「楽園」幻想の形成と展開
−ハワイにおける観光とメディアの結合−

『オセアニア・ポストコロニアル』(春日直樹編、国際書院、2002年5月20日、「『楽園』幻想の形成と展開」pp.143-192) (序論のみ掲載)





「楽園」の形成におけるメディアと観光の役割−理論的視点

はじめに
 太平洋「楽園」幻想の今日が、観光現象と不可分の形態で存在していることはいまさら言を待つことはないだろう。規模の大小に関わらず太平洋に散在する海浜型リゾートの開発と販売に関する基本的なコンセプトが「楽園」にあることは、ハワイをはじめ、グァム、サイパン、フィジー、タヒチなどの太平洋島嶼地域の大規模リゾートの観光客向けの広告宣伝のコピーの文面をみればあきらかであるし、また、そのような海浜型リゾートを模倣する国内の多くのリゾート開発に関わる建築デザインが的確に物語っているところでもある。
 このような「楽園」幻想は、キャプテン・クック(James Cook)の世界周航の以前から一つのオリエンタリズムの形態としてヨーロッパの社会に存在してきたことは、すでに多くの研究が明らかにしている(1)。「楽園」幻想は、ディドロ(Denis Diderot)の『ブーガンビル航海記補遺』において夢想された南海の原住民(ここではタヒチ人)に対する「無邪気でおだやかな未開人」という原イメージ(2)に発し、クックの航海において、次々と発見される「友好的」な島民の実在によって裏付けられながら、近代のエートスに対置されたもうひとつのユートピアとして多様なイメージを取り込みながら繰り返し再生されつつ存在し続けてきた。それは、たんにポリネシア地域に限らず熱帯に属する太平洋島嶼地域に共通するイメージの文脈を今日有するに至っている。
 そのような原イメージは、今日においては太平洋島嶼地域に展開する大小のリゾートに共通するひとつの観光資源となっている。近代化によって登場した大量消費社会の主人公としての大衆は消費社会の文脈に沿った彼らなりの「楽園」の発見と確認の活動、つまり「観光」を開始し、今日、さらにそれらの活動は活発に展開されつつあるのである。

知覚体験としての観光
 近代観光においてメディアが果たす役割はきわめて重要である。それはたんに商品としての観光地する宣伝する手段として重要な機能を果たすだけでなく、メディアが近代観光の本質と不可分の関係を結んでいるからである。近代観光に対してするどい批判的考察を行ったダニエル・ブアスティン(Daniel J. Boorstin)は、近代の観光現象に関与するメディアの役割に注目し、近代観光の特徴が旅行することによって得られる現地での体験に先立って、メディアが観光地についての体験を擬似イベントとして提供することにあることを指摘した(3)。
 ブアスティンが展開する観光=擬似イベント論は、今日、さまざまな批判にさらされている。とりわけ、近代以前の旅の主体だった人々を真正な「旅行者」とする一方、大衆化した観光旅行の主体を「観光客」(=擬似)として価値的に差異化するブアスティンの思考に対する批判はきわめて厳しいものがある。
 しかし、そのような批判はあるものの、ブアスティンが指摘した近代観光におけるメディアの役割の重要性についての認識はその後の多くの研究者も一致して認めるところであろう。メディアが提供した目的地のイメージが消費者の行動を喚起し、実際の旅行という行動が発生する。メディアによる目的地の情報が先行し、そのイメージの確認のために人々は旅にでるのである。この意味で、メディアと観光とはつねに一体のものとして近代の観光を成立させてきた。
 ところで、ジョン・アーリ(John Urry)の指摘が正しければ、近代観光の制度化は、近代の科学技術が獲得した新しい非日常的「まなざし」の組織化として理解することができる(4)。アーリの議論を受けて、吉見は、19世紀の近代産業技術が生み出したさまざまな消費財の展示場として、パリやロンドンの万国博覧会が組織されていった事実に眼を向ける(5)。新しい消費の時代の象徴である百貨店の店頭景観はまるでパリ万国博覧会の水晶宮に酷似している。ガラス張りのショーウインドウを通して輝く商品を次々に眺めてあるく視覚体験は、個々の商品が何であったかという次元を超えて、まったく新しいパノラマ的知覚体験を人々にもたらした。その知覚体験は、ヴォルフガング・シベルブシュ(Wolfgang Schivelbussch)が鉄道旅行を楽しむ人々にとっての車窓体験がちょうど塔の上から下界を眺め渡すような視覚体験に類似している(6)。そのようなパノラマ的視覚体験は、近代以前においては、きわめて特権的な人々によって占有されていたはずの知覚であった。たとえば、それは塔という建築物が誰に属するものであるかを考えればわかる。
 しかし、近代の観光装置は、万国博覧会であれ、鉄道旅行であれ、そのような特権的な知覚を経済的な取引の対象にすることに成功したといってよい。人々は、代金さえ支払えば、鉄道旅行をすることもできるし、また、入場料さえ支払えば、水晶宮に入ることもできるようになった。そして、かつては権力の象徴であった塔でさえ、拝観料をさえ払えば登頂することができるようになった。
 このように、近代の社会は、それまでの特権的視覚体験を科学技術によって大衆化し、商品化することに成功したのである。そのような商品化された知覚体験の全体を近代観光の所産と概念づけてかまわないなら、知覚体験の媒介と変容を司るメディアこそ、観光体験の中核に関わる装置であるといって言い過ぎることはない。
 このようなメディアと観光との結びつきを産業としての観光産業とメディア産業との関係として捉えなおした場合、つぎのような2つの視点が認められるだろう。
 まず、第一には、今述べたように、旅行雑誌や観光ジャーナリズムなどのマスメディアによって提供される目的地のイメージによって、消費者の欲求が喚起され、航空券の購入やツアーへの参加という形態の消費がおこなわれる。それは、ちょうどマーケティングにおける宣伝と販売の関係になぞらえて考えることができる。
 一方、第二には、より技術的に高度化したメディアが受け手の知覚体験を拡大させることを通して、観光的体験を擬似的に提供するサービスの可能性を今後さらに拡大させるという点である。それは、観光体験のメディア化とでもいえるものであろう。

メディアと観光の産業複合体
 石森などの予測によれば、21世紀の脱工業化社会においては、観光は従来の製造業に匹敵する巨大な産業セクターとしての位置を占めるだろうといわれている(7)。このような観光産業の巨大化は、当然、メディア産業との結合を強化することによって、その産業的基盤をより強固なものとするに違いない。このようなメディアと観光産業との構造的な結びつきの実体を、ここでは、軍産複合体のアナロジーとして「メディア観光産業複合体」と呼びたい(8)。もちろん、このメディア観光産業複合体は、軍産複合体に比べれば、はるかにその規模もそれに関わる人々の数も小さい。しかし、今日の観光の国際化とその主要な観光地の多くが、工業化を十分に果たせなかった開発途上国に広がっていることを考慮すれば、メディア観光産業複合体がそれらの国々に対して及ぼす影響力の大きさは、けっして看過できるものではないだろう。
 しかし、それだけではない。観光産業が取り扱うひとつの重要な「商品」である「目的地」それ自体は、航空券やホテルの宿泊サービスのように有限の財として売買の対象とすることが可能な商品とは異なり、その所有権を買い手に帰属させたり、売買したいすることができない。たとえば、目的地についてのイメージ、思い出、目的地との固有の関係を有するさまざまな情報など、観光産業は、無体財を扱う産業としての特徴を色濃く持っている。このような観光業のあり方は、情報産業における生産と消費のあり方に類似している。
 したがって、このメディア観光産業複合体は、メディアそれ自体が観光的体験の創出と深く関与するようなシステムへと、さらなる一体化を進めるに違いない。たとえば、映画「トータルリコール」(9)によって描かれたような仮想現実による観光体験の組織化といったビジネスに象徴されるような産業が出現するかもしれない。もちろん、そのような体験が今日の観光の全体を代替するような事態は起きないだろうが、すくなくとも、ヴァーチャルな体験がある種の観光体験として産業化されるという予感は、最近のテーマパークの急増や知覚遊戯機器の急成長によって現実のものになりつつあるように思える。
 もし、観光の本質が、メディアによってほぼ無制限に拡張することが可能な知覚体験であるとしたら、それは近代の生産組織にとってある種の理想的な形態を有しているということになろう。情報としての観光資源は物理的制約を受けにくい存在だからである。そのような意味で、近代の観光は本来有限であった自然や文化を生産と消費のサイクルに乗せやすく、かつ、大量に生産できるような形態の資源へと緩やかに変えていったと考えてよい。つまり、メディアによって大量に複製された自然や文化によって置き換えがなされた。近代観光は、このような方向性を必然的にたどるほかなかった。
 もちろん、複製され大衆化された記号とは異なる、より「真正な」記号は、ドミナントな階級にとって、ブルデュー(Pierre Bourdieu)のいうところの新たな文化資本となるだろう。この意味において、観光の資源として記号化された文化は、つねに差異化の圧力にさらされ続けることは避け難い。しかし、いずれの場合においても、差異化の対象となるのは記号であり、それが記号である限りにおいて、初めて観光の資源として利用することが可能になるのである。
 やや前置きが長くなったが、本章があつかうのは、したがって、観光資源として記号化された「楽園」である。そして、その記号の形成過程におけるメディアの役割を明らかにすること、そして、新たな差異化のモーメントが「記号」としての「楽園」にどのような変化をもたらしつつあるかを記述することである。
 ここでは、太平洋最大の観光地である「楽園」ハワイ(ワイキキ)の成立を通して、その問題を考えてみることにしたい。


(1) コッペルカム,シュテファン(池内紀、浅井健二郎、内村博信、秋葉篤志訳)『幻想のオリエント』鹿島出版会、1991年.など。
(2) ディドロ(浜田泰佑訳)『ブーガンヴィル航海記補遺』岩波文庫1953年、p.10.
(3) ブァスティン,ダニエル J.(星野郁美、後藤和彦訳)『幻影の時代−マスコミが製造する事実』東京創元社、1964年.
(4) アーリ・ジョン(加太宏邦訳)『観光のまなざし−現代社会におけるレジャーと旅行』法政大学出版、1995年.
(5) 吉見俊哉「観光の誕生−疑似イベント論を超えて」山下晋司編『観光人類学』新曜社、1996年、pp.24-34.
(6) シベルブシュ,ヴォルフガング(加藤二郎訳)『鉄道旅行の歴史−19世紀における空間と時間の工業化』法政大学出版局、1982年.
(7) 石森秀三「観光革命と20世紀」石森秀三編『観光の二〇世紀−二〇世紀における諸民族文化の伝統と変容3』ドメス出版、1996年、p.23で、石森は第4次観光革命が2010年代にアジアで生じると予想している。
(8) この術語は、山中速人「観光地イメージの形成」石森秀三編『観光の二〇世紀−二〇世紀における諸民族文化の伝統と変容3』ドメス出版、1996年、pp.57-68.で詳細に論じているので参照いただきたい。
(9) 「トータル・リコール」では、宇宙旅行の記憶を売る旅行会社が登場する。