鞠智城跡 (熊本県菊鹿町)
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鞠智城は7世紀後半(約1,300年前)に大和朝廷が築いた山城である。
当時、日本は友好国であった百済を復興すべく援軍を朝鮮半島へ送ったが、663年の「白村江の戦い」で唐と新羅の
連合軍に敗北したため事態は急変し、直接日本が戦いの舞台となる危険が生じた。
そこで大宰府を守るために九州には大野城(福岡県)、基肄城(佐賀県)、金田城(長崎県対馬)が築かれ、これらの城に
食料や武器、兵士を補給する支援基地としてこの鞠智城が造られた。
鞠智城は内城(約55ヘクタール)と外城(約65ヘクタール)からなり、菊鹿町米原を中心に菊池市まで広がって
いる。
発掘調査は昭和42年から始められこれまでに67棟の建物跡が発見された。建物の復元も進められており、米倉・兵舎に続き
鼓楼が今月16日に完成したばかりである。(1999.10.21)
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