座談会

〜情報とネットワーク社会〜
市民がネット社会を変えていく


『情報とネットワーク社会5』
情報処理教育研修助成財団機関誌 No.96, 2001年7月


山中速人(中央大学文学部社会学科教授)
廣瀬洋子(メディア教育開発センター助教授)
奥出直人(慶應義塾大学環境情報学部教授)


財団 本日は、引き続き「ネットワーク社会」についてお話しいただきたいと思います。それでは、司会ならびにコーディネートを広瀬先生お願いいたします。

広瀬 本日おいでいただいた山中先生と奥出先生は期せずして同世代ですね。かくいう私も奥出先生と同じ一九五四年生まれ。団塊世代の兄貴たちの青春を追体験しながらも、遅れてきた世代というか、ちょっとあの乗りにはついていけないけれど、六〇年代からの高度成長期の始まる頃に生まれた世代とも距離がある狭間の世代といえます。
 奥出先生の『トランスナショナルアメリカ』を読んで、同世代だなあ、と懐かしい感慨を抱きました。私たち世代が抱えている、豊かさとどう折り合いをつけて社会のモラルや価値を見出していくのか、という命題は、実は二十世紀のアメリカの若者が抱え続けてきた問題だったわけですね。革命や平等を声高に叫んだ団塊の世代とは違ったかたちで、豊かな世界にむかっていく中で、新しい価値をみつけていこうと。アメリカでもヒッピーからヤッピーと移り変わっていく中で同じような価値の模索がなされていたと知り、ワクワクしながらしみじみと読ませていただきました。
 奥出先生がUSメインランドのワシントンならば、こちらの山中先生は同じ頃、ソーシャルワーカーを目指し、ハワイのイーストウエストセンターで日系アメリカ人社会のフィールドワークをなさっておられました。その後ハワイの先住民運動などアメリカ社会をマージナルな視点から研究された。現在は神戸の震災や、日本海の原油流失のITボランティア活動や、カンボジアの村おこしにも関わっておられます。
 お二人に共通することとして、アメリカ留学、研究者としてのコンピュータとの出会い、IT技術を駆使して新しい研究のスタイルを確立すると同時に、その成果をコンピュータをとおして発表なさっておられます。でもIT社会に関しては、それぞれまた異なるご意見もあるかと思います。山中先生は最近、アメリカの西海岸でのNPOの活動をとおしてデジタルデバイドの問題を調査なさったそうです。これは先進国と開発途上国のシリアスな問題にもつながります。今日は、デジタルデバイドの問題、奥出先生がいろいろな場所でおっしゃっておられる「ネチズンの出現」について、お二人の議論をたっぷり伺いたいと思っております。
 今後、社会のIT化が進むなかで、市場経済が再編成されていくでしょうが、ITによって、新たな市民社会がどうつくられていくのか、果たしてネチズンはどういう力を獲得していくのか、じっくりお聞かせください。

アメリカでのパーソナルコンピュータとの出会い

奥出 何がデジタルデバイドかというのは面白い議論だと思います。
 それと世代論ですが、一九五四年生まれというのはまさに間といえば間の世代です。
 僕はアメリカに留学していた頃、パーソナルコンピュータに出会って、すごくショックを受けたんです。ああ、こんなものを自分らが持っていいんだと。ホールアースカタログの第何版だったかにアップルHの話が出ていて、それで、アップルHを買ったわけです。値が安くなっていた。それと同時にプロセスライティングという本を買った。要するに、この二つのコンビネーションで、文章がきちっと書けるようになるわけです。紙と鉛筆のときは、きちっとした思考をした者でないと文章は書けなかった。それが、コンピュータでは書けるようになる。これはすごく面白いことでした。このことを僕は最初の本『物書きがコンピュータに出会うとき』に書いたんです。それから数値シミュレーションがエクセルで簡単にできるようになる。これもパラメーターがすごく増えたものに関してできるというのも非常に面白かった。それこそまさにデバイド的にいうと、差別されている側の人間は、メインフレームにアクセスできない、アカウントのレベルも低いからバッチ処理だと夜中になってしまう。それが自分の手前で処理できるという、この感覚はすごく新鮮だったですね。それから十年遅れてインターネットが出てくるわけです。インターネットもやはり同じで、エスタブリッシュされた人たちがつくったネットワークというのがまずあって、そういうのではなく自分でつなげばいいんだ、ということでネットワークができるようになったんです。慶應藤沢(SFC)ができたときも全員にワークステーション配ったら、コンピュータサイトの人が、そういうことをしてはいかんと、あれはきちっとした処理ができる人間だけがアクセスできる、コンピュータを使うことができるんだという。そういう議論が平気でなされていたのです。なんかコンピュータってエリートしか触れちゃいけないみたいな風潮でした。でも、そもそもパーソナルコンピュータとかネットワークというものは、最初からみんなのものだったわけですね。しかも今、どんどん安くなっている。たとえば僕の研究室なんかでも七、八年前は、十何億円という磯材があったわけです。四、五年前でも数億、概械一台で一億円です。今まったく同じのが二十万円とか十八万円で買えてしまうわけですね。

誰でもできる「ポツブテクノロジー」


 そういう強烈なデジタルメディアの民主化みたいな勢いがあって、そこに最初に触れたというのは僕らの世代です。それと実はグローバライゼーションの問題がすごく関係しています。飛行機料金も安くなったし、それからクレジットカードを使いはじめた最初の世代です。世界中動き回れるようになってコミュニケーションのやりとりができるようになった、それが皮膚感覚でわかる最初の世代です。
 だから今よくあるデジタルデバイド論というよりも、その前に、周辺にいてコンピュータに興味があった普通の人間が、そういう装置に触れることができるようになった、ということがありますね。それを最初に体験することができたということでしょうか。

それから実はそのあとから、この技術をどう使うか、というイデオロギー的な議論が始まってくるんです。これには可能性がある、これをどう使うかに関してです。この感覚というのは、団塊の世代ではないですね。彼らにとってはビッグブラザーであって、最初から悪であったりして、どうそれを処理するかという議論が多いですからね。僕は十年ぐらい前に「ポップテクノロジー」ということを言ったことがあります。ポップミュージックと同じで、どこか聞いたことがあるというような感じで、皆の基礎経験のなかにデジタルテクノロジーが入っているということです。そのへんから議論を始めたほうがいいんじゃないかと思いますが。

創成期にはラディカルな時代の息吹があつた

山中 シリコンバレーにインテルの博物館があります。コンピュータの拡大模型が作られていて、説明も非常にわかりやすい。あそこへ日本の子どもを連れて行ったらいいかなあと思ったりするんだけれども。そのなかにインテルの自業当時の工場で・いてる女子従業員たちの工員農がある。その工員服の胸にハトのピースマークのエンブレムがついてるわけですよ。僕はベトナム反戦運動の世代ですから、あのマークには非常に特別な思い入れがあるんです。
 最初にインテルのパーソナルコンピュータ、当時マイコンといった、そういうものが出てきたときのあの時代の気分というのがあるんですね。国家の強大な権力とその象徴であるIBMとが一体化している。そういうものに対して闘いを挑むために一般の市民が自分たちの知的支援機械を持ちたいという思いです。ほんとにチンケなコンピュータだったですけど、組み立てキットみたいなもので、僕もつくりましたよね。
 僕も八○年代初めにアメリカの大学にいて、イーストウエストセンターという研究所で助手をしていたんです。研究所には、メインフレームとして中型コンピュータがあって、今から言ったら非常に情けないものなんですけども、一応タイムシェアでみんなで使っていた。僕はアメリカに移民したかったので、ソーシャルワーカーになったら移民できると思って、その後、研究所を離れてその勉強を始めたのですが。そうしたら全然メインフレームなんかにさわれないんですね。あれは時間をおカネで配分しているから、あなたは一分しかさわれないとか言ってね。僕はそのときホノルルのスラムで住人たちのソーシャル・アジャストメント・プログラムをやっていて、彼らの調査データを多変量解析したかった。移民の人たちの日常生活のいろんな変数をとって、どれがソーシャル・アジャストメントに関係するのかというのを統計解析したいと思っていたけど、そのプログラムを走らせられないんですよ。
 ハワイ大学は、近くにパールハーバーがあって軍関係の研究なら大学のコンピュータを使えるんですよね。こんな不平等な話あるかと思っていたら、ぼそぼそマイクロコンピュータが出だすんですよ。僕が最初に買ったコンピュータはおもちゃのようなタイメックスのコンピュータで、八三年でした。

あの志はどう受け継がれているのか

 まあそんなふうな世代で奥出先生とは共通認識ありますよね。
 だからいっぺんお伺いしたかったのは、アメリカで最初にコンピュータを手にした人たちのある種のラディカルな、非常にリベラルな志みたいなもの、あの志はその後どうなったのかということです。
 僕は去年十一月にサンフランシスコをまわったんですけど、それなりに志は生きてはいたけど、でも、基本的に彼らはバブルに乗ってしまって、ヤッピーになってしまってましたね。
 奥出先生の本によると、あのヤッピーのなかにそういうものが雰囲気として投影されてるんですよね。
 スタンスとしてはリベラル、コスモポリタンな、寛容な態度というのがある種の「文化資本」になっているわけですよね。そのへんが非常に面白いなあと思ったんです。
 アメリカの社会も動いていて、マイクロソフトの社員なんかでストックオプションで財を成した人がどんどん会社を辞めて、市民運動とかNPO活動に参入して非常にいい活動してますよ。だからアメリカの市民文化は生きてるなというふうに思いました。
 僕は今、神戸で、NPOがITを使っていくのを支援する、そういうNPOに参加しています。ツール・ド・コミュニケーションという団体なんですけども。古いコンピュータを集めてもう一ぺんきれいに調整しなおして、それを市民運動に低価格で供給するというような活動で、アメリカなんかにはたくさんあるんですよね。企業から集めてきれいに直して、学校に寄付するような運動です。日本でそれをやろうとしたら、企業が、いやデータが消せないからコンピュータは出せない、とか税制控除も受けられないのになぜ寄付するんだなんてずいぶん言われたそうです。

奥出 コンピュータにとっていちばん本質的なことは、それを使う能力なんですよね。その能力があれば何でもだいたいやれる、しかもコンピュータが安くなるにしたがってそのパワーがどんどん発揮される。今はもう備品のようにというか消耗品のように、安いわけですからね。そうするとデジタルデバイドの議論とかはほんとはコンピュータの議論ではなくて、人間の能力とか教育とかの議論のような気がします。そこのところをみんなにばらす、というか覚えさせてしまうというか、そのあたりの戦略みたいなのがけっこうこれからは大事かなと思います。

第三世界からダイレクトにネ川ノト販売

山中 でも、僕らが今関わっているカンボジアの村なんていうのは、アメリカの中古のコンピュータ一つ買ったら、村の財政が破綻するような水準でやっているわけです。学校の建設一つで十万円ぐらいで建ってしまうような世界ですから。だから中古のコンピュータを買うというのも、学校一つ建てるのも同じくらいですからね。
 ただ、われわれがこれまで歩いてきた二十年ぐらいのコンピュータの進歩の道のりを開発途上国で一からやるという必要はないし、それは無意味です。
 僕らがやろうとしていることは、第三世界から、ネットワークにそのままアクセスするということです。クメールのシルクの伝統織物をパリで売ろうとしています。カンボジアで売ったら二束三文なんですけど、それが千倍ぐらいに化けるわけです。昔だったら中間搾取する人がいるわけですけれども、第三世界が自分たちのイニシアティブで、自分たちの伝統工芸品を国際市場のなかで売ることができる。今、そういうシステムをつくろうとしています。もちろん十分にこちらがそういうことをしていくための支援をしないといけないんだけども、そういう可能性が出てきたことは確かで、これはネットワーク社会の面白いところなんだと思います。

奥出 日本のなかでもそういうことがいっぱい出てきていますよね。自分のものを直接売ったり、ビジネスしたり。僕はその動きを否定するわけじゃないんだけど、自分が主体的に何かをしたいと思ったときに、昔は機械がハードルだったけど、今は能力がハードルになっていて、すごくしにくくなっているような気がします。その能力をつけてしまえばどこででも生きていけるような気がするんだけど、なんかその能力を誰もつけさせてくれないというか、すごく閉じられた能力になっているような気がします。

IT能力を獲得することは、階級破壊の力をもつことにも

広瀬  そこがなかなか。自分でできる人とできない人がいるわけですよね。コンピュータのマニュアルを読むこと自体にアレルギーを持つ人もたくさんいます。従来からある「知性」とか「見識」とかと無関係に、IT能力という「知的で具体的能力」が力を持ち出した。人をコンピュータの前に一分も座らせれば、その能力差が歴然とわかってしまう。そこでは学歴も関係ない。

奥出 それを能力差と見るか階級差と見るかの問題で、そこがデジタルデバイドのいちばん難しいところなんです。ITはけっこう階

級破壊の力を持つわけですから。それからグローバル化の問題でも、今スタンフォードのキャンパスに行ってみると、ものすごい勢いでグローバル化している。僕が留学した頃は人種の問題とか階級の問題ってすごく気になった。今も、もちろんあるのだろうけども、そんなことは関係なく生きていけるような雰囲気がある。やっぱりITはみんなをそういう意味では平等にするわけですね。平等にするからそこに可能性をかけて動いているんです。イデオロギー上の問題があるというのは、それは人を搾取するためにも使えれば、独占資本をつくるためにも使えるわけです。つまり何にでも使える。搾取する構造も独占資本を構築することも、同じITでできるわけです。そこでのせめぎ合いのダイナミズムというのがあるような気がします。

能力がないと思い込む人には階層を固定化することにも

山中 それまったく同感です。八六、七年ぐらいに放送大学で諏訪地方のプロジェクトをやったんです。幕張にホストを立ち上げてパソコン通信でつなぐ。諏訪の放送大学に登録した市民がパソコン通信で英語の遠隔講習を受けられる、というプロジェクトをやったわけです。途中で、雷かなんか落ちたらバーッと文字化けしたりして、今みたいにパケットでも送れないし、ノードが傍にあるわけでもないから、諏訪から幕張まで電話かけたり、今から思うとプロジェクトは惨憺たるものだったんだけども(笑)。
 そのとき、受講者七十人に、当時はデジタル・デバイドという言葉はなかったので、情報アクセス能力というようなテーマで調査をしたんです。その結果、非常に面白かったのは、コンピュータができて、ある程度メディアの使い方なんかもよく知ってる人はコンピュータが人間を差別をしたり格差を設けたりするのに反対で、そして民主的な社会を望むという傾向がある。他方、コンピュータの能力というのは英語の能力と非常に相関するというか、能力は相関しないけど態度が相関する。つまり、英語ができない、コンピュータもできないという人ほど、コンピュータができないことによって就職に差がついても仕方がないと思っているという結果が出たのです。

社会を変動に導く要因にもなりうる

山中 ティチュナーの情報格差モデルというのがあって、情報にアクセスする能力を持っている人は情報にアクセスすることによって、さらなる知識や情報を収集でき、アクセスできない人はその機会すら奪われているからどんどん能力が開いていくというものです。そのモデルは情報アクセス能力に社会階層の差が関係するかもしれないという仮説を出すわけですけれど、他方、社会学的に見れば、情報能力は階級や階層を乗り越えていく力も同時にもつわけなんですよね。
 たとえばアメリカなんかの場合は七〇年代ぐらいに女性のプログラマーがものすごく進出するわけです。それで、コンピュータ分野というのは女性の職業にとって非常に大事なフィールドになるわけです。看護婦やソーシャルワーカーになるのと同じように、コンピュータのプログラマーになるという時代があった。コンピュータはそういう階層を越えて、社会を変動に導くようなファクターを持ちつつも、もう片方では階層を固定化する要素にもなりうる。つまり、コンピュータができないから下積みのままで仕方がないんだという、諦めの構造みたいなものを社会的につくりだしていく。これを乗り越えていくのは、教育心理学の言葉でいうセルフ・エフィカシー、つまり自己効力感ですね。俺はこれだけのことができるんだという気持ちをどういうふうにデジタルデバイドの潜在的敗者のほうに提供していくかが重要だと思います。そこが今の教育に必要だと思うんだけども。
 日本のパソコン教育を見ていていちばん歯噛みをするのは、七〇年代の、あのコンピユータセンターの神殿に神官がいて、下々の者が、できる市民とできない市民と分けられて、「お前らはできへん市民やからさわるな」って言っているのと同じ状況なんです。要するに、パソコンに乗り遅れたら、お前らは敗者だぞっていう、そういう教育をしているんです。地方自治体でもパソコン教室をいっぱい開いているけども、工場労働者のように同じ方向にずらっと並べて、画一的なプログラムでやるわけでしょう。これは明らかに近代教育のネガティブなものの繰り返しですよ。だから少なくとも僕らが八○年代アメリカで触れたようなあの息吹、ある種の解放感を伴った、「あ、自分はこれがやれる」という喜びです。今まで、やれなかったあのたいへんな計算を、これだったらやれるんだという解放感というのかなあ、そういうものを伴うべきなんですよね。

技術をもっと開放すべき

奥出 そうですね。今の話は二つの側面から考えられます。一つはフルッサーという人が言ったテクノコード問題です。要するに今表現されているものが、実際は理屈とか方法とか文法で表現されている。でも表現自体が非常にナチュラルなものに思えている限りそれを信じてしまう。でもテクノコードを解読するコードを持っていると、それに対しての接近する気持ちが出るということです。だからそういう意味で今、行われているコンピュータ表現とかマルチメディア表現というのは実は規則があって、それをつくるのは技法にすぎないみたいなことを自分で確信できて表現を見られるかどうか。それはプログラムできるかできないかというよりもうちょっと抽象的な能力があるんですよね。それからもう一つは、教育に関係することですが、いちばんの理由はモノ主義だと思います。パソコン何台とかそういうことです。また、それでビジネスも成り立っている。だから誰かがバラしちゃったらそれこそすごく変わると思うんですよ。たとえば地方の国立大学なんかが独立して、その大学でコンピュータ会社を定年で辞めたような人がコンピュータ私塾をやったりして。基本的なことをバラしちゃえばいいわけ。結局、使ってない人が使わせたくない人と結託してなにかしているような気がします。

広瀬 でもそれは教えたくないと思っている人たちが、コンピュータによって社会が変わってしまうことを確信しているのでしょうね。恐怖感をもってね。では、人々がそれを手に入れたら、いったいどんなふうに変わっていくのでしょうか?

奥出 それはわからないですよね。だから政治学的に考えたってリプレゼンタディブな仕組みをどう変えていくかという問題で、直接民主制になるわけはないわけで、それからいろんなことが全面的に変わってしまえばどうなるかわからない。だけど読み書き能力と同じように与えてしまえば何かが変わる。つまり、与えることに対する判断がついてないということです。もう一方では、ラディカルに教えたいという人もいっぱいいる。ハッカーなんかですね。ここで言うハツカーというのは、クラッカーです。犯罪者の意味のハッカーではなくて、コンピュータが自分の世界である人たちのことです。でも、彼らは、そうでない人に知識を与えようとしても、人間的成熟に欠けているのでコミュニケーションがうまくできない。彼らがコミュニケーションできるぐらいの成熟を身につけてくると変わる気がします。

学生たちも、ボランティァ活動でリアル体験を

山中 僕はそういう学生を、コンピュータの世界だけをさわらせているんじゃなくてフィールドに連れて行くわけです。ナホトカ号の重油災害が起きたときに現地対策本部のWebの立ち上げを、ボランティアさせたわけです。周りはコンピュータのこと全然わからない人たちばっかりだから、自分たちのテクノロジーがこんなにも役に立つという意識をもちました。
 学生たちはふだん、ある種のオタクの世界に入っているわけです。それを現地に連れて行って市民と触れさせて、バーチャルな世界でないリアルな世界を体験させながら、自分たちのテクノロジーの一翼を探らせていくということです。あとは阪神地震の被災地に、一月十七日のちょうど地震の記念日に行ったのです。その日に、ストリーミングで神戸から世界に中継をした。アクセスは少ないんだけれども、ドイツで聞いてましたとかいうメールがきたりした。こういうのもある種のハッカーたちが自分のテクノロジーを上滑りさせないための大事なトレーニングだと思います。

奥出 だからそのときの技術の、ある種の破壊性みたいなものがあるんだけど、もう一つ深いところの技術も開放されてほしいわけです。つまりサーバーとサーバーがどうつながっていくかとか、それからデータをどう転送していくかといったようなこと、そこもみんなが勝手にやったらいいと思っています。インターネットというのは仕組み上そういうことが全部勝手にできるようになっているわけで、ほんとに自由にやっていいわけです。それで、自由にやるっていってもどうやっていいかわからない人たちが、そういうほうに囲い込まれてるというのが現状です。自分でサーバーを立ち上げて全部やって、コミュニケーションできるようにすることは、ちょっと気のきいた子だったら高校生でもできるわけですね。そういう子たちの数がもっともっとほしい、そうするとだいぶ面白くなると思うんですけどもね。

山中 僕はそれと同時に、技術が技術で止まらないで、それをどう社会化させるのかというプロセスも知ってもらいたいと、思います。奥出逆に今の社会の構造を考えると、なまじ技術ができると会社とかに囲われてしまうから。われわれがマージナルであったのと同じように、技術ができないほうが可能性がある面は一方であるんですよね。もう一方では、技術ができない人に社会的な活動をやらせてもインパクトはない。だから、できる人が増えないと本質的な変化はないような気がして、学生をけしかけるんです。だけどやっぱりなかなか出ていかないし、ちょっとできる学生はみんな会社に就職してしまうし。

山中 それはそういうもんです。開発途上国で技術移転といって一生懸命技術を教えるでしょう。そうしたら技術ありがとうございましたといって、アメリカや先進国に行って商売するんですからね(笑)。それは永久につきまとうんですよ。

奥出 そうそう。

山中 八○年代の僕らがそういう技術を身につけられたというのはある種の僥倖みたいなもんで、あの時代のムードもあったんでしょう。だって大学でないシンクタンクの研究員とか、そういうところにけっこうな人材がいるという場合もある。だいたい僕らの世代ぐらいまでで、つまりあの大学闘争のなかで引っかき回されて、思わぬところにびっくりするような優秀な人材がいたりする。しかし、そのあとはバブルになってしまって、そういう人材はみんなすーっと大企業に集まってしまった。プアーな社会セクターのほうにこなくなったんです。アメリカでもソーシャルワークの論文ですごい革新的な論文ががんがん出るのが八○年代でした。あの世代の優秀な人たちはビジネスに行かないで、MBAなんか取らないでソーシャルワークにもきたわけです。そのあとバブルになって、また、ITバブルがアメリカでものすごく膨れ上がって、優秀な人たちが全部そういう企業に行ってしまった。だから安定しきった社会や時代では、下積み、つまりプアー・プロフェッションで社会的には報われない人たちのところには、やっぱり優秀な人材はこないんです。

奥出 今、大企業が全然経営が厳しくなって

どんどんクビ切りはじめてますよね。僕は、五十代、団塊の世代のトップランナー、あの人たちを大企業が手放しはじめたときに、彼らが今言ったITとかノンプロフィットのところに出て行って、ITを活用して生きていくということにすごい可能性があると思います。人材的にも優秀だし、けっこう面白くなると思ってるんですけども。

ITでがんばっているのはハングリーな若者

広瀬  私は現在、都内の某私立大学の経済学部で非常勤もしておりますが、今の学生たちはそんなにコンピュータにのめりこんでいるようには見えません。コンピュータではなく、携帯電話で情報をやり取りしている。慶應の湘南藤沢の学生はITで突出しているといわれていますが、いかがですか?

奥出 基本的にはITはかなり大変な仕事なので、豊かな社会の若者は死ぬ気ではやらないんですよね。これまたITの民主主義の面白いところなんですが。ところがインドとか中国とかは違いますよね。でも、今はそういう意味での、とんがったITではないのが必要だと思っているので、いかにぬるいITをみんなに騙してでも教えるのが大事だと思っているんです(笑)。とんがったITに関して言うと、ものすごく数学的に優れている人たちとか、能力がすぐれている一部の人たちを除いては、やっぱりがんばらない。たとえば十九歳で上海の大学を飛び級で卒業したような若者が三、四人で日本で会社をつくって、仕事をとっては中国に投げてプログラムを返してくる。もう朝から晩までやっているんですよ、ものすごく優秀な若者たちが。日本ではそこそこのはいると思うけど、みんながんばってはいないですよね。アメリカも同じで、シリコンバレーで今、がんばってやっているのは、アメリカ人であってもけっしてメインストリームにいる人たちではない。スタンフォードでもMITでも、いちばんコアなところは外国人留学生が三分の二ぐらいですよね。そうすると、さっきのバブルの話ではないけど、らくしていた人たちは、儲け損なって、がんばった人たちは儲かっていくというサイクルがある。バブルに対してもいろんな見方はあるけども、ちょうど二十世紀の初頭のロックフェラーなんかと同じように、ある種新興勢力の登場というふうに見ることもできると思っています。

広瀬 ハングリーな若者によって、ITの先端の仕事が開発されているわけですね。日本社会の中ではいかがでしょうか?たとえば偏差値の高い大学ではなく、専門学校を目指す若者たち。その人たちが面白い仕事をつくってくるかもしれない。でも、それほどハングリーとはいえないかな?

奥出 日本は豊かだから(笑)。

広瀬 そうですね。社会の階段を這い上がっていこうというドライブが足りない。

奥出 やっぱり生きるか死ぬかとかという、危機に直面してる十代とは違いますから。

コンテンツ制作には豊かな感受性が必要

山中 でも可能性があるとすればコンテンツをつくることかな。コンテンツファインなものをつくる。

奥出 そう、おっしゃるとおりですね。コンテンツに関しては蓄積がいるんですよね。たとえば韓国や台湾とかはITがすごいとかいうじゃないですか。昔の日本を思い出すような。でも、コンテンツというか、感受性とか寛容さというのはないんですよね。今の日本の若者がつくるものを見ていると、やはり感受性とか寛容性という可能性は感じますよね。

山中 ところが相変わらず日本は産業立国主義だから、コンテンツをつくることに対して全然カネが出てこないんですよね。僕の友達のピエール・ジョーダンというフランスの人類学者は、マルセイユに住んでいて、ハイパーカードで国から一億ぐらい資金をもらって、世界の民族誌映画のすごいCD-ROMをつくったわけです。もう十年ぐらい前の話なんだけれども。今ごろハイパーカードというのはというのはあるけど、でもでき上がったものを見たら、徹底的に手をかけてつくっているから、びっくりするぐらいのでき上がりなんです。さすがフランスっていう感じです。

広瀬 フランスの映像文化の蓄積が生きているというわけですね。

山中 そう、違うなあというのが出てくるわけ。僕らは日本で開発したの恥ずかしくて見せられないんですよ(笑)。コンセプトだけがいいっていうだけの話で、それはもうデザインも悪けりゃさ……。

奥出 今のデジタル・ライブラリーとかデータアーカイブとかも、結局のところ十億とか二十億とかカネが動いても全部設備と機械に対してです。ソフトのところといったら三百万円とか八百万円とかです。

広瀬 それは国が大学につける予算の枠組みがそうなっているから。モノは買えても、人を雇ったり、コンテンツづくりに予算はつきにくいです。無意識的に、国民はそうした価値体系の中で生活を強いられているんですね。

奥出 そうそう、だから地方自治体でも十何億や二十億の建物ばかり建てて、三年、四年後になってやっぱりだめだったという結果になってくることばかりです。いちばん大事な、デジタルを使った人間の表現能力とか継続的なコンテンツの制作というところはほんとに見事になおざりにされていますね。

外濠を埋めている日本・・・英語もlTも

広瀬 話はちょっと変わりますが、英語教育もそうですね。日本は日本語というお濠によって外国から守られている。これを埋めたら外国から攻め込まれると思っているから、絶対本気になっていないですよね。英語教育もIT教育も同じですね。

山中 要するに文化資本を奪われたくないエリートたちが出し惜しみしているんですよ。ここで言う「文化資本」というのは、つまりエリートが、「僕はクラシック知っています」とか、そういうので差別するという意味のですがね。

奥出 そう、文化資本を奪われたくないエリートたちの世界は、グローバル化するとどうつてことないものなのに、閉じている限り守られている。いまインターネット時代になって、どんどんそのへんの領域が壊れていくというのが面白いと思う。でも、まだまだ足りない、もっともっとグローバル化していくべきです。でも、文化資本が、最後の砦なんですね。だからその文化資本のところがどうやって崩れてくるかというのは面白いなあと思う。それと今、クラシックがインターネット上でちょっとしたブームになっていて、なかなかすごい情報があります。みんなが勝手に「音楽なんか習ったことはないんですが」とか言いながらやっている。美学とかそういうところで教養を積んだっていうのとはるかに違うかたちです。そうするとほんとに文化資本ではなくて、楽しむためのコンテンツとかサービスとして切り返すことができてるわけです。これは面白いなあと思っています。

広瀬 今の十代から二十代のこれからの世代を担っていく人たちは、このITの能力、技術も含めて、それはやっぱり学校群とか偏差値とか、あるいは階級とかに規定されていますか。そのへんはどうでしょうか。

技術は新しい階層のメルクマールになるのか

山中 潜在的にはこれ脱階層的な技術なんですよ。でもそれをさせないためのすごいバリアをいっぱいこの十年ぐらいでつくったと思うんです。だからこのまま放っておいたら、先ほど言ったみたいに、できない人ほど仕方がない、自分はコンピュータできないからもうこんな仕事しか就けないんだと思わされている。できる人はカラクリを知っていて、とりあえずこれで食べていけるから、それでいいんだみたいに固定して、それを壊す方向に加担しないでしょう。特権的な立場を得ている人たちは。だからへたしたらこのままずっと、これがある種の新しい階層出現のメルクマールになるかもしれないと思います。

奥出 研究室なんかでも最初に知識を導入するときは、できそうな学生、三、四人にたたき込んで教えて、それをサブゼミで広げてみんなの知識にと思うと、必ず最初に仕込んだ学生は抱えに入る(笑)。それを先生の権力でバラすとか、自分だけ隠れていい場所をつくっているのをみんなに使わせるとか注意していかないとならない。つまり階級破壊的であるがゆえに、それによって自分もパワーを持てるわけですからね。そういうマネージメントは必要です。
 でも、いちばんの狙いは、意識しているかしていないか知らないけど、階級的な囲い込みというか、制度的な囲い込みのほうが強烈だと思います。これは義務教育の理念と対立している。本気で全員にコンピュータを使わせて、インターネットでバシバシやらせるというビジョンを持っているかどうかですね。そこをうまく突き破れるといいんですけどね。

広瀬  その最初に教え込もうと思う学生はどういう学生ですか。やはり高校からコンピュータにさわってるとかという。

奥出 いやいや、頭のいい学生です。ある基準でできる学生というのがいて、彼らでないと切り開けない世界はある。でも、そこの知識はともかくとして、普通のところの知識、ポップなこと、要するに読み書き能力があればできるんです。みんなやることはできるわけです。

山中 未来の展望といえばそこですよね。ただ難しいんじゃないかなあ、教育だって基本的には階層移動がモチベーションになるわけで、階層破壊的というんじゃなくて階層突破的なんです、これは。だから破壊する力は潜在的に持っているけども、各人がそれを使うときには自分の階層を突破するために使って、階層構造を変える力にはならないんですよ。

奥出 ただしここまで普及してしまうと、ITができるぐらいでは階層突破はできない、となるとちょっと可能性はないですね。だからこれを身につけたら上の階層に行けます、というのではなくて、これを身につけたら自立して生きていけますとか、そういう問題ですね。もう一歩進めて、かつてホワイトカラーがプロレタリアートと資本家の対立を緩和してしまった、そのホワイトカラーが今壊れようとしている。ではそのときに、資本家にはなれない人が、どうしたらプロレタリアートにならずにすむか、自立して生きていけるかということです。絶対にITです。ITさえできれば五年ぐらいは食べていけるんじゃないのかというようなところです。二十代前半はともかくとして三十五歳過ぎくらいの人たちは、けっこうそこまで追い詰められていますよ。

マイノリティがコンピュータを活用する

山中 僕はプロレタリアートがいかにコンピュータで武装するかということを考えますよね。今考えてるのはマイノリティのなかにいかにコンピュータを持ち込むかということ反差別運動なんかもコンピュータで世界につながっていくことを考えているわけです。だから支配する側も階層破壊的だということがよくわかっているわけだから、どうやっていくかはなかなか難しいです。

奥出 ドラッカーは、ITがほんとにパワーをもつのは生涯教育とNPOだって言っています。結局、小人数でもパワフルに動くための足かせになるような間接業務的なところというのは大きい組織のほうが強いわけでしょう。そこをなしでも進むことができる。それから知識を継続的に得ることができる。むしろそこがほんとのNPOのパワーであって、今言われているようなことはあまり関係ないんじゃないかというようなことを言ってますけどね。

山中 コンテンツに関しても、もう少しバラエティがあってもいいですよね。たとえばアートでも、「世界遺産」の3Dとか、そういう既成の権威に乗っかったものばかりやるわけですよ。そういうのでなくて、ある破壊された先住民の村を再現するとか、せっかくダウンサイジングしてきて身近な技術になってきたのだから、やはりコンテンツをつくる側も既存の権威を乗り越えるようなコンテンツづくりというのが求められてるんじゃないかと思います。それと、自分たちの共同体がいかにコンピュータを使って生きるかということを考えないと、共生としてのコミュニティの強みって出てこないでしょう。だからコンピュータでもって、ある種の個人主義モデルでもってやっていけるというのは、世界的な水準から見たときには非常に限定的な層ですね。カンボジアでやっているのもそこでね、コンピュータを使ってこの村はどう生き延びるかということです。

奥出 僕が言っているのも同じことなんですけども、そういうふうな人とネットワーク社会が分散したまま自立して生きていくことができるということは確かなわけです。確かなことを信じることができないというのか、それはなかなか面白いなあ、というかそこが山かなあと思うんですけどね。

広瀬  既存の権威とか、枠組みのほうに擦り寄ってしまったほうが楽だと思ってしまうわけですね。その分岐点は何なのでしょうか?

山中 僕ら「転びハッカー」と呼んでいます。

奥出 一つは転びハッカーですね。つまりロビンフッドというか何ていうか。だけどそれは関係ないんじゃないかと思うんですね。そういうグローバルエコノミーとかは、ある地点とある地点が、いきなりつながってしまうわけでしょう。それだけでいいような気がするんですけど。それをやらないというか、やっちゃいけないと思っている。あるいはやるよりはお給料をもらったほうがいいと思っているかです。

市民の側がITの使い方を示す

山中 まあ実際はコンピュータテクノロジー、ITといえどもこの社会のなかで生み出されているわけですから、メインストリームが力をもつというのは避けがたいわけです。ただ本質的に非常に階級破壊的な要素があるから、可能性としては階層逆転もあるわけでしょう。革命とは言わないけど。そういう潜在的なものもあるから、逆に言えばそういうものに期待をかける人たちも出てくるわけです。また、そういうものに応えるだけの技術はある。マスメディアなんかではそういうものにまったく応えられないでしょう。
 でもインターネツトだと、たとえばメキシコのチアパスでの先住民の反乱がバッと世界に流れたら、もうメキシコ政府も弾圧できなくなる。だからと言って、チアパスの先住民がインターネット社会のなかで勝者かといえば、そんなことはないわけです。だからやはりそれをつくっていくのはNGOだったり、世界的な市民ネットワークだったりするわけです。そういうものをいかに育てていくかです。だから、結局市民社会の側がITを使ってなにかする、この社会に流動性をもたらすためにはそういう使い方を示さないと、技術だけに期待していたら何も出てこない。自分がその技術を使って、一つの事例としてこういう使い方をすればいいと提示していくということが、正しい意味でのこれからのハッカーたちに必要なことです。また、悪い使い方はいくらでもできるわけだし、一方では金儲けのためだけにしか使ってない人たちも山ほどいるわけだけども、インターネット社会を豊かにするためには、自分たちがこういう別の使い方ができるというのを一つひとつ示していかないといけないと思います。

ネチスンの出現がネットを変えた

広瀬  そこで、先ほどの既存のシステムを守る構造と崩す構造というのがあるのですが……。それがインターネット社会が豊かになるにしたがって、ボーダーが今度はどう管理されていくのか。奥出先生は「ネチズンの出現」という言葉で新しい市民の階層が世界的にネットワークされるとおっしゃっておられますが、国家は厳然と存在しているわけです。そのへんはどうお考えですか。

奥出 国家の問題というのを考えてみたとき、はたして国家なのか金融資本主義なのかわからないようなことがアジアを見ているとあるわけです。それと、ネチズンというのは僕が言った言葉ではなくて、インターネットでネチズンと言いだしたときに何となく面白いなあと思って紹介したら、いつの間にかネットワーク上の市民、ネチズンというふうに使われ出したんです。僕はどちらかというと、市民社会の価値観を超えていくようなものという感じの面白さをネチズンというののなかにみたわけです。だから十八世紀的な期待される市民像みたいなものが二十世紀は挫折したけど、二十一世紀で甦るなんて気は全然しません。そういう意味での幻想は持っていないんです。

山中 それから公共性を担保する仕組みがとりあえず国家しかないという、こういう現状が一方であるでしょう。それに対して、ではハーバーマスが言うみたいなコミュニケーション的権力みたいなもので、ほんとに公共性が担保されるのかと言ったら、それは想像の世界としてはあるかもしれないが、実際には国際法の空間のなかで結局国家が最終的には担保するわけでしょう。だからそのへん法律の人たち、とくに国際法なんかやってる人たちがどういう処理方法を出してくれるのかなあなんて、僕なんか見てますよね。

奥出 今、いちばん大きい問題は、要するにハーバーマスが言ったようなことはネットワーク社会においては成り立たないわけですよね。では、どこで公共性を担保するのかっていうのは、もう十年ぐらい前からみんな考えはじめているけどいまだに答えは出てこないですね。

広瀬 そうですね。それは日本にもたくさんの外国人が日本を基盤に生活しておりますし、世界にはおびただしい数の祖国を失った人たちがいる。情報の交流、人の移動は今後どうなっていくのでしょうか。

奥出 でもそれはグローバルレベルのヘゲモニー争いとまた連動してくるから。

メディアリテラシーを身につけることが大切

山中 インターネット犯罪が出てくると、国家がインターネットアクセス資格みたいなもの出したらいいとか、そういうことを言う人もいる。そこまで後退するわけですよ、すぐに。非常に悲観的に見れば、テクノロジーがどんどん進歩するから、ある種のリテラシーを確立した段階では、やはり特権層を護るための新しい文化資本として、大衆には触れられないような新しいレベルのテクノロジーが出てくる。それにアクセスできる人たちがまた力を持つという構造で、これは屋上にさらに屋上を積み重ねていくようなことがずっとこれからも続くというふうに考えられます。でも逆に、では文字を覚えなかったらよかったのかということにはならないわけです。だから、もっとメディアリテラシーを広範に押し広げるということ、結局そこにしか展望がないですね。

奥出 そう、ないですね。でも、メデイアを論じているのは僕らの世代、もうちょっと下の四、五年のところですね。もうちょっとしたらそういう世代の言説が、出てくるんだと思うんですけれども。僕は運転できるとか、使えるとか、鉄砲撃てるか、みたいなことはすごく本質だと思うわけです。そこから広げていくほうがいいかなって気がします。

広瀬 今のインターネットとかパソコンというと、一時代まえの電話のように見えます。三十年前に電話に出られない、出るのが苦手という人たちがたくさんいました。今やそういう人はほとんどいません。それと同じではないでしょうか。あの頃、電話の交換手ってすごいスキルを持った人という感じだったんじゃないでしょうか。

奥出 でもそれとはちょっと違う意見です。つまりITはメディアではないと思っていて、

だからまさに読み書き能力がテクノロジーであると同じようにテクノロジーだと思うんですよ。それを電話とかのメディア論でやると、たしかに比喩がメタフォリカルにはかなり当てはまるんですよ。だからメディア論でやっている限りにおいて、やっぱり闘う武器にはならないのですね。

広瀬   単なるコミュニケーションツールでしかない?

奥出 そう、それが今あるメディア論の言説の気に入らないところなんです。

山中 ああ、なるほど。僕らはメディア論の言説でコンピュータセンターの神殿を打ち壊すというのをやったから、戦略的にはメディア論だった。コンピュータはメディアだよ、こんなのは計算機じゃないんだっていう言説を使ってましたけどね。たしかにそれは有効ではない。

奥出 もうなくなっちゃったからね、敵が。べつの敵が出てきた(笑)。

山中 たしかに、たしかに。

脳そのものが合体する、ネットする

広瀬 もう少しお聞かせいただきたい。そういう武器というのは、いわゆるコミュニケーションツール、一瞬のうちに情報がとれる、わからないことをフランスの人に聞けば明日戻ってくるみたいなのが私なんかは、いちばん感動する。アーカイブに入ってた資料をとるとか、それがほんとにありがたいと思う日々なんですけれども、もう一歩進んだ技術そのものを持つというのはどういうイメージでしょうか。

奥出 たとえば五十人の研究者が一斉に研究しよう、フォーラムでもネットワークでやりましょうとなる。ではどこにサーバーを置くか、データベースをどうする、管理をどうするかと、なりますよね。そうではなくてみんなそれぞれハードディスクに自分のデータが入ってますよね。そのデータを五十人で全部共有して、共通に検索して使いながら、また足していきましょう、ということをやる。誰にも頼まないで自分たちでやることができるわけですよ。するとおカネもいらないし、知恵とその間でできるわけでしょう。これは、メディアといえばメディアだけども、あくまでここにメディアがあって人間と人間があるわけですよ。人間を媒介するメディアとして存在しているんだけど、これを使うには「モシモシ」じゃなくて論理的な操作を加えなきゃいけないということです。

広瀬 そうするとある意味では、テレパシーがどんどん発達するというようなコミュニケーションのツールの方向ではなくて、脳そのものが合体していくというようなものですね。

奥出 そうそう、テレパシーでなくて、間に論理化されて言語化されたものが、一枚皮があるということです。その皮を、論理化された装置を操作することができると、こっちにいる人とあちらにいる人で今言ったようなことができるわけですね。

広瀬 なるほど、それはすごくわかる気がしますね。ただそのときにその五十人なら五十人というのがすごくクローズなものになってしまいませんか。

奥出 それは五十人なら五十人がカネを出さないでつながろうと思ったら、オープンな環境を共有して使わざるを得ないでしょう。もちろん自分の意思で閉じてもいいし開いてもいいんですよ。だけど僕はほんとに平凡な結論だけど、刀狩りでとられている刀を取り戻すみたいな気があるんですけどね。

ローカライゼーションがどんどん起きてくる

山中 もう一つこれから出てくる傾向はローカライゼーションです。現在のコンピュータ文化は基本的にこれアングロサクソン・カルチャーから出てきたもんだけど、アングロコンフォーミティのなかに最初流通したあとは、そこから世界に流れ出ていくでしょう。その先は、流れ出た世界の各地でやっぱりローカライズしていくんじゃないかなあと思います。たとえばハワイの先住民は全部ハワイ語のアップルのシステムをつくっているわけです。それで面白いのは、先住民の人たちは基本的にはあまりハワイ語ができない、ほんとは英語でやってるんですが、でも、自分たちの民族アイデンティティを確立していくために、コンピュータをハワイ語のシステムにしているわけです。科学技術用語を全部ハワイ語でつくっているんです。だから雷(イカズチ)の箱みたいな言い方でコンピュータのことを呼んでいるんですよね。そういうある種のローカライゼーションがどんどんこれから起こってくることで、この技術は別の意味でグローバル化するのかなあと思います。だからグローバル化と考えるときにわれわれは共通の言語、共通の世界、世界という均質化されたもののなかにすべてが参入していくという発想であるけれども、もう片方ではそういう普遍的だと言われてたものがどんどんローカライズされていくということです。

奥出 もともとインターネットはローカライズが問題なくできるわけで、何でもできるわけですよ。とくに今コンピュータの能力が高まるにしたがって、文字表記というのは自分で決めたら画面にそう表記されるわけですね。だからそれもまさにローカライズするべきなんですよ。知識もローカライズすべきだし、表現もローカライズして、ローカライズしたもの同士が共有することだってできるわけです。

広瀬 でもそこに発想がいかないのね。

奥出 いくべきなんです。だからローカライズしよう、仲間で使おうと。仲間五十人で使おう、百人で使おうということです。

山中 たしかに社会学でいうところの中間集団論みたいなものが、ある種の社会の安定装置として必要だと、五〇年代ぐらいからそういうことを言っているわけです。コンピュータネットワークがそういう役割を逆に果たすという側面もあるわけで、そのときにはやっぱりローカル化というのは避けては通れないもんだと思いますね。

奥出 それができるのはインターネットだけですよ。だからこれがまたアメリカの陰謀とか言われるんだけど(笑)、特定目的のネットワークのなかでは無理ですね。いろんなことが勝手に起こっているところでないと無理だと思いますけども。でもパスポートひとつとってみても、外国へ行くのが全然らくになってるじゃないですか。だからそういう意味で人間は情報的にも肉体的にも自由に動けるようになったっていう感じがすごくしますけどね。だからそれをどうとるかです。

広瀬 私たち日本人にとってはすごくパスポートがらくになったと思うけど、たとえばチベット難民の友達とか、やはりすごい大変です。難民の数そのものがどんどん増えつづけている。そうすると実はすごく不自由な人もいるわけです。

奥出 僕はときどき自分が難民になったということ考えますけどね。食えなくなったときどこか食えるところに移動するわけでしょう。どこでも行けるっていうふうに思ってもいいような気もするんです、どうなんでしょうかね。

山中 途上国が生きる生き方というのは、逆に言えば民族をトランスナショナル化して、各国に分散させて生きていくということですね。各国に小さな民族コミュニティをつくって、そのコミュニティを世界的につないでしまう。それをつなぐときにインターネットを使うんです。だからそういう意味では、インターネツトってグローバルなメディアなんだけども、逆に言えばそういう小さなサブグループ化したローカルなものをつなぐメディアでもあるわけです。

民族の結合形態も変わっていく

奥出 昔から中国人やインド人もそうですね。

山中 ハワイの先住民なんかでも、今はハワイに住んでいるのは六割ぐらいで、残りの四割はアメリカのメインランドに移っていて、だからメインランド生まれのハワイ先住民というものがいるんです。

広瀬 彼らはやっぱりアイデンティティはすごく強固に守ろうとしているのでしょうか?

山中 守ろうとしていますね。

奥出 それはユダヤ語で言うところの分散していく、そういう過ごし方というのがあるんですよ。

山中 ディアスポラですね。

奥出 そう、それですね。

山中 そう、だから結局そういうかたちで生き延びていく。それは民族のある種の適応戦略で多国籍化するということが……。

広瀬 ユダヤ人はそれでずっと何千年とがんばってきたわけですよね。

奥出 日本人もディアスポラすればいいと思いますよ。

山中 だから移民の研究は面白いですね。沖縄がそうでしょう。沖縄は世界中に移民してますよね。沖縄の田舎の小さな町の博物館に行っても、わが町からどこそこに何人行ったと記録がある。それぞれの移民先の碑が建っているし、沖縄のテレビは移民先のコミュニティをまわって、そこで成功したうちなんちゅうを顕彰する番組つくってますからね。

奥出 ディアスポラのコミュニケーションスピードを加速していってしまうというのが、インターネットだと思いますね。

山中 そう、たしかに。逆に言えばそれが、たとえば本国での革命運動を海外から送金で支援するとかということが起こりうるわけでしょう。

広瀬 それはもう起きていますね、実際に。チベット運動などもそうだし。でも絶対にインドの難民キャンプには戻らない。だって、同じ労働対価が国が違えば十倍、二十倍のちがいでしょう。

山中 ある種のバーチャル民族みたいになってくるでしょうね。

奥出 そう、コミュニティをつくるわけです。

山中 最初に成功したのはユダヤ人でしょう。これから世界中の人たちがバーチャル民族としての国家をネットワークのなかにもつかもしれない。それはある種のローカライゼーションですね。

奥出 そうそう。ローカルしたまま集団が移動してるなんてこともあるしね。あれはイスラムみたいな(笑)。ディアスポラなのに動いているみたいな(笑)。

山中 そういう使い方になっていくんでしょうね。それからインターネットも今までは普遍性のところを見てきたけど、これからそれぞれの民族集団がローカルにどう使っているかみたいなものはたぶん人類学の対象になる。メディア人類学の新しいジャンルが出てくるでしょうね。

広瀬 とはいうものの、インターネットサーフィンすると、ハリウッドは悔しいけれど面白い。映像やメディア表現と資本の蓄積がある。カンヌ映画祭とアカデミー賞のWeb情報では量、質ともに格段の差がある。ローカルな映画の情報を取ろうとするとなかなか難しいですね。

山中 でもね、最近、タイの映画作品を見ていたらハリウッドのつくりとそっくりで、もう完全に全部引用しているんだけども、でも、それでもってタイの仏教的な輪廻のイデオロギーを前面にガーッと出すんですよね。で、ものすごく面白かったですよ。つくりは映像的にはハリウッドそのものなんだけど、でもイデオロギーはタイなんですよね。

英語一辺倒でなくむしろ多言語世界

奥出 まあハリウッドも文化装置としてみればインターネットの走りみたいなもんなんですよね。つまりあそこのなかで自由になったんだから。だけどあんまり、僕は、ハリウッドコンプレックスで負けないぞって、それはそれでアメリカのものであっても楽しめばいいと思う。でも自分のとこにも大事なものはいっぱいあるし、それからべつの興味を持って生きている人もいるわけでしょう。これは僕は楽観的なんだけど、そんなに侵食されないような気がしますけどね。僕の友人にロシア文学者がいるんだけども、彼なんかと話してるとインターネットに英語以外の情報が山のようにあって非常に楽しいと。でも英語しかない英語しかないって言ってる人たちは英語しか読めないから(笑)。多言語世界のこんな楽しいことはないと言って、ポーランド語とかのサーフィンをしているわけですよ。

広瀬 ほんとにそうですね。それは英語しか読めないという壁ですよね、結局。では、もっと違う言語を習おうかというと習わないじゃないですか。

奥出 みんながへたくそな英語でコミュニケーションしていたらいいんですよ。eメールで議論してるときなんか、もうただ単語が飛び交うだけでね(笑)。

広瀬 でも、なんか幻想があるんですよ。日本人は発音がよくなくちゃいけないとか、すぐ思ってしまう。コンピュータにも共通しているのでしょうか。

山中 やっぱり英語の本場にいるとなんかそういう風圧感じますか。

広瀬 イギリグスですか。彼らはITを大英帝国復興のビッグチャンスだと思っていますね。インターネットやメディア教材をとおして、彼らは世界の高等教育市場に君臨しようと照準を合わせています。BBCを中心に高度のメディア技術とコンテンツづくりのノウハウをもっている。オックスブリッジを中心とした質の高い高等教育と、オープンユニバーシティという欧州最大の遠隔高等教育機関が一体となって質の高い教材を制作している。欧州唯一の英語国であり、コモンウエルスや旧植民地は英国の教育制度を取り入れていることもあり、大きなマーケットがもうできあがっている。二十一世紀のイギリスはITに賭かっている、とブレア首相も明言しています。

変わりつつあるアメリカ社会

奥出 そのかわりリズムはレゲエに変わってるし、多民族に対する感受性というのがアメリカは先行しますよね。ヨTロッパはかなり遅れてると僕は思います。階級云々のブレアの議論があったけど、アメリカとか日本は、そういうのがあっても、ここ十年か十五年関係なくやってきたでしょう。ヨーロッパはまだだめでしょう。

広瀬 確かにその点はだめですね。フランスなんかに行くと階級や人種的偏見の強いことに驚きます。

山中 まあでもアメリカの場合は逆に言えば、民族集団ごとの囲い込みみたいなのが非常に強くなった。そこには、二つの多文化主義がある。一つは非常にピュアなサブカルチャーとしてのエスニックグループがたくさんあるという意味での多文化主義と、もう一つは多文化のプロセスをとおして複合化された文化が存在するという意味の多文化主義。そういうふうに考えると僕はアメリカってだんだん前者のタイプになりつつあるかなあと思います。

広瀬 一つの社会の中で、それぞれの民族が強い連帯感をもちながら、サラダボウル状態になっていくことですか。

奥出 それはここ十何年新しい移民が増えているから、ちょうど十九世紀末のシカゴみたいな感じかな。あるいは東海岸もそうだけども、エスニックグループごとに分かれて住んだりして、二十年前に較べて見えやすいかたちになってますよね。でももうちょっと見てみると、大学とか会社というところがすごく多民族化している。そういう意味では新しい移民がすごく増えたので、エスニックグループが、とくに西海岸なんかでは目に見えますけども。キャンパスにいるとなんか昔と全然違っている。

山中 それはアメリカの先進的な動きと見るのがよいか、あるいは逆に、それはアメリカの六〇年代的多元主義という名の保守主義がキャンパスに居残っているのかもしれない。だってコミュニティのほうは民族間の葛藤がむしろ増えているわけで、だからキャンパスのなかだけのユートピアなのかもしれませんね。たとえば少数民族なんかの運動では、これまでのアメリカの多文化主義では、家に帰ったあと自分たちの民族の衣装を着たりご飯食べたり言葉しゃべってるのけっこういたけれども、オフィスはある種のコスモポリタンとしての無国籍を守るというものでした。でもそこには実は何が支配してるかっていったら、効率、平等、競争、これはアメリカ白人文化の価値でしょう。それがオフィスにおいても多文化主義、つまり自分たちのエスニックカルチャー、エスニックでの価値観を認めろということになってくると競争原理は否定されるんじゃないですか。

奥出 そこで切ればそうだけども、僕はアメリカで、「個人の家の記憶」というのを聞いたのです。僕らぐらいの世代の人のおじいちゃん、おばあちゃんだとヨーロッパから来ていますよね。家のなかの記憶というのは、ヨーロッパにおける抑圧とか悲惨というのがあって、そこからの延長線上でアメリカを見ている。だから、必ずしもそういうアメリカ的基準と言われるものに対しての抑圧というのはないわけですね。ただすごいズレはある。同じことを同じように解釈するズレというのはある。そんなアメリカがとくに今は、全然べつな国になったような気がするんですけどね。

山中 それは僕らの世代的体験で、たぶん今アメリカに留学している人たちってもっと大変な思いをしているかもしれない。僕はハワイ大学だけど、ちょうど八○年代ぐらいってハワイの先住民族の文化的なナショナリズムが出てきた。キャンパスのなかでも多文化化し、多元主義化が起こり、それまでのホワイトナショナリズムみたいのがなくなっていった。しかし、今は逆に先住民運動によるある種ナショナリズムが隆盛で、多元主義というのは、実はアメリカニズムだという、そういう攻撃が先住民からなされている。キャンパスのなかでなぜ平等なんだ。私たちはここに住んでいるわけだからここの権利は私たちにあるはずだという議論になっている。学校のなかでは平等だ、無国籍だ、ある種のコスモポリタニズムだっていうのを否定する。で、学校のなかも民族集団別になってしまうのは、それでいいんだっていう。つまり自分たちの価値はアメリカ的な競争社会じゃないから、これにしたがっていく以上絶対自分たちの民族は浮かばれないから、違う価値を認めろということになる。ある意味で、それはもっともなんですよね。そういうのは、ある種の文化保守主義なんだけども、そういうものがすごく強くなっているんですよ。

グローバル化によつて曲げられてしまうもの

奥出 そういう意味では文化と文化の壁は絶対超えられない、にもかかわらずグローバル化によって曲げられてしまっている。それをそこに向かってどう対処するかというのによって違ってくるのです。結局は絶望ですよね。超えることは無理だ。超えられないにもかかわらず、ではなぜグローバル化してしまったのかというところから始まる。でも実はそれは十何世紀か、昔から超えていたのかもしれない、交易とかそういう問題で。そこのところはどっちに与するかによって、まったく同じ現象でも答えは違ってくると思いますけどね。

八○年代のあの時を知つている私たちの役割は


山中 まあ知識人たちは、たとえばポストモダニストたちはそこで構築主義的な議論をするわけでしょう。文化ってもともとそんな本質的な何々文化とか、何々文化ってあるんじゃなくてそれぞれの時代のなかでつくっていくもんだから、構築的にやっていけば何も超えられないことなんかあり得ないんだよっていう議論になる。だからしばらくというか、これから二十一世紀の少なくとも前半ぐらいは、コンピュータがグローバルな世界を用意しているにもかかわらず、実はもっとシビアなローカル化みたいな囲い込みが起こってきて、国家のすごい力、最後の力を振り絞ってネットワークを囲い込んだり、たとえばアクセスを国家によってライセンス制にするとか、そんなことが非常に反動的に起こってくる。そういうものと少なくとも八○年代を知ってるわれわれがどう闘うかというのが、僕らの最後の役割というかなあ、そんなふうに思っていますよ(笑)。

広瀬 最後は結局、グローバリゼーションとローカリゼーションの問題に立ちかえってきましたね。今日はお二人の丁丁発止の議論があまりに興味深く、司会であることも忘れて聞き入ってしまいました。文化の壁をつきぬけながら、それぞれのアイデンティティを大切にする。ITによって、市民社会が今後どんな新しい価値を醸成していくのか。今日はすばらしい議論をありがとうございました。

(二〇〇一年五月二十五日談)