画監督ホルヘサンヒネスの主要3作品の日本語ビデオ化完成を期に
「裏返しのメディア論」連載5『季刊民族学』no.105, 2003.7


 ラテンアメリカの映画監督の中でも、先住者の視点にたって映画作りを行うことで異色の位置を占めてきたホルヘ・サンヒネス。彼と彼が率いるウカマウ集団が製作した作品の軌跡をたどる上で重要な3作品である『第一の敵』『地下の民』『鳥の歌』の日本語ビデオ化がこのたび完成した。ラテンアメリカが専門の研究者ならサンヒネスの名を知らぬ者はなかろうが、専門でない私にとっても、授業で先住者と植民者との関係を講義するとき、学生たちにぜひ見せたい作品であった。しかし、これまで彼の作品は自主上映会にでも行かない限り見ることができなかったので、今回のビデオ化はたいへんうれしい出来事だった。作品の日本語化とリリースに尽力した現代企画室の太田昌国さんに感謝したい。
 サンヒネスは、1937年、ボリビア生まれの映画監督である。チリの大学で映画を学んだ後、ボリビアに帰国し、ラテンアメリカの解放を志す映画製作運動を開始した。1966年にボリビア最初の長編映画として製作された『ウカマウ』は、彼の優れた映画監督としての力量が最初に示された作品で、以来、サンヒネスは、満足な映画製作環境のないラテンアメリカ諸国にとどまりながら、優れた作品を発表し続けている。
 彼の作品には、初期の短編映画『革命』(1962年)、メスティーソの男に妻を暴行の上殺害されたインディオの夫の復讐を描く先述の『ウカマウ』(1966年)、アメリカの
海外援助機関である「平和部隊」がアンデス地域の女性に強制的な不妊手術を施していた事実を暴露する映画『コンドルの血』(1969年)、1967年に起こった国軍による鉱山労働者虐殺事件をそれに至る過程と事件を忠実に再現する『人民の勇気』(1971年)、ラテンアメリカのゲリラ闘争をフォークロア的色調で描いた『第一の敵』(1974年)、村人を裏切り追放されたインディオの男が自分本来の姿を求めて、死の踊りを踊るために帰郷する旅を描く『地下の民』(1989年)、植民地支配を批判する映画を製作しようと村に入った映画製作者たちが、その支配者然とした振る舞いのために村人の激しい反発に逢うというエピソードを映画化した『鳥の歌』(1995年)などがある。
 彼の作品の多くは、
先住民インディオの側にたって、ラテンアメリカの政治状況をきびしく批判する。彼の存在は、独裁政権の支配が続いていた時代のラテンアメリカにとってきわめて危険なものとならざるをえなかった。だから、彼の作品の中には、政府の妨害によってフィルムが破損されたり、行方不明になったりして完成できなかったものもあるし、ウカマウ集団自体が非合法化され、国外で映画を撮らねばならない時代もあった。しかし、彼の評価は海外で高く、また、素人である先住民の参加をえながら映画作りを進めるという独特の作風を支持する映画ファンも多い。


 今回、ビデオリリースされた3本の作品を連続してみると、1970年代から今日に至る世界の中で繰り広げられてきた先住者と植民者の歴史的関係の変化が観る者に重くのしかかってくる。それは、たんにラテンアメリカにとどまらず、広く世界を覆う先住者と植民者にかかわる状況の変化と結びついている。
 ラテンアメリカの社会変革がゲリラ闘争によって切り開かれると言う希望がみなぎっていた70年代にあって、サンヒネスの映画も、その希望とともにあった。この時期の秀作である『第一の敵』では、農園主の過酷な支配に抗する農民とゲリラとの連帯が描かれている。もちろん、今日からみれば、ラテンアメリカのゲリラ闘争が政府軍との間の殺戮の応酬という袋小路に民衆を巻き込んでいったという歴史の顛末も私たちは承知している。だから、この映画は、今日ではむしろチェ・ゲバラに象徴されるようなゲリラ伝説のフォークロアなのかもしれない。
 しかし、この映画の歴史的意味は他にある。冒頭から一人のインディオ農民が自らの言語で語る長いモノローグで始まるこの映画は、先住民族を描く視点において映画史を画する出来事だったからである。70年代、当時エクアドルに亡命していたホルヘサンヒネスの作品を首都キトで初めてみた日本人の一人である太田さんは、映画をみた衝撃をこう回想している。
「アンデスの先住民族といえば、外部からカメラが入っても不信の眼差しで黙りこくって一言も言葉を発しないという当時のテレビ映像に見慣れた目には、ケチュア語やアイマラ語をほとばしるように喋り、自分の考え、怒り、悲しみを表現する先住民農民を見聞きすることは驚きだった」
 サンヒネス自身は裕福な知識階層出身の白人であった。しかし、彼はラテンアメリカの解放が被抑圧民衆としてのインディオの存在を抜きに語ることができないと考え、自ら製作する映画の主人公に初めて先住民を据えた。ただ、先住民に対する彼独自のまなざしは、当時、サンヒネスのような左翼知識人とって自明のものであった、アメリカ帝国主義という「第一の敵」との闘いという大きな物語の陰に隠れていた。


 しかし、ボリビアが曲がりなりにも「民主化」され、革命の切迫感が薄れた80年代、亡命生活から首都ラパスに帰国したサンヒネスとウカマウ集団にとって、他者としての先住民を理解し、ともに生きるという主題はより明確に姿を現してきたといってよい。それは、冷戦の終結によって、世界の各地で台頭してきたエスニックな存在の息吹と呼応していた。
 この時期に製作された『地下の民』では、アイマラ語を話す先住民自身のアイデンティティの危機とその回復の問題が全面に登場してくる。この映画の主人公セバスチャンは、幼い頃、大農場主のもとに奉公し、自らのエスニックなアイデンティティを失った先住民である。彼は、自分がインディオであることを呪い、名前もすて、白人社会に同化を試みる。そして、一旦村長となるも援助団体の資金を着服したことが発覚し、戻ると死を与えられると言う約束のもと、村を追われ都会で棺桶職人として生活しているのである。映画は、しかし、彼が都会での生活に挫折し、村人として死ぬために「死の舞踏」の仮面を担ぎながら村を目指す旅路が描かれている。
 セバスチャンを描くサンヒネスの視点は、きわめて内省的だ。政治的解放を指導する者としての白人知識人の自信やおごりはすでになく、イデオロギーによっては超えることができなかった他者としての先住民族インディオの内面の世界に迫ろうとする謙虚なまなざしがそこにはある。
 しかし、このまなざしは、矛盾に充ちているし、報われることは困難かもしれない。というのも、この映画を撮っている主体が白人知識人であるサンヒネスである以上、たとえ彼が葛藤する先住民族のアイデンティティを描いたからといって、それは当事者である先住民の声を代弁するものであっても、当事者の自身の声ではないからだ。
 先住民の声を当事者でない者が語るということの正統性は、いかにして保証されるのか。そして、それは可能なのか。サンヒネスの葛藤は、このことに尽きる。90年代の彼の作品である『鳥の歌』は、この矛盾をより深化させている。そこでは、映画製作者である自分自身が、映画という形式を通して先住者を無意識に抑圧する存在として描かれている。先住民の解放のために先住民を映像化するという行為自体が、「撮る者」と「撮られる者」という非対称的関係に両者を引き裂こうとする。『鳥の歌』の最後で、先住民には聞こえる鳥の声が、都会からやってきた撮影スタッフには聞こえないというエピソードによってサンヒネスが語ろうとするのは、この「撮る者」と「撮られる者」の関係に究極の理解は成立するのかという自問でもある。
 サンヒネスの自問は、彼だけのものではない。先住者の声をだれが語りうるかという問いは、今日、フィールドワークを実践する多くの文化人類学者や社会学者にとっても、共通する問いではなかろうか。
 もちろん、それを語りうるのは当事者だけだというのはたやすい。しかし、当事者の語りを他者に伝えるメディアが介在することなしに、他者の理解は成立しない。ただ、いえることは、そこに超えられない壁があると分かったとしても、私たちはそれを抱えながらも共に生きていかなければならないということだ。この3本のビデオを通して、私たちが考えることは多い。