映像と思考の未来〜進化する映像と思考のネットワーク〜
『影絵からマルチメディアへの民族学〜進化する映像』千里文化財団(国立民族学博物館・特別展図録)2000.7.18


 科学技術の発展によってつぎつぎと誕生する新しい映像メディアは、人間の知覚と思考のあり方に大きな影響を及ぼしてきた。映像メディアというと映画や写真だけを想像しがちだが、そうではない。たとえば、建築技術の発展はエッフェル塔のような高層建築物からのパノラマ的視点を、また、鉄道技術は地表を高速移動する視点を人間に与えた。このような新しい知覚によって、人間は、首都や国土についての視覚的イメージをもてるようになった。それは、近代の国民国家の発展に欠かせない重要な条件でもあった。

映画による「大衆」の発見
 視覚機械としての映画が登場したとき、この世界に対する人間の認識のあり方は、決定的に変化した。映画は、たとえば、肉眼では捉えきれないギャロップする馬の足の動きを撮影することによって、18世紀絵画に描かれたようなそろえた両足を前後に大きく広げるようなギャロップが実在しないことを明らかにしたり、逆に、植物の発芽のような人間の目では静止しているようにしか見えない動きをコマ落としの技法を使って視認を可能にしたりした。映画がもたらした知覚と思考の変化は自然科学の分野でめざましいものがあったが、それにとどまらず、同時に、社会的存在としての人間に対する知覚や思考の変化ももたらした。
 たとえば、映画は群衆や組織化された人間集団の力強い動きをとらえ、かつ、表現できる強力な手段だった。それ以前のメディアでは、何百何千という人間の動きをひとつの枠の中で同時に記録したり表現したりすることなどできなかった。たとえば、絵画が描くことのできる人間の数は知れている。写真は動かない。動きを表現できる演劇でも、舞台に上れる人の数は限られている。映画だけが、群衆や組織集団の動きを正確に記録し表現できた。映画によって捉えられた群衆は、一方、近代という時代の特徴である産業化と都市化によって誕生した「大衆」の姿でもあった。リュミエール兄弟が発明した最初の映画の中に撮し止められた、工場の扉から流れ出てくる無数の人々こそ、大衆が映像に記録された最初の姿だったが、これは近代における映像と大衆との深い関係を暗示していたといってよい。農村を離れ、工場で働くために都市に集まってきた人々の群。サイレンと時計によって一丸となって働く人々。匿名的で個性をもたない人々の群。映画は、そのような「大衆」の姿を視覚的に捉えることのできる唯一のメディアだった。
 映画によって劇的に捉えられた「大衆」の姿は、社会科学における「大衆」の発見とオーバーラップした。「大衆」の存在ほど、20世紀の社会思想に大きな痕跡を残したものはないだろう。映画によって捉えられた大衆の力強いイメージは、たとえば、セルゲイ・エイゼンシュタインが『戦艦ポチョムキン』で試みたように、社会主義の理想に具体的イメージを与えた。また、アメリカでは、ハリウッド映画とラジオが、大量生産・大量消費と都市生活様式(アーバニズム)に裏付けられた大衆社会へと人々を動員した。しかし、他方、『民族の祭典』を撮ったレニー・リーフェンシュタールのように、熱狂的な民族主義とファシズムへと人々を誘ったのである。

インターネットに出現した共同の知覚空間
 映像は人間の思考の様式それ自体に変化をもたらした。思考する存在としての人間にとって映像がどのような役割を果たすかを最初に意識したのは、革命後のロシアで『カメラを持つ男』などのドキュメンタリー映画を作ったジガ・ヴェルトフだったといってよい。ヴェルトフは、記録された映像が時間と距離を超えて、人類を「視覚的」な方法によって同盟させると考えた。つまり、映像によって、人類は、個々の人々がばらばらに孤立して思考するのではなく、互いに共同しながら思考することができるようになると考えたのだ。
 しかし、ヴェルトフのアイデアは斬新だったが、映像の光学的再生を時間の流れに沿って直線的に行うだけの視覚機械でしかなかった映画は、社会現象を記述したり人間の思考を支援したりする道具としては、不完全な機械だった。
 たとえば、人間の発話を記録する、つまりインタビューという形式一つを考えても、発話が行われる現実の場でそれを記録することは実際にはできなかった。手持ちの16ミリ映画カメラが日常の人々の会話を音声と映像の両方において同時に記録できる性能を持つようになったのは、ごく2〜30年来の出来事に過ぎない。それ以前は、あらかじめ練習された人々による発話の演技がカメラの前で行われているだけだといっても言い過ぎではなかった。その後、記録媒体が光学的媒体から電子工学的媒体に替わり、長時間の録画ができるビデオカメラが登場することによって、はじめて人間の発話を本来の形に近い状態で記録できるようになった。
 ヴェルトフの夢想は、今日のデジタル映像メディアによって、はじめて現実のものとなったといってよい。コンピュータとインターネットを駆使するマルチメディア技術は、人類の視覚的体験をネットワーク化し、世界的規模での思考の共同性を出現させつつあるといってもよい。このような進化の一つの到達点は、仮想現実(ヴァーチャル・リアリティ)の技術によって、インターネット上に構築された共同の視覚空間(サイバースペース)としてわれわれの眼前にその姿を現そうとしている。遠近法と「窓」(フレーム)にしがみついてきた映像は、この技術によって、それらのしがらみから解放されるかもしれない。そこで得られる新しい知覚と経験によって、人間は、近代の視覚的メディアが置き去りにしてきた身体的知覚の全体性を取り戻すかもしれない。

交錯する21世紀の知覚と思考
 ところで、メディア技術の発達によって、小型化され大量に生産されるようになった視覚メディア機械の普及によって、世界の森羅万象が一般の人々の手によって撮影され、視聴され、互いに交換されるようになった。その結果、人々の映像に対する読み書き能力(リテラシー)は以前と比較にならないほど向上した。近代の映像メディアである映画や放送は、選ばれたエリート(送り手)から視聴者・観客という名の一般大衆(受け手)へと一方的にメッセージを伝えるメディアだった。これに対し、これからは、ネットワーク化された映像メディアによって、人々は直接映像によってたがいに意志を交換し、共同して思考することが可能になるだろう。
 このような変化は、たんに先端的なメディア技術を所有する「先進国」の社会の側においてだけもたらされているのではない。従来映像によって捉えられるだけの存在であった旧植民地や先住民族の社会の側においても、変化をもたらそうとしている。
 振り返ってみれば、20世紀において諸民族の接触を記録した映像は、たとえば民族誌映画の開祖であるフラハティの諸作品に共通して認められるように、視覚機械を所有する「文明」(=西洋)の側が、それを持たない「非文明」(=非西洋)の側のイメージを一方的に記録し、独占的に評価し、「文明」の側だけで消費してきた。視線を奪われた「非文明」の側は、自己についてどのような言及がされているかも知らされず、自分自身の価値すら評価できない存在として扱われた。しかし、このような状況は今日急激に変化を遂げた。たとえば、衛星を経由して世界の隅々にまで映像情報を運ぶ放送網によって、また、「辺境」の村々にまで拡大したビデオ・パッケージの流通網によって、人々は「文明」の側が自分たちにどのようなイメージを持っているか知るようになった。また、故国からの衛星放送やビデオパッケージが伝える映像情報は、出稼ぎや移民によって途上国から先進諸国へと拡散した人々に出身民族に対する強い一体感を与えようとしている。
 このような新しい状況は、旧植民地や先住者の世界において急速に勃興しつつあるポスト植民地主義の思想に力を与えている。つまり、観る側(写す側)に対する観られる側(写される側)の異議申し立て、言い換えれば、視覚メディアを所有する「文明」の側が独占してきた映像的思考の主導権を先住者の側が奪い返す運動が世界の各地で繰り広げられようとしている。
 「文明」と「非文明」の対立が意味を失う次の世紀においては、ネットワーク化された映像メディアによって異文化の視線が複合的に交錯する中に、人類の新しい知覚と思考の形が見いだされるに違いないのである。