1997/02/03(MON)

1997/02/03(MON)



元の木阿弥から再スタート。とにかく、目の前のコーヒーカップと、100億年後の太陽の爆発とどっちにリアリティーがあるかということだ。いま思うに、わたしはこの問題、割と、「どっちも」が答なんだな。どっちかいっぽうに決めろと言われても、困っちゃうんですね。その点でも、(世代の上で言えば)、わたしは上の世代ほどロマンチックにもなれないし、下の世代ほど散文的にもなれない。いわば、宙吊り状態であるだろう。「両方を肯定するのか?」と言われたら、「そうだ。コーヒーカップも太陽の爆発も両方を肯定する」と答えるだろう。
これを具体的に詩作のコンテクストに入れてみたら、どうなるか。現実を肯定して、なおかつ、現実の崩壊も肯定している。これはもう、両方の要素を詩に取り込んで、組み合わせていくしかないんじゃないか。
したがって総合すると、詩作品は、まず、言葉と無言との組み合わせ、次に、日常語と非日常語との組み合わせ、そして、一見何の脈絡もないまったく別個のブロックの導入、それと最後に、現実肯定の要素と現実崩壊の肯定の要素との組み合わせ、以上四つの組み合わせから構成されることになる。(中断)

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夏際敏生日記 [1997/01/21-1997/02/22] 目次| 前頁(1997/02/02(SUN))| 次頁(1997/02/05(WED))|