シンポジウム〜情報とネットワーク社会〜
ネットワーク時代の社会・人・縁を語る

司会 広瀬洋子(メディア教育開発センター)
山中速人(東京経済大学)
金子郁容(慶應義塾大学)
京増弘志(富士通ネットワーク)

『情報とネットワーク社会2』情報処理教育研修財団機関誌No.93、2000年1月、pp.5-28.



魂を揺さぶる情報に触れるということ
広瀬 本日は雨模様のなか、おいでいただきましてありがとうございます。今回、「情報とネットワーク社会」というシンポジウムの企画のお話があり、ぜひこの方にお会いしたいという、お三方に集まっていただきました。ですからかなり個人的な思いも入っておりますので、私自身たいへんワクワクしております。私は現在、メディア教育開発センターという国立の大学共同利用研究機関で仕事をしております。とくに関心をもっているのはマルチメディアを利用した学習支援、とくに障害者、あるいは非伝統型学生をいかにサポートできるかという研究をしております。とくに障害者というのは日本の大学では正面から取り組みたくない、ある意味で「お荷物」のような存在として扱われてきました。アメリカのようにADA(障害者差別禁止法)のような法律もありません。日本では対応も大学によってまちまちです。私たちの調査でわかったことですが、大学においては障害が重度になればなるほどメディア・リテラシー(メディアを使う、コンピュータを使う能力)が高いということです。障害が軽度になるにしたがってメディア能力が下がってゆきます。
 ある意味では、われわれいま障害をもっていない人たちがメディア能力がいちばん低い集団なんだと思います。調査したなかで、いちばん能力が高かった学生は、筑波大学の大学院生で、食事もトイレも介助なしにはできない方でした。その方はコンピュータを使って、自分を助けるロボットを設計する研究をしていました。トーキングエイドという機械を介して話をしました。そうしたら、猫が好きで、冗談も言う、ステキな青年だったのです。逆境をはねのけながら成長した話をとつとつと語ってくれました。でも、もし彼がコンピュータに出会わなかったら、彼のステキさや能力を、ほとんどの人に伝えることはできなかったろうと思います。
 そういうことで、まず情報ネットワークが広がり、コンピュータが発達することによって、いままで既存の価値や、人間関係も、ずいぶん変わってくるのではないかと感じています。
 それからもう一つ私の経験から、この春ロサンゼルスに出張していた時のことを話します。夜、ホテルの部屋でテレビのスイッチをつけたら、クリントン大統領がコソボを空爆すると言っていたのです。私は、戦争宣言なんて生まれてこのかた一度も見たことがありませんでした。バルカンの地図を背にして、空爆が成功すれば一週間か十日でユーゴは音を上げるだろうと、すごい勢いの演説をしていました。その日はたまたまアカデミー賞授賞式で、『恋におちたシェークスピア』が作品賞に選ばれ、ロスの街はお祭り騒ぎでした。私がふっとそのとき思い出したのは、ユーゴのクリストリッツィア監督の『アンダーグラウンド』と、ギリシャのアンゲロポロスという監督の『ユリシーズの瞳』という二本の映画です。バルカンの歴史をテーマにした一九九五年のカンヌ映画祭で優秀賞をとった二本です。『アンダーグラウンド』という映画は、バルカンの五十年史をユーゴ独特の譜誰で、いかに彼らがしぶとい民族であるかを、延々と描いた素晴らしい作品です。民族の憎しみとパワーが画面から飛び出しそうな作品で、もし、あれを観ていたら、ユーゴが一週間で白旗あげるなんて絶対考えないと思います。ところが皮肉にもアメリカでは、興行的に成功が見込めないといって、公開されませんでした。日本でも上映された映画を、アメリカ人は観ることができなかったのです。インターネットがあんなに盛んで、さまざまな情報、戦争やあらゆる地域の情報も行き交うと思われているアメリカで、魂のこもった映像に人々はアクセスできなかった。結局、コソボ空爆が停止されるまでに、三カ月もかかってしまいましたよね。こういったインフォメーション・テクノロジー、コンピュータ万能の社会のなかで、魂にまで訴えるものが、どのようなかたちでわれわれに迫ってくることができるのかが、私の今の最大の関心事です。では最初に金子郁容先生、問題提起をお願いします。
(略)
広瀬 ありがとうございました。それでは山中先生、よろしくお願いいたします。


ポスト・コロニアルな時代とは
山中 私は日常生活の話から少し離れて、ネットワーク社会がグローバルな広がりをもったときに、一体どういう問題を生じさせるかということについてお話したいと思います。
 ここで一つの大事な鍵の概念として使いたいのが、「ポスト・コロニアルな世界」ということです。ポスト・コロニアルとは何か。コロニーは植民地ですので、ポスト・コロニアルというのは、植民地を抱えていたような世界を抜け出したそのあとの世界、植民地主義の時代の次にやってくるという、そういう意味です。いわゆる植民地支配なんていうのは、もう第二次世界大戦で終わってしまったんじゃないか、いまさら何をというふうにおっしゃる人がいるかもしれません。そうではなく、昔の古い伝統的な植民地が世界にあった時代ではなくて、冷戦の時代。アメリカとソ連という大きな国で世界が二つに分割されて、それぞれの国がその中心的な大国にぶら下がって、上下関係のなかで世界が支配されていた。こういう時代が崩壊したあとにやってくる新しい混沌とした時代、それがポスト・コロニアルな時代だというふうに私は規定したいと思います。この画面にもありますように、左が政治的な局面ですね。世界はどうなっているか。右がメディアをめぐる局面です。冷戦の崩壊、それから環境問題の深刻化というようなことが起こっています。一方、ボスニアやコソボの件でもそうですが、これまでは国家の主権というのが非常に重大な時代だったんですけれども、現在ではたとえば人権が、国家の主権を超える価値があるという時代となってきた。皮肉な言い方をすれば人権のためには爆撃して人を殺してもいいという、人命よりも人権が大事という不思議な時代になっているんです。
 そういう時代のなかで、今日お話しするのは、その中でも最も底辺部に位置づけられてきたマイノリティー、ここでは民族的なマイノリティー、つまり少数民族だとか先住民族のことを考えていきたいと思います。世界を三つに分けて、第一世界、これはアメリカやロシア、一第二世界というのは中間国で日本、フランス、イギリスなど、第三世界というのは開発途上国の大多数がそこに入ります。先住民族なんていうと、開発途上国のさらに辺境部分にいるということになっていた。この最も中央から遠いつまり権力の中心から遠い、辺境と言われていた部分が、ポスト・コロニアルな時代になってくると、復興してくる、力をもってくるという話なんです。

辺境から中心への新たな流れが
 一方、メディアのほうを見ますと、マスメディアが非常に大きくなって、国家の枠をもどんどん超えていきます。たとえば衛星通信は国家の枠を超えてしまっています。いま何が起こっているかというと、隣の国の放送をみんな見られます。たとえば中国の広州に行きますと、みんな香港のほうにパラボラアンテナを向けてるわけです。台湾の人たちも日本の放送を見てまして、日本の衛星がショートすると、台湾の人たちがみんな怒ってNHKに電話をかけるなんてことが起こるわけです。と同時に、こういうかたちで衛星ネットワークがグローバル化して国家の枠を超えてるのと、同じようなことがインターネットの世界で起こっています。これは皆さんもご存じのことだと思います。また、たとえばミャンマーの村では、日本円にして五円ほど入場料を取って、ビデオシアターというのができていました。何をやっているかといったら、カンフー映画ももちろんですが、ハリウッド映画を観ている。そういう時代になっています。同時にそういう村人たちも、実はメディアを使うことができる。ミャンマーでは、ビデオ信号がPALとNTSCがゴチャゴチャになってますから、どんな小さな村のテレビでもちゃんとスキャンコンバータがついてる。すごい時代ですね。
 こういう時代のなかでマイノリティーの問題を考えるということはどういうことか。これまではマイノリティーというのは世界のいちばん周辺にいて、力のをい存在だというふうに言われてきたわけです。しかし、ポスト・コロニアルな時代にはどうなるのか。もちろん貧困という大きな問題があって、これが世界を二つに引き裂いていることは確かです。昔は貧困問題を解決するためには、それぞれの中心の大国から援助をもらうというかたちだった。民族解放運動も、実はアメリカか、ソ連に従属するかというかたちで、大きなピラミッドのなかで発想してきたわけですね。ところがソ連が崩壊しまして、世界がある種の多元的な状況になってきた。ここで大きな転換が起こりました。
 これまでは先住民族とかマイノリティーはただ単に影響を受ける側だったわけです。アメリカなどから一方的に支配される側ですね。ところがこれが逆に見返す立場に転換してきた。たとえばノルウェイのセミ人の村、セミというのはラップと昔言ってた極北の先住民族です。今では、サンタクロース伝説と結びついており、そこにはサンタクロースがいるなんていって観光客が行くわけです。このセミ人の人たちは、自分たちの民具、道具、歌とか全部に著作権を主張するようになりまして、ほかの一般のノルウェイ人たちがそういうものを作ると、それは本物ではないと批判します。自分たちの文化の知的所有権を主張して、自分たちの側に取り返す、そういう動きが出てきています。
 これまでは宗主国、先進国に従属し、文化的な同化が進行してきたんですけども、ポスト・コロニアルな時代になると、自分たちの文化は自分たちのものだから、むしろ異質性を際立たせる、自分たちの独自の文化を強調するようになってきています。昔は辺境の、たとえばラップ人と南太平洋のトンガの人たちが交流するなんてことはあり得なかったのですけども、インターネットを使うことによって、ネットワークと連帯が可能になってくる。そうすると昔みたいに解放運動はソ連や中国が全部支配するというのでなく、それぞれがネットワークで結び合って、それぞれが独自に進めていく、そういう時代になってきています。そうすると、昔は中心と辺境というふうに位置づけられていたところが、実はそこ自身が一つの中心に変化してしまうということになってきます。

ハワイのイメージは実はハリウッドによつてつくられた
 私が専門にしているフィールドはハワイなので、ハワイの事例を見てみたいと思います。ハワイというのは、十八世紀末にキャプテンクックが「発見」1「発見」というのは、西洋の側の文脈ですけれどもーそれ以来ずっとアメリカによる植民地化の歴史をたどっていきます。そして一九五九年にアメリカの州になって、完全にアメリカ化されました。ところが八○年代に入ると、ポスト.コロニアルな状況が芽生えてきまして、ハワイアン・ルネッサンス運動、つまり自分たちの文化を見直す運動が起こり、九〇年代に入ると、もう政治的にも独立しようというように大きく変わってきています。そのなかで、では一体、先住民たちに対するイメージがどう変わったか。ここでちょっと映像を見ていただきたいと思います。これはハワイの先住民についてのいろんな映像の資料を時系列で並べたものです。
 実は、結論を先に言うと、ポスト・コロニアルな時代に入る前、つまりコロニアルな時代においては、先住民のイメージ形成にかかわる情報の大半は、ハリウッド映画がわれわれに伝えてきたということなんです(映像提示)。これは、一九二七年にクララ・ボーというハリウッド最初のセックスシンボルと呼ばれた女優がフラ・ダンサーに扮する、『フラ』という映画の一シーンです。クララ・ボーはこのあと『イット』という映画で有名になるんですけども。この当時、すでに先住民といえば裸で煽情的、官能的なイメージに描かれています。一方、こちらはその当時、ハワイの映画作家が撮ったハワイ人についての映像ですが、先ほどのクララ・ボー演じるハワイ人と全然違いまして、非常に素朴なおばあちゃんがここでは撮影されております。これがハレという家屋です。こちらが当時のハワイ人の実像に近いものでしょう。ところがハリウッドのなかでつくられたハワイのイメージというのは、アメリカの映画産業のセールスのために必要なイメージとして発展していきます。
 こちらは、一九三七年にビング・クロスビーの『ワイキキ・ウェディング』という映画のなかに出てくる先住民です。(映像:火山から煙が出ている)。ハワイの火山は煙を噴きません(映像:フラをペアで踊っている)。フラをペアで踊るという非常に不思議な映画なんですけども。リズムはアメリカの草原先住民、つまりネイティブアメリカンのリズムのようです。それがハワイの村のイメージとしてハリウッド映画のなかでは語られていきます。こういう流れというのは戦後も引きつづきました。次はハワイが州になったときにアメリカのテレビネットワークの中のバラエティーショーのなかで取り上げられたハワイの先住民をちょっと見ていただきましょう。横でウクレレを弾いているのは白人の男性なんですけども、それを慰安しているのがハワイ先住民の娘という設定です。ここでも先ほどの一九二〇年代につくられたイメージをずっと踏襲していますね。つまり官能的な女性というイメージです。
 ところが一九八○年代以降、ハワイアンルネッサンス以降の新しい、ポスト・コロニアルな状況のなかで、先住民の人たちが自分たちで情報発信を始めるんです。そのときに自分たちの伝統文化を、自分たちの手によって表現しはじめます。それがこの映像です(映像提示)。これは、フラ・カヒコ、つまり古典フラと言われているもので、神代の時代から受け継いできたとされるものです。先ほどのハリウッドがつくってきたイメージとはほとんど違います。音についても、楽器の音曲は入りませんし、祝詞のような肉声でもって表現をしています。踊りも非常にダイナミックです。男性に対して媚びるというそういうメッセージはこのなかには微塵もありません。こういうふうに八○年代後半から九〇年代に入ってポスト・コロニアルな世界が現出してくると、先住民たちがこれまではアメリカ文化に自分を引きつけて、同化するかたちで自分たちを表現してきたものが、自分たちの文化をあえてメジャーなものから異化する動きが出てきます。これはインターネットなどの普及で、完全に世界的な流れになりつつあります。

ネット上には多くの先住民のサイトが
 次にインターネットの、いわゆる世界の先住民族のサイトを見てみましょう。私のウェッブ・サイトから世界中の先住民族のサイトに飛んでいけるようにリンクしているので、それを見てみます。今日見ていただくのは、世界中にどんなサイトがあるか、先住民たちが自分たちの情報を発信しようとしているかということです。チベット問題からイヌイット(昔、エスキモーと言われた人たちです)、それからサラワク。南太平洋の小さな島々の人たち、アオテアロアというのは、ニュージーランドのことで、先住民の言葉でそう言います。南アメリカのインディオ、もちろんハワイの先住民もサイトを持っています。最近ではリアルサーバーといって、ストリーミングメディアで音声や音楽とか動画を流すこともできるようになっています。それでダイレクトにインターネットで世界中の少数民族の情報が取れるわけです。それは単に、われわれ先進国に住んでいる人たちのための情報というよりも、むしろ世界中に散らばっている自分たちの兄弟たちをつなぐためのネットワークなんですね。
 実はそういう第三世界の人たちというのは、もはや自分の村にはとどまっていません。ポスト・コロニアルな世界における人間の移動というのは、それまでの宗主国の側から労働力が植民地、第三世界に流れていったというかたちとは違ってきています。最も貧しい第三世界の村から宗主国のほうに移民が入ってきます。これを途上国の側からみれば、「ダイアスポラ」、移住と言えるわけですけども。その移住先から情報発信しているのです。
 これは、私のサイトヘのリンクなんですけど、世界の先住民族に関する国連NGOのサイトの中に知らない間に私のホームページヘのリンクが入っていたのですが、そんなふうに日本の片隅で研究していても、関係するサイトを発見して世界的なネットワークに載っけてくれるというのも、現代の世界のおもしろいところです。次に見ていただきますのがハワイの独立運動のサイトです。たとえばハワイアンミュージックなんていったら、われわれはすぐスチールギターを想像しますけども、ここでどんなものが出てくるかというと、それはおもしろいものが出てきます。これはハワイアンのヒップホップです。ラップミュージックのハワイアンというのがあります。つまり音楽は世界化しているわけですね。先住民の主張がラップに乗って流れてきます。それがインターネットで聴ける時代、そういう時代なんですね。このように世界中のマイノリティーたちは、いま第三世界から宗主国のほうへと、どんどん、逆流が起こっています。たとえばサモアを見ますと、小さな国で人口は十万ぐらいしかいませんけども、民族集団としてのサモア人は世界中で何十万人といるんです。それは全部、先進諸国に住んでいます。そういう人たちをつなぐネットワークとしてインターネットが利用されている。第一世界にやってきた先住民族の人たちは、こういうぺージを見て、かえってナショナリズムをかき立てられますね。遠隔地ナショナリズムという言葉があります。そういうような時代になってきた。私はこれはナショナリズムという言い方でなく、エスニシズムと言っています。そういう時代にいまなりつつあります。世界はグローバルビレッジになるというよりも、村が世界中に散らばって、ますます多元化の方向に向かっているというのが国際的なインターネット社会のもう一つの側面だということをお話して、終わりたいと思います。
(以下略)