エイズとともに生きる家族にむけられたビデオカメラのまなざし
〜北タイの感染者家族を記録したドキュメンタリー「YESTERDAY TODAY TOMORROW」の世界〜
『季刊民族学』114 2005年秋




 今年の夏、神戸でひとつの国際会議が開かれた。アジア太平洋エイズ国際会議である。その会議の開催にあわせて、エイズというテーマを分かち合う数本のドキュメンタリー・ビデオの連続上映会が、かつて神戸における最大の映画館街であった新開地のアートビレッジセンターで開催された。さまざまな作品が上映されたが、私が関心をもっていたのは、アジアプレス所属のビデオジャーナリストである直井里予氏が製作した「YESTERDAY TODAY TOMORROW」というビデオ・ドキュメンタリーだった。
 この作品は、北タイでくらすHIV感染者の家族に関心をよせる直井氏が、2001年から4年間にわたって記録した、2つの感染者家族をめぐるドキュメンタリーである。(最近では、HIVに感染し、エイズを発症した人をPWA=People with AIDSと呼ぶことが多いので、以降は、その表現を使う。)会場には関心を寄せる少なからぬ人々が参集し熱心に作品を視聴していた。
 会場に集まった人々がどのような感想をもったかは計り知れないが、わたしの感想をのべれば、この作品が優れているのは、直井氏のカメラがほんとうにしっとりとPWAの生活に寄り添っているところだと思う。それは取材の対象となった家族とりわけ子どもがカメラを恐れず、自然にうけいれていることからも分かる。食べ、眠り、遊び、学び、ときに治療を受けるというPWAにとっては当たり前の生活が、たんたんと記録されている。
 映像の処理も、最小限度の説明が文字で挿入される以外は、BGMやナレーションなどの付加的な表現はいっさい使用せず、実に簡素に仕上げられている。大袈裟な前置きや状況説明もなく、映像は、最初からするするとPWAの日常生活の中にはいっていく。だから、登場する人々のだれがPWAでだれがそうでないのか、どんな治療をうけているのかといった事実も最初は触れられない。しかし、映像をていねいにみつづけていくと、それらの事実は、なにげない家族の会話や出来事をとおして次第にあかされてくる。だから、観客は映像を敏感に注意深くみることが求められる。
 要領よく問題を整理し、てきぱきと対策を提案するというような姿勢を、このドキュメンタリーはとっていない。単純に整理や分類することのできない多様で矛盾に満ちた生活世界のリアリティーを丁寧にくみ上げる直井氏の視点は、フィールドワーカーのそれにきわめて近いように思えた。
 考えてみれば、わたしたちの日常生活において、もし近くにPWAが暮らしていたとして、そうかんたんにだれがPWAでだれがそうでないか分からないのが普通である。だから、そういう存在のあり方を特徴としてもつPWAの生活に触れるのなら、繊細で忍耐づよい受容が映像に対しても求められるのである。

 ところで、わたしが北タイのPWAの生活を記録したこのドキュメンタリーにつよい関心をもったのは、とくべつな理由があった。
 わたしが、長年、親しくつきあっている研究者から、去る2月、タイ北部のチェンマイ周辺のPWA支援活動について聞き取り調査をするので、それに同行するよう依頼されたからである。調査に際して、現地の支援活動の実情をビデオで記録して、帰国してから日本で生活するタイ出身のPWAにみせたいので、撮影と編集の協力をしてくれないかという依頼だった。同氏によれば、この調査の重要な目的のひとつは、日本在住のPWAがなんらかの事情で帰国することになったとき、帰国後の医療・生活支援を遅滞なく受けることができるように地元の医療機関や支援NGOとの連携をはかることにあるのだという。国際間を移動するPWAが移動によって治療機会を失ったり、空白ができてウイルスの増殖を許してしまったりすることを避けるためだけでなく、PWAが帰国先の事情を前もって知ることで帰国の不安を軽減できるからだ。すでにフィリピンのマニラとタイのバンコクでの調査は完了しているとの話だった。わたしが撮影した映像が役に立てば結構なことだと考え、二つ返事で引き受けた。
 その研究者は、もう15年以上もPWAのためのカウンセリング活動に従事し、公的あるいは民間のさまざまな支援活動にも関わってきた。わたしのエイズに関する知識の大半はこの人からの耳学問である。それによれば、エイズをとりまく国際環境は近年急速に変化している。先進国のエイズ対策は、感染数が増大している日本などの一部の国をのぞき、ずいぶんと進んだ。ウイルスの増殖を抑える薬剤がつぎつぎと開発され、それらを適切に服用すれば、長期にわたって発症を抑えることができるようになった。しかし、薬剤を不自由なく入手できる地域はかぎられ、アジアやアフリカなどの開発途上国の多くでは、もっぱら経済的理由から入手が困難だという。そのなかで、タイは徹底したエイズ対策を実施し、感染爆発を抑止した成功例として高い評価をうけていた。しかし、このタイでも、小さい政府を標榜する新しい政権にかわって以来、エイズへの取り組みは急速に後退しているという。
 北タイでの調査では、現地で少数民族の人権問題に取り組んでいるNGOの木村茂氏(リンク代表)に助けてもらい、チェンマイの都市部だけではなく、国境近くのパカニョー(カレン)族の村も訪問し、聞き取りをすることできた。山間に張りついた、その小さな村のリーダーが語る事実によれば、都市に出稼ぎに行った何十人という村人たちが、PWAになって帰村し、亡くなったという。成功したといわれるタイのエイズ対策の陰に、このような貧しい少数民族たちのおびただしい犠牲があったと聞いて胸がつまった。
 また、チェンマイでは、病院や教会の中につくられたPWAの自助グループを訪問し、そこで活動するPWAやワーカー、ボランティアたちから聞き取りをし、インタビュー映像も収録した。インタビューの最後には、日本在住の北タイ出身のPWAにむけてメッセージをお願いした。ふるさとの北タイ方言で語られるメッセージはその穏やかな響きとともに、きっとPWAの心にまっすぐに受け止められることだろう。そのメッセージを含むビデオは現在編集中で、この記事がでるころには完成しているはずである。

 神戸会議にさきだって、エイズ医療に携わる医療関係者から、日本におけるHIV感染は危機的状況にはいったという警告がだされた。日本は先進国で例外的にHIV感染が拡大し続けている国だという。かつて、エイズは新奇で恐ろしげな病気だというイメージがメディアによって振りまかれていた。そういうときには、国も社会も熱心に感染予防に取り組んだ。しかし、恐怖を背景にした予防キャンペーンは、結局、人々の関心を一時的につなぎ止めることしかできなかった。昨今は、保守派による「ゆきすぎた性教育」批判の逆流もあって、予防教育はさらに困難な時期を迎えているという。
 感染拡大を防ぐには、このような逆流をはねのけて予防教育にいっそうの力がそそがれる必要があるのだろう。しかし、それだけではなく、PWAを差別したり排除したりせず、ともに生きる社会を作り出す努力がより切実に求められている。そのためには、声高なメディアによるキャンペーンではなく、直井氏の作品のようなPWAの日常生活にやさしく寄り添うような映像こそが日本でも作られることが必要だと思う。
 エイズをどこか遠い貧しい国の可哀想な人々の問題だと思いこんでいる多くの日本人にぜひこの作品をみてもらいたい。