A brief history of Uchiyama Kosyo Roshi

内山興正老師の略歴
















遷化2日前の内山興正老師
(いっぽう氏撮影:H10.3.11)

明治45年 東京に生まれる。
昭和10年 早稲田大学文学部西洋哲学科卒業。
      昭和12年まで同大学院に在学。
昭和13年 宮崎公教神学校教師となる。
昭和16年 澤木興道老師について出家得度。
      戦時中昭和19年から島根県に疎開。
昭和24年 安泰寺に入る。(托鉢と坐禅の生活)
昭和37年 『折り紙』の本出版。
     (長年の托鉢に一応終止符)
昭和40年 12月澤木興道老師入寂。
      以後,安泰寺堂頭。
昭和50年 引退。大垣市に隠居。
昭和52年 宇治市能化院に転居。
昭和53年 京都市宗仙寺で正法眼蔵味読会を開講。
     (〜昭和63年)
平成10年 宇治市能化院にて3月13日示寂。
      安泰寺六世道融興正大和尚。


 内山興正老師は,若いころより<何のために生きねばならないのか>と自己の人生を悩まれ,昭和16年に澤木興道老師について出家得度してからは坐禅修行一筋の人生でありました。

 澤木老師遷化後は,澤木老師の後を引き継ぎ,安泰寺(当時京都市玄琢,現在は兵庫県浜坂)堂頭として10年間弟子の育成と坐禅の普及につとめられました。隠退後は正法眼蔵味読会を開講される等,宇治市能化院にてますます求道の情熱に燃えておられました。

 内山興正老師の遺稿集として今年4月に大法輪閣より『いのち楽しむ』が出版されましたが,本書扉うらには絶筆となった「ただ拝む」という詩や亡くなる日に書かれた日記が載せられたいます。この絶筆や最後の日記からも,内山興正老師が,最後の最後まで不二いのちを深めて続けられていことが偲ばれます。


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