フィールドワーク教育をめぐる動向と課題
〜技法教育へのマルチメディア利用に向けて〜
『中央大学文学部紀要・社会学科』通巻188号、2001年5月、pp.113-160.

山中速人


A はじめに〜フィールドワークの復権
 90年代以降、社会学研究における質的研究の復興が定着するに従って、研究方法としてのフィールドワークへの関心が高まっている。かつてフィールドワークといえば、マーネンが述懐しているように「フィールドワークをベースにして採集した素材は、多重回帰やカイ二乗検定などといった手続きから直接できあがってくる論文に磨きをかけ、固有の色を添えるために、ごく控え目に使われたにすぎなかった」(
1)ように、科学的な定量研究に仮説を提供する前座の役割をあてがわれているに過ぎなかった。しかし、質的社会学の復興の結果、多くの社会学者たちは、独立した固有の価値を持つ調査方法として、フィールドワークの意義を認めるようになった。それは、『ストリート・コーナー・ソサエティ』の著者ホワイトが90年代末に出版された同著の日本語による新版で、「統計的仮説のテストが、長期にわたって起こる社会的、経済的変化のダイナミクスについて、前進した知識を提供するものでないことを認識しだした」(2)と控えめに行われた勝利宣言に象徴されている。
 しかし、このような傾向を受けて、本来は雑多で個別的で混沌とし定式化されていなかった知的営為としてのフィールドワークそれ自体に、多くの社会学研究者の関心と注目が集まるようになり、今日、「フィールドワーク」は現代の社会学にとってきわめて論争的なテーマのひとつとなったようである。
 たとえば、フィールドワークの結果として産出されるエスノグラフィーへの批判的検討やエスノグラフィーを著述する書き手としての社会学研究者の存在自体を社会学的に考察する研究、エスノグラフィーの文体についての研究など、フィールドワークそれ自体についての多様な言説が生み出されている。(
3)
 また、近年のポスト・コロニアリズムをめぐる論争にみられるように、かつては一方的な観察の対象でしかなかった先住者や少数民族の側がフィールドワークに対する批判を展開するようになった。このようなかつての被観察者からのフィールドワーク批判は、とくに文化人類学の根底を揺り動かす大きな衝撃力を潜在的に持ちながら、今日のフィールドワークをめぐる論議の中に重要な位置を占めようとしている。
 フィールドワークをめぐる言説は、フィールドワークの成果よりフィールドワーク論に関心が集まるというような皮肉な傾向を一部にともないながら、いっそうの高まりをみせているのである。

B フィールドワークの新しい担い手たち
 一方、このような傾向のかたわらで、フィールドワーカーたちが立ち向かう研究対象も大きく広がり、また、研究に参加する人々の層も拡大してきた。かつては職業的研究者の占有物であったフィールドワークに、学部学生や大学院生などが参入するようになったし、また、学術研究を職業としない人々が、たとえば社会学や文化人類学に関わる学術的関心をもって、フィールドワークに参加する傾向も見られるようになった。
 社会学者や人類学者が行うフィールドワークという調査方法は、もともとジャーナリストたちのルポルタージュや紀行作家たちの紀行文(トラベローグ)といった近接領域のテキストと内容や方法に置いて重なり合う部分が多かった。したがって、物書きを業とするこれらの職人たちに筆力で劣性を託つ研究者たちは、これらジャーナリストや旅行作家たちとの競合を避けるため、これらの類似のテキストと社会学者や人類学者によるエスノグラフィーとがどう異なっているかを明らかにする必要があったし、それは、フィールドワーカーにとって職業的資格を養護する上でも必要なことだった。
 しかし、今日のフィールドワークへの関心の高まりは、それとも少し異なり、学術的フィールドワークそれ自体に職業的研究者以外の人々からの参入が図られようとしている点で、従来にない段階にきているといっとよいだろう。(
4)
 このような新しい担い手たちの参入を支えている要因に、近年における海外旅行の量的拡大と質的多様化があることは間違いのないところであろう。観光旅行の一環として、かつては研究者しか関心を示さなかったような地域や対象分野で、フィールドワークを体験する新しい型のツーリズムが提案され、実際に行われるようになっている。このような型のツーリズムは、スタディーツーリズムと呼ばれる学習型観光のひとつということができるだろう。(
5
 研究者たちが念頭に置いている従来のフィールドワークが、対象地域における言語の習得、長期の滞在、人々との継続的な関係を前提とするのに対し、このようなツーリズムとしてのフィールドワークは、言語の習得を伴わず、滞在期間も比較的短期で、また、人々との関係も一時的であることが多い。しかし、研究者が現実に行うフィールド調査も、さまざまな現実的制約のために理念や原則とは離れて、通訳を使用し、期間も短期で、人々との関係も一回きりであることが多いのである。この場合の制約とは、具体的に言えば、教員としての研究者にとってはフィールドワークに出かけることのできる時期が学校の休暇期に集中すること、また、所属する研究プロジェクトの都合で習得言語以外の言語地域での調査活動を余儀なくさせることなど、さまざまである。
 佐藤郁哉は、このようなフィールド調査をワンショット・サーベイとしてその問題と限界を指摘し、本来のフィールドワークのあり方ではないと強調している。(
6)しかし、実際のフィールド調査の多くが、このようにワンショット的であることを免れないでいるとすれば、職業的研究者のフィールドワークと「素人」のそれとの間の差は、少なくとも、物理的条件の部分においては、縮小しつつあるということができるに違いない。

C フィールドワークの「技法」への関心
 フィールドワークに対するこのような新しい担い手たちの大量参入は、必然的に、調査法としてのフィールドワークに関する技法や方法の習得への要求を派生させている。実際、ここ数年の間に出版された「フィールドワーク」をタイトルに含む社会学関連のテキストや入門書は、かなりの数に上っている。( )中には、「入門」と銘打っているにもかかわらず、かなり高度な抽象的言辞に溢れているものも認められるが、いずれにせよ、多くの入門書が出版されている。
 しかし、これら数多く登場した入門書を手にとってみると、その内容において、何をフィールドワークと規定するのかについて、実はきわめて多様な定義づけがなされていることも事実である。
 たとえば、先述の佐藤は、「『フィールドワーク』とは、参与観察とよばれる手法を使った調査を代表とするような、調べようとする出来事が起きているその「現場」(=フィールド)に身を置いて調査を行う時の作業(=ワーク)一般をさす」(
7)と述べ、フィールドワークを分野を超えた広い知的営みのなかに位置づけ、その営みに共通する知識や技術として「フィールドワークの技法」を取り扱おうとしている。
 他方、フィールドワークを個々の学問分野で異なった調査技法として位置づけ、領域を特定し、その特定領域固有のフィールド調査の技法や知識に限定して、論じる入門書も多数見られる。たとえば、箕浦康子は、「フィールドワークという言葉は、現地に行ってなにがしかのデータを得てくること、たとえば、関係機関で資料を収集し現地を半日ほど視察してくる実地検分にも、地理学者が地形や植生を現地で観察し、自然と人々とのかかわり合いを聞き取り調査することにも使われる」と概念の広がりを指摘した後、「人と人の行動、もしくは人とその社会および人が創り出した人工物との関係を、人間の営みのコンテキストをなるべく壊さないような手続きで研究する手法をフィールドワークと呼び、現地視察や植物相とか地形が研究対象であるような地理学的なフィールドワークとは区別する」(
8)と領域を限定し、さらに、その中でもマイクロ・エスノグラフィーに対象を限定していくのである。
 これらフィールドワークを狭義に限定して捉える立場には、「フィールドワーク」を「社会調査」の下位概念である「フィールド調査」のさらに下位概念として位置づけ、生活史法(ライフヒストリー研究法)、質問紙法、インタビュー法などと並列させて論じるものもある。(
9)
 また、逆に、フィールドワークを調査法にたんに限定せず、より広義な概念として設定し、ボランティアや海外援助、地域活動などの社会参加や実践活動と一体のものとして捉えようとする立場もある。たとえば、庄野護は国際協力に伴うさまざまな実践を広くフィールドワークと位置づける立場を主張している。(
10)また、杉万俊夫は、たんに観察者としてとどまるだけでなく非営利活動団体(NPO)の一員として積極的に地域活動に参加する過程を重視する人間科学のフィールドワークの立場を主張している。(11)
 フィールドワークをめぐる概念の拡散に対応するため、入門書の中には、技法の共通性よりも、個々の研究者が作りだした個別の技法に注目し、大量の執筆者を用意し、それぞれの個性が生み出した技法を個別に論じさせるものも登場するようになった。(
12)つまり、フィールドワークの百人百様さをそのまま示し、あとは、学習者の志向や判断にまかせようという立場である。
 フィールドワークという共通のことばを使いながら、入門書が対象とする分野や知識を広義に設定したり、逆に狭義に限定したりと大きな触れ幅を示すのは、フィールドワークが本質的にもつ性格かもしれない。フィールドワークに領域を超えた共通の定義を与えることは、現時点では、非常に困難であるばかりでなく、むしろ新らたな調査技法の創意工夫を進める上から見て、あまり意味のあることとは思えない。

D 入門書における2つのタイプ〜技能と技術〜
  このように、著者たちのフィールドワーク概念の相違に従って、実態は、これらの入門書で取り扱われるフィールドワークの技法や知識には非常に大きな差異が生じており、この多様性を背景として、それぞれの入門書の中で、フィールドワークの技法の紹介のされ方も多様性を帯びてくるのであろう。だから、これらの入門書のもつ傾向を包括的に把握するような議論は所詮不可能であるように思われる。
 しかし、とはいうものの、これらの入門書が取り上げる技法の多様性とは別に、その取り上げ方にはいくつか特徴的なタイプを指摘することができると思われる。
 ここでは、対照的な2つのタイプを取り上げたい。
 まず、最初のタイプとして、フィールドワークの技法を十分に経験を積んだ者が身につけることの出来る高度な技能として論じるタイプがある。たとえば、その典型として熱帯生態学を専門とする山田勇の立場を紹介すると、「フィールドワークで何が一番必要とされるか、・・・私は躊躇なく「直感力」といいたい。・・・その直感力はどうして養えるのか。それは、やはり経験である。・・・その経験の過程で、最も大事なのはおそらく、「観察」であろう」(
13)とし、フィールドワークのもっとも過酷で困難な側面に注目する。そして、常人には容易に近づけないような困難で過酷なフィールドワークの「現実」をあえて提示することによって、フィールドワークという研究方法のもつ固有の思想や技法を際だたせようするのである。このような傾向は、生態学や霊長類学を専攻する探検部や山岳部出身のフィールドワーカーにみられるタイプかもしれない。ジャーナリストでは、本田勝一がそのよい一例であろう。ある種の神話化作用を伴いながら語られるフィールドワーク体験は、フィールドワークのもつ研究精神を理解する上で避けては通れない意義をもつといえる。
 つぎに、執筆者のフィールドにおける個別的経験にもとづき、その過程で獲得した作法やノウハウを普遍的技法として一般化することを試みるタイプが存在する。たとえば、先述の箕浦のマイクロ・エスノグラフィーの技法がそうであるし、また、個々の技法の組み合わせやシステム的活用についてのノウハウの一般化を試みたものもある。一例をあげれば、広岡博之は、システム科学的アプローチをフィールド調査に応用することを提案しているし(
14)、また、森住明弘は、同氏が主張する「民際学」をフィールドワークに応用し、そのモデル化を試みている(15)。このような積極的なモデルの提示やノウハウの一般論化はみられなくとも、フィールドワークにおけるパソコンの活用法であるとか、統計の利用法であるとか、フィールドノートの書き方であるとか、多かれ少なかれ、研究者の個別のフィールドワーク体験から得られた知識やノウハウを一般化した技法として紹介、解説するタイプが認められる。
 この2つのタイプを比較するなら、前者のタイプは、フィールドワークの体験における職人の技としての「技能」の部分を強調するものであり、後者のタイプは、制度化された「技術」としての部分に注目するといえるかもしれない。
 だから、フィールドワークのもつ技法としての広がりを包括するには、これらの2つのタイプは相互に補い合うことが必要であるし、また、そうしなければ、以下のような批判を浴びることとなるに違いない。その批判とは、前者についてみれば、フィールドワーク体験の神格化にともなう他者からの批判の排除と後続者に対する権威主義的対応(ある種の貴族趣味といってよいかもしれない)であり、後者についてみれば、本来は自己のフィールドがもつ固有の条件から生まれた知識やノウハウに過ぎないものを過度に一般化することによって生じる技法の硬直化と権威化である。実際、フィールドワークについて語られる批判的議論の多くは、フィールドワークの技法をめぐるこの2つの批判と通底しているように思われる。

E フィールドワーク教育における事例研究の意義と位置
 もちろん、多くの入門書がこのような批判の存在を自覚しており、これらの批判を克服するためにも、それぞれの入門書の中で、さまざまな研究者が実際に行ったフィールドワークの事例の紹介に可能な限り多くのページを費やしている。
 たとえば、先述の箕浦康子『フィールドワークの技法と実際−マイクロ・エスノグラフィー入門』(
16)では、6人の研究者によるフィールドワークの実例が紹介されており、紙数の約半分がこれに費やされている。また、山田勇『フィールドワーク最前線 見る・聞く・歩く−京大探検部が誇る15人の精鋭たち』(17)では、山田による導入章を除く残りの大半のページで14人のフィールドワーカーがそれぞれの事例と経験を紹介している。須藤健一編『フィールドワークを歩く−文化系研究者の知識と経験』では、編者の意図もあって、ほぼ全体が個々のフィールドワークの事例研究であるといってもよい。
 他にも、市民向けの入門書である渡部忠世『モンスーンアジアの村を歩く−市民流フィールドワークのすすめ』(
18)では、9人のフィールドワーク実践が事例として紹介されており、紙数も全体の4割を占める大きさである。
 もちろん、技法の紹介を中心にし、個々の事例を紹介していない入門書もある。たとえば、佐藤郁哉『フィールドワーク−書を持って街へ出よう』(
19)やJ・G・クレイン、M・V・アグロシーノ『人類学フィールドワーク入門』(20)は、事例編を伴わない入門書の嚆矢であろう。しかし、このような入門書でも、その技法の解説に際しては、きわめて豊富な事例が飲用され、また紹介されている。(21)また、フィールドワークの技法ではなく、フィールドワーク経験それ自体を論じることを目的とした好井裕明・桜井厚編『フィールドワークの経験』ですら、論じ手の多くはその言説を展開するに当たって、自らのフィールドワークの経験を紹介し、そこから多くの自己省察的な事例を引きだしている。(22)
 フィールドワークがフィールドで展開される直接的体験を伴うものである以上、その技法の教育や紹介に際して、具体的な事例の紹介や引用を抜きにすることは不可能であるといって良いだろう。豊かな事例研究が紹介されてはじめて、そこから得られたノウハウや知識の重要性と信頼性が担保されるのである。もし、事例の紹介が不十分であったり、また、事例が示す事実がそれに基づいて論じられているはずの技法と矛盾したりすることがあれば、技法の方法論としての信頼性が揺らぐことになりかねない。
 しかし、実際の事例を呈示することは、現実には、多くの制約を持っている。
 中でも最大の問題は、入門書において示される事例の大半が、書籍という媒体の制約を受けて、不可避的にすでに固有の文体によるテキスト化という情報処理を受けていることである。これは、2つの問題を生じさせる可能性をもっている。
 まず、フィールド経験のほとんどない初学者にとっては、文字によって提示される概念や事実が、自己の経験に対応する形象を持たないことが多い。つまり、一言でいえば、文字として読めても、それが何物か理解できないということである。
 つぎに、たとえば、エスノグラフィーの作成にみられるように、特定の文体を用いてテキスト化という情報処理を行う過程自体のもつ作用やそれに伴う変容を批判的に学習することが、フィールドワーク教育のひとつの重要な課題となっている。ところが、文字のみを用いてフィールドワーク教育を行うことは、文体をめぐる議論を論じるためにテキストに依存するというダブルバインドな状態を避けることが難しいのである。
 このような問題を克服するには、結局、フィールドに出る以外に適切な道はないということになる。実際、フィールドワークを教科書で学ぶことの困難さが、繰り返し指摘される原因のひとつは、ここにあるといってよいだろう。もちろん、職人の<技>、つまり技能としてのフィールドワークをテキストを通して学ぶことは、本質的に困難を伴うだろうことは言を待たない。このような<技>の習得には、徒弟的関係を伴う現場教育がもっとも現実的であるのかもしれない。(
23)しかし、フィールドワークの中でも、せっかく技術として制度化したはずの部分ですら、結局のところ、テキストという媒体のもつ限界を主要な原因として、その習得を効果的に行うことができないのである。

F マルチメディアの活用の可能性と教材化
 もっぱら文字に依存したフィールドワーク教育の限界を超えるひとつの試みとして、マルチメディアの技術を活用したフィールドワーク技法教育に注目したい。とくに、初学者の導入教育にマルチメディア技術がどのように活用できるかを考えることは、フィールドワーク教育のもついくつかの問題と課題を克服するために高い有効性をもつだろう。
 このような問題関心を持ちながら、2000年度以来、社会学・文化人類学領域におけるフィールドワーク教育におけるマルチメディア教材の開発研究が進められてきた。(
24)
 研究を進めるに当たって、以下のような目的を掲げた。

1 研究目的
 フィールドワークはたんに社会調査の一方法というだけでなく、その実践は、社会学、文化人類学をはじめ隣接諸科学を学ぼうとする学徒や研究者にとって、その学問的探求のあり方や思想を深く陶冶する本質的な経験をもたらすきわめて重要な位置づけを持ってきた。フィールドでの経験は、学問とは何かという問題を学問を志す人々に問いかけ、そこに展開される豊かな現場は、教室では得ることのできない多様で濃密な知的経験と学びの場を提供してきた。極言すれば、フィールドこそは社会学者や人類学者のもっとも豊かな揺籃であったといえる。
 しかし、一方、フィールドワークは、それが実践される場と社会的条件をめぐって今日的な諸問題を投げかけており、とくに調査する側とされる側の間に横たわる非対称的な関係に示されるように、フィールドワークという学問的実践それ自体がポスト近代における学問と社会の問題を考える重要な糸口をわれわれに示している。もはや研究者はフィールドワークを研究者の聖域とすることはできないし、そこで得た知見をたんに同業者としての安全な研究者集団の中にのみ独占しておくことはできない。
 フィールドワークを通して社会学や人類学は何を学んできたか、そして、何を学びうるのか、さらにどう学びつつあるのかをフィールドワークを実践する社会学者・文化人類学者および近接領域の研究者の論理・実践・技法から考えるのがこのテキストのめざすものである。
 テキストは、社会学、文化人類学、地理学など隣接諸学に共通するフィールドへの接近とその論理・技法・実践を取り上げ、現場と関わろうとする知的営みのあり方を学習者と共有し、ともに考えることを試みたい。
 近年、大学生の多くに、メディアなどの二次的情報への依存と現実の社会や人間関係への関心の希薄化が認められる傾向が指摘されているが、そのような現状に危機感を抱く社会科学領域の教材としても、共通して活用できることを目指すものである。

2 達成課題と開発教材のイメージと条件
 この研究の中心は、実際的な入門書を開発することであり、具体的には、従来の印刷教科書に加えてCD−ROMを媒体とするマルチメディア形式の補助教材を並行して開発することにあった。これは、印刷テキストのもつ上述したような限界をマルチメディア形式の教材を併用することにどの程度克服するすることができるかに実際的な見通しを得ることであった。したがって、これはフィールドワーク教育を全面的にマルチメディアによって行おうというものではなく、あくまで実際的な教育場面を想定して、印刷テキストと共存できるマルチメディア教材を開発することに主眼があった。そこで、開発すべき具体的教材の形態のイメージとして、次のようなイメージを想定した。(
25)
 まず、印刷テキストとCD-ROMを媒体するマルチメディア教材を効果的に組み合わせ、インターネットや映像文化に高い親和性をもつ今日の学生たちの知的指向性に合わせた教育手法を模索する。そのために、以下の3つの条件を用意した。

a 印刷テキストは、できるだけ軽量化する。(既存のテキストの3分の2以下の厚み)

b マルチメディア教材は、学生が講義をよりよく理解するための補助的な自習を行ったり、テイクホームでの課題になるような自習補助教材として製作される。

c 印刷テキストとマルチメディア教材(CD-ROM)は、相互に緩やかな関連性をもたせ、メディアミックスとしての効果を発揮できるようにする。

 これら3つの条件の中でも、とりわけcの条件を満たすために、つぎのような具体的なアイデアを盛り込むこととした。

(1) 印刷テキスト中の参考文献は、CD-ROMに全文を収録する。

(2) テキスト内に指示された地域、人物、現象などは、美しいカラー画像やデジタル動画でCD-ROMに収録される。

(3) 執筆分担者が行ったフィールドワーク事例をマルチメディア作品として紹介する。

(4) 著者紹介は、デジタル動画による肉声をCD-ROMに収録し、執筆者と学生との距離感をできるだけ小さくするよう配慮する。

G マルチメディア教材の開発と実際
 このような条件の下で、具体的なマルチメディア教材の開発が進められた。

1 技術的条件と制約
 ところで、開発にあたっては、CD−ROMを媒体とするマルチメディア教材の製作に関しては、いくつか技術的な制約を考慮する必要があった。まず、CD−ROMのもつ容量のおよそ700メガバイトという制限であり、つぎに、データ読み込み速度がDVDなどと比べて比較的低速であるという点である。
 これらに加え、マルチメディア媒体を立ち上げる学習者側のコンピュータの側の条件に対する考慮が必要であった。比較的に学習者集団と動作環境を特定しやすい大学授業での利用ではなく、自宅における自習目的の補助教材を開発するという条件は、それだけ動作環境としてのコンピュータやCD−ROMドライブの性能が多様であることを免れ得ない。しかし、他方、開発するマルチメディア教材があらゆる環境に対応することもまた困難である。マルチメディアとして高い動作性と操作性を実現するには、より高いコンピュータの性能が求められる。
 このような避けがたいジレンマを前にして、本研究では、まずウインドウズ環境での動作を前提とし、マッキントシュでの動作は放棄することとした。つまり、両機種での動作を保証するには、ハイプリッド版での製作が必要であったが、そのためには、同じコンテンツをウインドウズ用とマッキントシュ用の2セット用意しなければならず、実質的にCD−ROMの容量が半減する。これを避けるため、ハイプリッド版はあきらめ、普及率の高いウインドウズ版のみの製作を行うこととした。
 つぎに、機種の性能としては、現在の学部レベルの大学生が入学時に購入したウインドウズ・パソコンを性能に関するおおよその最低限界として、それ当時の機種でも不自由なく操作や動作が可能な処理速度を前提として、コンテンツの製作を進めた。
 ほかにも、細かな制約や条件はたくさんあったが、製作にあたっての技術的想定は、このようなものであった。
 つぎに、

2 コンテンツの特徴と事例
 つぎに、制作するコンテンツとして、具体的につぎのような作品を想定し、実際に製作を行った。
 まず、コンテンツは、大きく2つの部に分かれている。その第1部は、7人の研究者・フィールドワーカーが自らのフィールドワーク体験をマルチメディアで紹介、解説するフィールドワークの事例編である。
 つづく第2部は、各研究者・フィールドワーカーが印刷テキストで紹介したり、引用したりした文献資料や論文などの全文をPDF形式のファイルであり、印刷教材での学習を補完する位置づけを与えられるものとなっている。
  いうまでもなく、第1部のフィールドワークの事例編の7つの作品が、このCD−ROM教材の中心であり、Adobe社のDirectorをプラットフォームとして、映像・音声・テキストから構成されるマルチメディア・タイトルとして製作され、本教材の中心として位置づけられるものとなっている。
 この7人のフィールドワークの事例は、7つのタイトルとして個別に製作されており、メインページから各章に分岐される構造となっている。学習者は、印刷テキストと併用しながら、印刷テキストの執筆者が実際に行ったフィールドワークでの研究事例をマルチメディア形式の作品を通して、より深く理解することができるように構成されている。

3 生活史調査におけるフィールドワーク過程のマルチメディア化〜作品事例の紹介〜
 ここでは、その作品の一つである「シュガーケーンフィールドの畔で〜ハワイ日系人二世のライフヒストリー調査〜」を例として取り上げながら、その作品の特徴とフィールドワーク教育において期待される効果をまとめてみたい。この作品は、山中速人のフィールド調査を素材に、ハワイ日系人2世の生活史調査におけるフィールドワーク過程を作品化したものである。
 表1は、マルチメディア化のための構成シナリオである。このシナリオは、MSエクセルの表作成機能を使って作成されている。このマトリクスの縦列には、1ページレイアウト、2章タイトル、3節タイトル、4ページタイトル、5画像ファイル名、6キャプション、7文章テキスト、8ナレーション、および9リンク先ファイル名の9つの項目が表示され、横行は、コンテンツのストーリーが時系列で進行する流れに沿いながら上から下へとシーンがカード形式で配置されている。
 この構成シナリオに沿いながら、あらかじめ用意された部品に相当する素材ファイルを組み立てていくのである。この組み立て作業を一般にオーサリングと呼んでいる。さらに、このシナリオの下部には、個々のリンク先での動作を示すサブシナリオ群が表示されている。
 オーサリングの作業で、ばらばらに収録された写真、音声、ビデオ動画、文字テキスト、スキャニングされた文献資料などが、一つのマルチメディア・タイトルとして有機的に組み立てられていく。ここでは、動画素材を示すことは不可能なので、この過程で使われた写真や文献資料などの素材群の一部を写真資料として提示しておきたい。
 マルチメディア・タイトルの製作を経験した者なら、このシナリオが時間軸を主軸としたストーリー性の強い作品であることが容易に理解できるであろう
 。一般に、マルチメディア・タイトルには、大きく分類して、時間軸に沿ったストーリーテリング型、検索機能を中心としたストーリー性のないデータベース型、そして、この中間に位置し、ハイパーテキストによる複数のストーリーをインタラクティブに選択構成できるハイパーテキスト・リンク型の3つのタイプがある。(
26) この3つのタイプの中で、第1のタイプのストーリーテリング型教材をここでは選択した。
 その選択に当たっての理由は、まず、フィールドワークの体験という研究者個人の経験は、基本的に時間軸にそったものであり、それをドラマタイズして表現する上で、この時間軸にそった表現はもっとも親和性が高いと考えられたからである。
 もちろん、フィールドワーク体験の表現として、時間軸にそったストーリーテリング型がいつも最適であるというわけではなく、たとえば、今回の作品群の中でも、「大森康宏・映画というフィールドワーク〜フランスにおける移動民・マヌーシュの映像民族学〜
」においては、場所という別の軸にもとづいた構成を用意している。ただし、自動実行プログラム化された基本的な流れとしては、移動の時間的経過にそったストーリーが用意されているので、この場合、第1型のストーリーテリング型と第3の型のハイパーテキストリンク型の併用ということになろう。
 また、同じフィールドワーク体験型のマルチメディア作品でも、たとえば、インタビューの再構成を中心とした『デジタル言説〜ある社会学者の思想』などの場合は、デジタル動画によって映像化された言説を単位ごとにデータベース検索できるよう構成されているので、第2型のデータベース型ということができる。
 このように、作品の基本構造としてどのタイプを前提にオーサリング構成を設計するかは、コンテンツの主題との関連において、十分吟味しておく必要があるのである。

I メディアミックス型印刷テキスト
 さて、このマルチメディア作品と並行して、印刷テキストとして、次のような内容のテキスト「フィールドワークとしての生活史調査〜ハワイ日系2世のお年寄りたちの生活史をインタビュー調査する〜」が用意された。以下は、その主要な内容である。

「フィールドワークとしての生活史調査〜ハワイ日系2世のお年寄りたちの生活史をインタビュー調査する〜」

1 はじめに〜なぜプランテーションとそこに暮らす日系人の生活史を調べるのか〜
 ハワイ系移民の歴史的形成にとってサトウキビ・プランテーションの果たした役割は大きい。プランテーションは、日本人移民をはじめ多くの移民労働力を世界中から受け入れた。そこには、キャンプと呼ばれた労働者住宅街を中心に独特の多文化コミュニティが形成された。
 今日、プランテーションは、ハワイ砂糖産業の衰退によってその役割を終えつつあり、そこに営まれてきた地域社会も住民の高齢化や人口の減少を迎え、離島固有の社会問題を抱えている。また、製糖産業に代わって新たに観光リゾートの開発が進行するなど、地域社会は変化の兆しを示している。
 カウアイ島をフィールドに、この島で戦前、戦中、戦後を生活してきた多くの民族グループの一つとして日系人を選び、彼らの生活史、とくに高齢化した日系2世たちのライフヒストリーを記録することを通して、文化の境界を越えて生きてきた人々の歴史とその未来を考えたい。それが、調査の目的である。
 調査は1999年以来継続され、多くの学部学生・大学院生が参加した。学生の一人一人が、長時間のインタビューを実行し、お年寄りたちのライフヒストリーを執筆してきた。現地の人々との交流やインタビュー経験など、学生たちにフィールドワークがもたらしてくれる人間的な成長は、計り知れないものがある。調査はこれからも継続されるが、ここでは、その成果の一部を使いながら、フィールドワークとしてのライフヒストリー調査の方法と実際について論じることにしよう。

2 ハワイ日本人移民〜1世から2世へ
 まず、最初に日系ハワイ移民の歴史について少し触れておきたい。
 ハワイ日系人の歴史は、近代における日本の海外移民の歴史でもある。ハワイに最初の日本人移民が行われたのは明治元年に当たる1868年であり、それは近代の日本移民史の黎明でもあった。以来、日本からのハワイ移民は、1924年にいわゆる排日移民条約によって移民が完全に禁止されるまで、移民の形態は、日本政府とハワイ王朝政府との条約にもとづく官約移民期、白人クーデターによるハワイ王朝の崩壊以降の私約移民期、米国併合後の自由移民期、1917年の移民自粛紳士協定以降の呼び寄せ移民期、そして1924年の全面禁止へと時代を追って変化をとげ、最終的にハワイ人口の約4割が日本人移民とその子孫によって占められるまでに増大した。
 戦前期に移民した1世の大半は、サトウキビ・プランテーションでの労働に従事していたが、その後、小売業を始めたり、都会であるホノルルに移って、他の賃金労働に従事する者も現れた。この傾向は、2世になると一層強まった。また、プランテーションにとどまった2世の場合も、仕事の内容が熟練度の高い機械の修理や操作、管理労働などに移っていった。いずれにせよ、単純労働を中心とした1世から、より高い教育機会を得て多様な職種へと進出する2世へと、ハワイの日系社会は水平垂直の両方向に広がっていった。

3 2世の特徴〜伝統と葛藤〜
 太平洋戦争がハワイ日系人の社会的性格に与えた影響は大きい。真珠湾攻撃の勃発によって、1世の影響下にあったハワイ日本人社会は、ハワイ生まれでアメリカ国籍をもつ2世へと指導力が交代した。2世の社会進出を考える上で重要なのは、太平洋戦争への2世男性の従軍である。日系人部隊として知られる第100大隊や第442連隊のヨーロッパ戦線でのめざましい活躍は、モデル・マイノリティとしての日系人を象徴する「神話」でもあった。
 しかし、今日、これら第二次大戦に従軍した2世たちはすでに老境に入り、日系人部隊の経験が日系人の地位形成に影響を及ぼした時期は、過去のものとなった。また、兵役に関わらなかった女性たちの地位上昇は、男性に対して相対的に低いレベルにとどまった。
 ドロシー・ハザマ他『Okage Sama De』によれば、本土からやってきたアメリカ兵たちがハワイに持ち込んだ本土のライフスタイルは、ハワイ生まれの若い2世たちに受け入れられ、多くの日系人家庭では、1世と2世の間で価値観のギャップを生んだという。しかし、2世は、1世に反発しながらも、1世が持つ長幼の序列や家族主義などの価値を共有しており、個人主義的傾向を強く持つ3世との間に内面の葛藤を秘めているともいえる。 一方、3世の多くは、よりよい職業機会を求めてハワイを離れ、米本土に向かう傾向が認められる。その結果、ハワイの日系社会の高齢化は急速に進行している。

4 プランテーションとキャンプの生活
 つぎに、カウアイ島とサトウキビ・プランテーションについても触れておく。
 カウアイ島は、ハワイにおけるサトウキビ産業の発祥の地でもある。サトウキビ産業は、ハワイ諸島における最初の近代的産業であり、全域に拡大していった。過酷な労働現場であるサトウキビ・プランテーションにとって、不足気味の労働力確保のため世界中から移民が募集された。日本人移民の歴史も、ここに始まった。
 プランテーションでの生活は、どのようなものだったのだろうか。
 まず、労働者は民族ごとに居住地を指定され、耕地の真ん中に数十個の住宅からなるキャンプと呼ばれる住宅集合体が作られた。ここが労働者たちの生活の主要な場となった。たとえば、マカウェリにはキャンプ#1などと通し番号をふった複数のキャンプがあり、労働者たちはそこから仕事に出勤し、一日の労働を終えるとキャンプに戻った。一方、彼らの家族は一日をキャンプの中で過ごした。子どもたちは、キャンプから学校に通い、早朝や午後は、キャンプの中に建っている仏教寺院付属の日本語学校に通った。
 これら寺院には、日本から派遣されてきた開教使と呼ばれる僧侶が住み込んでおり、キャンプに暮らす日本人たちの冠婚葬祭や日本語教育を受け持った。宗派はさまざまだったが、浄土真宗も多くの開教使をハワイに送った。この調査に協力してくださったワイメア東本願寺(開教師・藤森宣明氏)も、そのような寺のひとつである。

5 フィールドの概況〜カウアイ西部地域の街々〜
 東からコロア、ハナペペ、ワイメア、ケカハと、海岸部を取り巻くように続く南西部地区の中で、もっとも商業的な発展をしめしたのは、ハナペペであった。ハナペペには映画館をはじめ大小の娯楽施設、飲食店、商店あんどが軒を並べ、この周辺でもっとも反映した商業地区であった。しかし、今日では、人口の集中地区は島の東側に移動し、ハナペペはかつての賑わいを失っている。
 ワイメアは、かつてハワイでもっとも小さなサトウキビ・プランテーションのある町だったが、それも閉鎖され、今日ではワイメア渓谷観光の入り口の町として栄えている。また、かつてのサトウキビ・プランテーションは、往事を忍ばせる農園風ホテルに改造され繁盛している。
 ケカハ地区では、サトウキビ搾汁工場(シュガー・ミル)が現在も稼動しているが、それも最近閉鎖が決定されたようである。
 しかし、工場は閉鎖されても、その周辺には、多くの元従業員の住宅がありり、退職した老従業員たちに安価で貸与され、往年のキャンプのたたずまいが色濃く残っている。また、プランテーションでは、コーヒーやトウモロコシへの作物転換が進められており、広大な赤土の大地が山から海になだらかに連なる風景に、それほど大きな変化は起こっていない。

6 調査方法と実施
 さて、次に具体的な調査の方法と実施について話を進めていこう。
 調査は、主に夏休み中の時期に行われ、たいがい2週間程度の期間が設定される。
 インタビューのために学生の人数だけインタビュー対象者が選ばれる。彼らの多くは、親の代から続くワイメア東本願寺の門徒組織の会員であり、対象者の選定は、寺と会員の日常的な信頼関係がすでに形成されているためスムーズに進められる。
 彼らの大半は、戦前期に日本語学校で日本語を習ったため、今でも、日本語での会話と若干の読み書きが可能であり、インタビューは日本語で行われる。ただ、日系人2世の全員が日本語が話せるわけではなく、日本語教育が禁止された太平洋戦争の勃発の時点にその人がどの程度の学齢期にあったかによって、日本語能力は微妙に異なっている。
 インタビューは、基本的に非統制的な自由インタビューによっておこなわれる。ただし、調査内容に共通性を持たせるため、自由記述形式のインタビュー・シートを使用している。インタビュー・シートの大項目は、次のとおりである。

(1) 対象者の属性
(2) 親の世代について
(3) 対象者本人の社会移動歴
(4) 婚姻
(5) 対象者本人の生活史
(6) 現在の生活状態
(7) 他の民族グループとの関係についての意識
(8) その他、社会や宗教についての意識

 インタビュー調査は、以下のような体制の下で行われる。
(1) 学生2人で1組を作り、各組が2人の対象者のインタビューを担当する。
(2) 用意しているインタビュー・シートをすべて質問するには、およそ5時間程度が必要である。しかし、高齢の対象者の疲労を考慮し、1回90分から120分程度で、3〜4回(3〜4日)にわけて実施している。インタビュー過程は、許可を得て、すべてテープに録音する。また、インタビュー風景のビデオでの収録も同時におこなう。1組の学生2人のうち、どちらか一人がメインのインタビュアーになり、残りの一人は、写真撮影、ビデオ撮影、テープレコーダの管理、メモ取りなどの作業を分担するのである。
 これらのインタビューと並行して、対象者が保有する家族や祖先の写真、アルバム、書類、文書などのライフ・ドキュメントの収集も行う。とくに、写真の収集は精力的に行うことにしている。
(3) 写真の収集に関しては、対象者が保存している古い写真(記念写真、家族写真、風景写真、生活スナップ)を収集する。訪問時に、古い写真を見せてもらうよう依頼し、その中から、本人の歴史やプランテーション生活、当時の暮らしなどが分かる写真があれば借り出し、本部の事務所にあるパソコン・スキャナで取り込み、デジタルファイルとして保存するのである。

7 ライフヒストリーの作成
 収集されたさまざまな口述記録や資料は、帰国後、ライフヒストリーへとまとめ上げられる。インタビューを担当した学生たちは、以下のようなガイドラインにしたがって、これらの資料を文章化していくのである。

(1) まず、日本語にして8000字程度を目安として、第三人称の文体を使って、インタビュー対象者の生活史をまとめる。記述に当たっては、感情的な言葉遣いを控え、客観的な記述を行うよう努める。そのとき、対象者本人の出生以前、移民1世である両親の来歴、また、本人の家族関係についてできるだけ正確に記述することが学生たちに求められる。移民研究では、世代を超えた社会移動に強い関心が向けられるが、本調査でも、そのような移民研究の基本的な関心に従っているのである。

(2) 次に、インタビュー・テープをテープ起こしした肉声によるエピソードを、上記の三人称で語られるライフヒストリーの各パラグラフの後に挿入する。三人称の文体によって装われた客観性は、対象者の心の動きや個性を伝えるのに最適でない場合もある。テープ起こしされた本人の肉声は、客観的記述の無機性を補うための有効な表現方法である。さらに、CD-ROM版報告書では、これら対象者のインタビュー風景を映像で視聴することができるよう動画ファイルが添付される。

(3) こうして学生たちが文章化したライフヒストリーは、教員によって内容や言葉遣いのチェックを受けたあと、学生自身によってテープに吹き込まれる。それを持って再度ワイメアを訪問し、対象者にテープを聞いてもらい、事実関係の確認やプライバシーの確保などの観点からさらに修正が加えられていくのである。
 ライフ・ヒストリーの作成はこのような方法と手順にしたがって進められていく。

8 「物語」としての生活史がもつ条件と問題
 個々のライフヒストリーについては、CD-ROMでいくつか紹介しているので、それらを読んでほしい。これらの日系人たちのライフヒストリーは、単純に彼らの生活史における事実の記録であるだけでなく、人間によって語られ、また、記録された物語としての側面を併せ持っている。口述の歴史を採集するにあたって、このような語られた「物語」の側面を確認しておくことが必要であろう。これらのライフヒストリーの生成には、いくつかの固有の条件や問題が存在している。それを検討してみたい。

a プランテーションという地域社会の条件
 都市部と異なりプランテーションを核に発展してきたこの地域では、プランテーションの経営者から末端の非熟練労働者に至る垂直的な成層構造が地域社会の社会構造にも影響を及ぼしている。また、プランテーションが諸外国からの労働力の導入を活発に行ってきたため、このような成層構造とエスニック集団とが重なり合っている。
 このインタビュー調査の対象となった2世の多くは、都市に居住する2世集団と比べれば相対的に両親の階層上の位置づけを引き継いでおり、階層上のばらつきは相対的に小さく、エスニック集団としてのまとまりが強い。
 その結果、対象者たちが語る物語としてのライフヒストリーには、エスニック=階層社会を生きてきた人々の思考が投影されているように思える。日系人社会に対して<身内>としての強い一体感情を認める一方で、白人集団や他のエスニック集団を<他者>として外部化する傾向が伺える。たとえば、彼らの白人に対する見方は、民主主義的な平等原理を認めながらも、階層的上位者として扱い、同時に他のアジア系集団に対しては、プランテーション内の序列に応じて扱う傾向が認められた。

b 日本語でインタビューするという条件
 次に、このインタビュー調査の特徴の一つは、日本語を使用していることである。
 一般的に、ハワイ日系2世にとって日本語が使用される固有の時空が存在する。まず、日本語は、彼らにとって父母から受け継いだ言語であり、日本語は1世である父母と家庭内でコミュニケーションを行うために欠くことのできない言語であった。しかし、他方、彼らの日常生活の大半を占める、兄弟姉妹や学校でのクラスメイトとのコミュニケーションは、もっぱら英語(正確に言うと、ピジン・イングリッシュと地元の人々が呼ぶ地方英語)によって行われた。公共的な場所における日本語の使用は、唯一、日本語学校での授業であったが、これも、開戦によって断たれ、戦争中は日本語の使用が禁止された。その後、2世の成長とともに、職業生活や地域生活を支える言語としての英語の占める位置はさらに拡大した。しかし、他方、日本語も生き続けた。戦後、日本の親族集団と間に復活した「つきあい」や最近のケーブルテレビ放送経由の日本語番組の視聴が、日本語の使用機会を維持させている。エスニック言語としての日本語の使用は、「日系人」ではなく「日本人」としてのアイデンティティを想起させる役割を強く持っている。
 カナダで民族関係を研究する社会学者であるJ.G.リーツは、移民や少数民族に対する調査において、エスニック言語を使用すること自体が、対象者の回答をエスニックな方向に誘導すると述べている。この調査でも、学生たちのインタビューに対して日本語で回答することが、そのような傾向を引き出したかもしれない。

c 日本人学生というインタビュアの条件
 インタビュアをつとめた学生たちは、事前にインタビュー調査の基礎的な訓練を受けているとはいうものの、彼らが書いたライフヒストリーには、日本人一般が持つハワイ日系人や高齢者に対するイメージや先入観が潜り込むのを完全に排除することはできない。
 日本人の多くは、日本人移民に対して棄民的イメージを抱く傾向がある。これについては、拙著『ハワイ』(岩波新書)でも触れたが、そのようなイメージの投影の結果、学生たちの中には、センチメンタルに対象者たちのライフヒストリーを記述する傾向を示す者もあった。
 また、学生たちは日常的に高齢者との接触をあまり持っておらず、調査前の彼らの高齢者イメージは貧弱であった。彼らは面接に応じた比較的元気な2世たちの快活で陽気な姿に触れて驚き、イメージの変更を余儀なくされた。このとき、学生たちの多くは、これをカウアイ固有の現象と理解し、そんな生き方ができるのは、ハワイという開放的な風土に原因があると結論づけようとした。このような見方は、18世紀以来の「楽園幻想」の変形と考えてよいだろう。ハワイで経験したなにがしか「よい」ものは、ハワイの楽園性に原因があるというこのステレオタイプは、学生だけでなく広く世界中に流布しているのである。

d 「物語」への昇華とエピソードの位置づけという問題
 一方、学生たちに対する「語り」が、対象者の内部で時間をかけて発酵した「物語」に昇華している場合もみられた。彼らが語る物語は、少なくとも語り部自身にとっては揺るがしがたい人生の経験となっているが、彼ら自身の理解の枠組みの中で「得心できる」形に整形されているのである。
 次にエピソードの問題がある。語り手たちがエピソードを語る際、そのエピソードが彼らの経験の典型として語られるのか、それとも稀有な例外として語られるのか、経験の全体と対照させながら吟味される必要がある。
 たとえば、民族差別や迫害について、真珠湾攻撃のあと駐屯してきた米軍の軍属たちが日本人にも分け隔てなく親切であったというエピソードの文脈は二方向である。それは、日系人に対する差別や迫害が日常的だったから、それをしなかった軍属が記憶にとどめられのたか、逆に、ほとんどの軍属たちが友好的であり、そのことを象徴するようなエピソードとして記憶に残されたか。
 個人のエピソードは口述のライフヒストリーにとって欠くことができないが、彼らが生きた時代全体の理解を抜きにしては、その意味の確定は困難である。ただ、そうはいっても、そのような個人の経験を累積することによってしか、その時代総体に意味を与えることもまたできない。
 結局、我々は、複眼をもって彼らの経験の多様な可能性を吟味することによってしか、対象のステレオタイプ化から免れる方法を持たない。その意味で当面大切なことは、出来事の有無や事実に関わる語りと、その出来事がなぜ起こったのかについての原因や因果、またそれが何を意味しているかについての言説とを聞き分けるという口述の歴史採集についての初歩的な手続きを思い起こすことなのである。

9 さいごに
 インタビューとは、聞き手と語り手の間で繰り広げられる演技的相互作用であるといえるかもしれない。もしそうなら、学生たちによって語られた対象者たちの特性、つまり、勤勉で、陽気で、積極的で、親孝行で、忠実という特性は、学生たちの期待の投影でもあると同時に、その期待に応えた対象者たちの巧まざる演技であったといえるかもしれない。たとえそれが夏の数日間に語られたパフォーマンスであったとしても、それが彼らの長い人生の価値をより鮮やかに浮かび上がらせるものであり、決してその価値を減じるものではないこともまた厳然とした事実なのである。

J おわりに
 フィールドワーク体験をマルチメディアという表現技術を使って作品化する試みは、まだ始まったばかりであり、今後も試行錯誤が予想される。しかし、フィールドワーク体験の映像による表現としては、映像人類学や民族誌映画の経験がいくつかの貴重な示唆を与えてくれるはずである。これまでの経験と知見を基盤としながら、マルチメディアという新しい表現技術がフィールドワーク教育に与える変化に引き続き注目する必要は大きいように思われる。

註と参考文献

1.ジョン・ヴァン=マーネン(森川渉・訳)『フィールドワークの物語−エスノグラフィーの文章作法』現代書館、1999年、p.11

2.W・F・ホワイト「日本語版への序文」『ストリート・コーナー・ソサエティ』(奥田道大他訳)有斐閣、2000年、p.ii

3.たとえば、好井裕明は「「フィールド」には、調査となる場所、地域、対象となるひとびとだけでなく、調査をする「わたし」と対象との相互作用、他者や状況への身体的、情緒的な関与のありよう、より根底にある社会学的問題関心のうごめきなどが含まれています。」(好井裕明・桜井厚編『フィールドワークの経験』せりか書房、2000年、p8)と述べ、フィールドワークの経験自体を考察の対象とする必要を論じている。このようなフィールドワークをめぐる新たな言説の傾向としては、先述のジョン・ヴァン=マーネンbの著書は、エスノグラフィーの文体を考察するエッセーであり、また、中野卓・桜井厚編『ライフヒストリーの社会学』弘文堂、1995年は、ライフヒストリーの研究主体と対象者の関係を論じたライフヒストリーという研究行為の社会学的研究といってよいものである。また、フィールドワーカーの主体とエスノグラフィーとの関係を批判的に考察した論文には、関本照夫「フィールドワークの認識論」伊東幹治・米山俊直編『文化人類学へのアプローチ』メネルヴァ書房、1988年などがある。

4.これらの新規参入者たちにとって、フィールドとは、誤解を恐れずに言えば、古代史の分野で顕著に見られるようになったアマチュア考古学者たちにとっての発掘現場と同類のものと考えてよいかもしれない。

5. 渡部忠世『モンスーンアジアの村を歩く−市民流フィールドワークのすすめ』家の光協会、2000年では、このようなツーリズム型のフィールドワークを市民流フィールドワークとし、研究者以外の一般市民が参入できる新しいフィールドワークの型として、積極的に評価することを主張している。

6. 「問題は、単純で安直な限定概念の発想にもとづくワンショット・サーベイと呼ばれる単発式のサーベイ」佐藤郁哉『フィールドワーク−書を持って街へ出よう』新曜社、1992年、p82。

7.佐藤郁哉、前掲書、p31

8. 箕浦康子『フィールドワークの技法と実際−マイクロ・エスノグラフィー入門』ミネルヴァ書房1999年、p3-4

9.中村尚司・広岡博之編著『フィールドワークの新技法』日本評論社、2000年などがそのよい例であろう。

10. 庄野護『国際協力のフィールドワーク』南船北馬舎、1999年

11.杉万俊夫『よみがえるコミュニティ〜フィールドワーク人間科学』ミネルヴァ書房、2000年。ただし、この主張の意義は、著者が自然科学出身の研究者であることに由来するように思える。実際、社会科学や人文系の研究者によるフィールドワークにおいては、この研究主体の現場への参加というテーマはすでに語り尽くされている部分も多い。

12.須藤健一編『フィールドワークを歩く−文化系研究者の知識と経験』嵯峨野書院、1996年

13.山田勇「フィールドワークとは」山田勇編著『フィールドワーク最前線 見る・聞く・歩く−京大探検部が誇る15人の精鋭たち』弘文堂、平成8年、p5

14. 広岡博之「フィールド調査の新展開」中村尚司・広岡博之編著『フィールドワークの新技法』日本評論社、2000年で、広岡は、「システム科学のアプローチをフィールド調査に利用することができる。・・・フィールド調査をモデル化のための情報収集の方法として実施することができる。・・・・フィールドワークとアンケート調査の併用を勧めたい」(p84-85)と述べ、フィールドワークへのシステム科学の導入を提案している。

15. 森住明弘「民際学におけるフィールド」中村尚司・広岡博之前掲書p89-104.

16. 箕浦康子『フィールドワークの技法と実際−マイクロ・エスノグラフィー入門』ミネルヴァ書房1999年

17. 山田勇『フィールドワーク最前線 見る・聞く・歩く−京大探検部が誇る15人の精鋭たち』弘文堂、平成8年

18. 渡部忠世『モンスーンアジアの村を歩く−市民流フィールドワークのすすめ』家の光協会、2000年

19. 佐藤郁哉『フィールドワーク−書を持って街へ出よう』新曜社、1992年

20.J・G・クレイン、M・V・アグロシーノ(江口信清訳)『人類学フィールドワーク入門』昭和堂、1994年

21.たとえば、佐藤郁哉、前掲書では、アメリカ社会学におけるシカゴ学派の業績の多くが紹介され、また、人類学ではマリノフスキーの業績が紹介されている。また、『暴走族のエスノグラフィー』(新曜社1985年)などの著者自身の研究事例が豊富に紹介されている。

22. たとえば、小宮敬子「看護婦が病院でフィールドワークするということ」好井裕明・桜井厚編『フィールドワークの経験』せりか書房、2000年、pp212-225.あるいは、出口泰靖「『呆けゆく』人のかたわら(床)に臨む」同、pp194-211.などがそうであろう。

23. 佐藤は、先述の著書『フィールドワーク−書を持って街へ出よう』新曜社、1992年の中で、「技としてのフィールドワークには、どうしても徒弟修行が必要であるが、・・・何らかの系統的訓練が不可欠なのである。」と述べている。(p18)

24.この研究は、2000年度の文部省科学研究費補助金・特定領域研究(A)「高等教育改革に資するマルチメディアの高度利用に関する研究」の一部として実施された。山中速人を研究代表者とし、分担者として、園田茂人(中央大学教授)、山本真鳥(法政大学教授)、佐藤郁哉(一橋大学教授、在外研究のため、途中離脱)、山田晴通(東京経済大学助教授)が研究参加した。

25. 印刷教材の開発に当たっては、先述の研究分担者に加えて、奥田道大(中央大学教授)、若林良和(高知大学教授)の協力を得ることができた。また、たんに実験的なテキスト開発にとどまらず、実用化が検討され、教科書として編集制作出版を社会学テキストの出版で定評を受ける(株)有斐閣が行うことが決まった。テキストの編集は、有斐閣編集2部の松井智恵子氏と大前誠氏が担当した。

26. この3類型については、拙論「マルチメディア教育事始め・メディア工房の経験と教訓・授業への導入・マルチメディア・レポートの製作指導1」『視聴覚教育』no.626、2000年12月号、pp20-23を参照いただきたい。