永年熊本に住みながら、毎年旧のお盆の8月15日〜16日に行われるこの祭りは見たことがなかった。理由は、サラリーマン時代にはなかなか事前に予定が立たず、直前になってからでは宿が満杯で取れなかったことによる。そこで、リタイアした今年こそはと早くから計画を立て、出かけた。幸いにお天気は上々(もっともそれだけに暑かったのだが)。月は三日月で、灯りの演出には殆ど影響しない程に光は弱い。「よへほ よへほ」という「よへほ節」の優雅なリズムに乗り、16日午後9時から約1時間にわたって、小学校の校庭全部を使い約12,000人の観客の前で踊られた、全国各地からの参加者100人を含む1,000人による「千人灯籠踊り」は、さすがに圧巻だった。
(この踊りを踊るのは女性のみに許されており、中央櫓の上は山鹿灯籠踊り保存会のメンバーと囃子方。櫓下が1,000人の踊り手。)
第12代景行(けいこう)天皇が九州ご巡幸のおり、菊池川 (きくちがわ)をさかのぼり、山鹿に上陸しようとされたが濃霧に行く手を阻まれたため、山鹿の里人たちがたいまつを手に掲げ天皇ご一行を無事に案内した。
それ以来里人たちは、そのとき行在所だった大宮神社にたいまつを毎年奉納するようになったことが、山鹿灯籠まつりの起こりといわれている。
その後、町民たちの旦那芸として精緻な和紙工芸へと発達した「山鹿灯籠 (やまがとうろう)」と結びついたのが室町時代で、現在の祭りのスタイルの骨格となっている。 |
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![]() お祭り広場で踊る市民有志 |