タイの環境保護僧

プラチャック師の森林保護運動


 以下に掲載するタイの高名な環境保護僧プラチャックさんの紹介文とインタビューは、浄土宗の古庄良源さんのご好意で掲載させていただくものです。古庄さんは「ちぇしゃ丸no.2」のハンドルネームでパソコン通信で活躍するネットワーク和尚さんです。浄土宗神奈川教区京浜組善養寺の副住職で、浄土宗総合研究所の非常勤研究員(情報通信研究担当)でもあります。


出典「第6回INEB会議資料1994/2」

 1988年の大洪水の結果、タイ民衆の森林問題に対する関心が高まった。その関心の高さを受けて、1989年1月、タイ政府は、公有地の商業用森林伐採禁止政策を発令したが、以後数年間、伐採禁止令の効果は判然とせず、森林資源の減少はその間も滞まることを知らなかった。

 そういった状況の背景に巨大な木材産業の姿が見え隠れしていることは言うまでもない。森林伐採禁止令を発令した後も、タイ政府当局は、国有林保護条例といったような現行法を用いて、森林の保護・森林資源の回復を決行すると見せかけ、実際は木材産業の要請に応えていたという事実を看過してはならない。

 1985年の森林保護条例によれば、失われた森林面積の40%を森林地帯にし、内15%は国立公園、野生動植物保護区域、河川流域地帯というかたちで全面的に「保護」されるもの、残り25%が、再森林化と商業開発関係の民間・政府外郭団体の管理下に置かれる「経済」森林地帯となる予定であった。しかし、このような政策にもかかわらず、実際は、伐採された地域を元に戻そうとするのではなく、単一樹種を植林し、木材企業に木材を供給しようとするのが「再森林化」の実態であった。「再森林化」という言葉を誤用することによって、植林することは常に前向きの姿勢であると信じて疑わないタイ民衆の期待を事実上裏切ることになった。

 1990年、タイ国民が原生林の喪失に憂慮を抱き、野生動植物の保護を訴え始めると、タイ政府も国有林保護条例の重点を変更せざるを得なくなった。すなわち、報告書においては、現在25%の森林地帯が保護対象となり、15%が商業用森林地帯となっている。また、各地域における森林資源保護、活用の権限を各自治体に認める森林自治体法を議会で採択・決定するべきであるという動きもあった。しかし、草の根運動団体、環境保護団体、そして各NGOグループに支持されたこの法案も国会の承認を得てはいない。


「経済林」という考えは、1985年当時、世界規模での熱帯林開発計画、すなわち熱帯林行動計画(TFAP)によって全面的に支持されていた。TFAPの創設者、国連食糧農業機構(FAO)、国連開発計画、そして世界銀行もまた森林行動計画(森林マスター計画として知られている)を推進するための資金を各国に供与してもらうことを全世界に要請していた。

 タイの森林マスター計画は、フィンランドの相互援助団体FINNIDA(フィンランド企業ジャアッコ・ポイリィ−Jaakko Poyry−がコンサルタントとしてこのマスター計画に関する事業を請け負う権利を獲得する道を開くことに大きく貢献した)からの資金供与を受けて推進されていった。フィンランド系企業ジャアッコ・ポイリィが少なくとも12カ国でユーカリ植林、製紙パルプ工場の建設、森林の伐採を積極的に推進し、森林の大量破壊に大きく関与している事実を指摘しておかなければならない。

 タイ政府の経済林開発への関与は、木材関連企業にとって必要不可欠である。なぜならタイ国内で使用可能な森林地帯は、およそ600万ヘクタールに及ぶが、そのほとんどが国によって管理されている国有保護森林だからである。しかし、現在その森林の大半も伐採され尽くしてしまっているので、その地域を開発する権利を与えるとしても事実上無意味なことである。むしろ、タイ政府が、ヘクタールあたり1ドルで森林をリースし、しかも非課税、さらには融資までしてパルプ製紙企業の投資熱をあおっているという現状に注意を払わなければならないだろう。

 さらに問題となっているのは、土地所有権も持たず、何世代にもわたってこの森林地帯で生活する、およそ1千万人の人々のことである。タイ政府はこれらの人々を、森林を破壊し「再森林化」に道をゆずらねばならない「不法定住者」とよんでいるが、これらの人々には、他に行く場所がない。それにもかかわらず、1991年8月、タイ政府はコー・ジョー・コー(Kor Jor Kor)、すなわち森林保護区域の無人化をはかる軍事弾圧的色彩を帯びた森林開発5カ年計画を承認したのであった。


 たび重なる大規模な非暴力抵抗運動の結果、1992年、アナン政権は最終的にコー・ジョー・コー計画の棚上げを余儀なくされ、強制移住は大部分停止し、居住民に対する「寛大な見て見ぬふりをする」政策がとられるようになった。

 これまで、多くの地方農民は先祖伝来の土地を所有する権利を維持するため闘ってきた。そして今、貧困から脱け出そうとして永く住んでき た土地を離れることが、逆に自分たちを飢えさせることになることを身 をもって経験している。タイ政府が現在の森林政策を大幅に改革しない限り、政府側の「勝利」が永続的になる可能性はほとんどなく、かえって、コー・ジョー・コーのような開発計画が存在することで、個々別々に繰り広げられてきた民衆の抵抗活動が社会変革を求める大衆運動に発展していく可能性をますます昂まってきている。

 森林保護を求める草の根の闘いは、1970年代からその勢いをつけてきており、今日タイ国内の4000地域が森林保護運動に参画し、森林を自らの手で管理して森林破壊を食い止めようとしている。彼らが好んで用いる森林保護運動の手段は平和的なものであり、多くの仏教僧侶から支持、支援されてきた。僧侶の助けをかりて、多くの村人が、森林保護パトロールや植林を行ない、傷ついた森の精気を癒し、自己再生力を回復させるための儀式を取り行なったりしている。そのような活動を村人と共に行なってきた僧侶が、ブリラム県ファ・ナム・プート寺院の僧、プラ・プラチャックその人である。


「瞑想は自己検証の過程である。また諸行無常(paticca samupadda)を知る手段でもある。瞑想によって我々は、全てが内的に関連し合うことも知ることもできる。もしこのことが心の中で本当にわかれば、森林も保護されたり、何かの役に立つものという以上の意味を持って我々の目の前に存在するものとなろう。森林は生そのものである。森林は我々自身であり、我々は森林である。森林を破壊し害するならば、自分自身を害することになろう。森がなければ、自らの存在を確かめることも十分にはできなくなるだろう。そしてその結果、我々は生き残れないようになってしまうのだろう。」(プラチャック・クタチット師)

 1989年、プラ・プラチャックがドンヤイに到着した時、12の村が政府によって他所へ移住させられるところであった。またさらにドンヤイ地域の森林破壊が進行している状況に心を痛めたプラ・プラチャックは、その地域に住むことを即座に決意し、森林地帯を僧侶安居の地であることを公に向かって宣言したのである。プラ・プラチャックは村民に近くの山を「許しの地」(Khet Apaiyataan)として寄進するよう要請し、その山を森林伐採や野生動物の殺生を禁ずる聖域地帯の中心としたのであった。また彼は各地区のリ−ダ−たちの協力を得て、なかでも最も大きい木々に僧侶の袈裟をまといつけ、木々に授戒することを始めた。伝統的に仏教国であるタイでは、極度に貧しい森林伐採者でも「聖なる」木々を伐採することにはためらいを感じるのである。

 木々を僧侶にすることで貧しい村人が小規模の森林伐採をしなくなってきていることは非常によく知られている。またプラ・プラチャックの 森林パトロ−ルも成功している。パカム地域の25村の村長の協力を得て、1990年にはファ・ナム・プ−ト山岳保護グル−プを結成した。 以来、活動に共感をおぼえた村民や僧侶が、携帯用無線電話やカメラを持ち、毎日森林をパトロ−ルしている。そして違法な森林伐採を報告し、木材運搬用に使用されている道路を遮断するなどして20,000ライ(1ライ=1600平方メ−トル)の森林を保護している。しかしながら、悲劇的できごとも起こった。違法森林伐採者と乱闘の末、1992年9月に2人の村民が、そして1993年7月にはまた別の1人が殺害されてしまった。

 プラ・プラチャックの努力にもかかわらず、貧困と貪欲とが森林を食いつくし続けている。このことを憂いて、プラ・プラチャックは森林破壊を食い止めるさらなる手段を考案していった。多くの「ディ−プ・エコロジ−」森林ウオ−クや非暴力抵抗運動を主催して、タイ内外の環境保護活動家に参加を促し、現実の的確な認識と建設的な社会変革をもたらし得る方法を探求し続けている。


 経済的事情によって若者たちは農村を離れ、職を求めて都会へと行かざるをえない場合がしばしばある。プラ・プラチャックは若者たちの農 村離れを食い止めようと、これまでに数多くの青年森林保護グル−プをつくってきた。彼は若者たちに森林をどうやって保護していくかを教え たり、荒廃の進む村を再建していくノウハウを指導するなどして、彼らが農村の暮らしに希望を見出だしてくれるようにと望んでいる。プラ・プラチャックの将来に向けての統一計画には有機農業、児童保育施設、女性に対する絹織物指導などもあり、収入を木材産業に依存している村民の生活形態を変えていこうとしている。そのような活動をしながら、プラ・プラチャックは、村人が徐々に自分たちの生活と村を自らの手で管理し、また人間と森とが平和的に共存することが可能であり、かつ必要であることを政府当局にも訴えていくことができる、と信じている。

 しかしながら、急速に消えつつあるタイ森林を守っていこうと努力しているプラ・プラチャックの行動に皆が皆、好意的でないのは言うまでもない。彼の斬新的な環境保護運動と教育計画がタイ社会における僧侶の役割を根本的に変革しつつある一方、政府の社会正義に対する姿勢とトップダウン方式的国土開発に対して大きな疑問を投げ掛けている。プラ・プラチャックのリ−ダ−的役割が世間の注目を集めると、彼の6年間におよぶ闘いに対して何度となく弾圧が加えられたり、時には逮捕さ れるといった結果を招くようになった。ある時には銃を持った殺し屋が寺院の敷地に侵入して銃を乱射したり、また時には自動小銃を持って森林を取り囲むということがあった。野生動物がたびたび銃で撃たれたり、毒殺されもした。プラ・プラチャックの命もしばしば狙われたが、これらの脅しによっても彼はその地を離れようとはしなかった。最近最も危なかったケ−スは、僧侶の姿をした殺し屋がいたことである。プラ・ラチャックとの話し合いが終わると、その殺し屋は自分の使命を告白し、それ以来見習い僧として寺院で修行に励んだのであった。

 さらにまた、政府官僚や軍将校は、違法森林伐採によって不当な利益を得るため、プラ・プラチャックを森林問題から遠ざけようと可能な限りの権力を行使している。1991年、プラ・プラチャックは3つのデモを先導したことにより逮捕されてしまった。1992年2月、プラ・プラチャック並びに10人の活動家がその前の年に発表されたコ−・ジョ−・コ−計画に抵抗したという理由で6か月間の禁固刑を言い渡されたのである。罪状は陰謀罪、大衆扇動罪、公務執行妨害であった。さら に翌日、ブリラム地方裁判所はプラ・プラチャックに大衆扇動罪で1年の禁固刑を課すという判決を下した。数週間後の1993年1月、プラ・プラチャックは、森林不法侵入罪で6か月の禁固刑を言い渡され、その刑を受け入れた。現在彼は、2年間の執行猶予中である。もし彼が土地 所有権と環境問題に関する闘いに再び関与しなければ、刑期を勤めあげる必要もなくなろう。

 全国に繰り広げられる地域の反対運動の大半がプラ・プラチャックの関与と逮捕をめぐる論議によって生じたものであるが、その運動の結果、アナン政権は問題の多い移住計画や開発計画を、一時的せよ棚上げせざるを得なくなったのである。


 政府が開発計画等を棚上げした後、プラ・プラチャックや草の根団体グル−プのリ−ダ−たちは、土地利用のあり方を見直したり、数地域における政府当局の再森林化を支援するといった内容をもつさまざまな計画を提案した。しかし、現在のところ、政府部内でのいざこざでそれら の提案も審議未了の状態に置かれている。当分の間、森林が減少するに つれて、貧しい農民はますます貧しくなっていくことであろう。

 他の第三世界諸国同様、タイでも森林破壊問題は最も急を要する課題である。西洋諸国の環境保護団体の人々にとっては、地球規模での気候 の変化や天然資源の枯渇、野生動植物の消滅や宗教や民族文化遺産の崩壊・消滅が他に優る重要な問題であるかもしれないが、、タイの農民には、もし森林を失えば、孫子の代まで貧しさを引きずっていかなければならないという深刻な問題が厳然としてある。

 もちろん、近代的暮らしがしたければお金もかかり、大規模な森林伐採に従事して生計をたてなければならないこともある。特に貧しい農民 にそういう場合が多い。ドンヤイの森林を伐採して、政府の補助金を引き出したり、企業の誘致をはかろうとする地域産業が、、貧しい人々を雇用する。

近代化の波は、村人にとって必要不可欠な環境資源を奪い取っていく が、同時に人々が結束して森林を保護し、自分たちの生活を守ろうと意識し行動させる方向に彼らを駆り立てていくことも事実である。プラ・プラチャックの闘いが一般に知られるようになって、、徐々にこのよう な動きが出始めている。プラ・プラチャックの努力によって、人々は一致団結して自分たちの生活や天然資源を民主的なやり方で守ろうとして いる。

 それゆえ、プラ・プラチャックの運動を国外から支援していく動きは、タイ農村において正義を求める非暴力運動を活気づけるために必要である。プラ・プラチャックに対する弾圧が増せば増すほど、プラ・プラチャックや彼と行動を共にする農民への共感の声が増え、結果として彼ら を守っていくことになるであろう。

 国外からの非難の声が多くなれば、タイ政府も暴力的手段を用いず、交渉といった平和的手段を用いて土地所有権問題を誠実に解決していこうとするかもしれない。また、将来の開発計画を考案し決定する過程が 民主的であることを求めるNGOや各地域のリ−ダ−たちに法的権限が 譲渡されることにもなろう。さらに、国外からの関心が高まることによって21世紀へ向けての生き残りをかけたプラ・プラチャックの、他に 比類のない叡知をより広く伝えることを可能にするであろう。

「葉は何も所有せず、また何も支配しない。そして必要以上のものを 奪い取ることもしない。われわれ人間は、葉から多くを学ばなければならない。」(プラ・プラチャック)


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