Roshi and I

内山興正老師との出会い










text by Ippou


 私が内山興正老師と出会ったいきさつからお話させていただきます。

 まずは昭和42年に現在静岡におられる内山老師の弟弟子に当る村上光照さんと知り合いになり、澤木老師の話を聞いたりテープを聞かせてもらったりしたことから始まります。
 37年に大学に入学してから人生に迷ってフラフラブラブラしていたのです が、44年に好きな女性に出会って一旦シャキっとした気になるのですが、恋に落ちるといえば聞こえがいいが実は完全なる片思いで長期に渡り悶々の送ること になります。それまで宗教的なものは読んだことはなかったのですが、村上さんに澤木老師のことを教えられていたところから手にすることになったのが「禅とは何か」(誠信書房)でした。
 これが禅とは何かはよく分らなかったのですが、個々の話はなかなか面白い。それで、「禅談」とか「観音経講話」なんかを読み始めたんです。
 ある時、大阪梅田の旭屋書店で澤木興道全集を纏め買いをしていたら、「安泰寺をご存知ですか」と声をかける人がある。小山さんという澤木老師の在家のお弟子さんだったのですが、「行ったことはないです」と答えるとチラシを出して日曜参禅会を内山老師がされているからおいでなさいと誘っていただきました。小山さんと別れて仏教関係の書棚を見渡してみると内山興正著という本が目に付きました。「進みと安らい」(柏樹社)という本でした。早速、買い求めて読んだのですが、何と仏教とはこういう教えだったのか、眼からウロコが落ちる思いがしました。これは安泰寺へ行かなければということで安泰寺を訪れたのが昭和45年の秋でした。丁度永平清規の提唱を始められた時でした。
 この時始めて内山老師にお会いしたのですが、提唱を聞き坐禅を終えて帰ろうとするとき老師が玄関へ出てこられて声をかけてくださいました。「今日が初めてですね。どちらからお見えになりました。」というのが最初でした。二言三言言葉を交わして帰ろうとお辞儀をして頭を上げると内山老師はまだ頭を畳の上につけておられたので慌ててもう一度お辞儀し直したことを思い出します。

 お人柄も優しく涼やかで、仏教を分かりやすく説いてくださる、この方に仏教を教えていただこうとその時心に決めたんです。
 でも、本を読んだり安泰寺や宗仙寺での提唱を聞かせていただいたりする程度で個人的に教えを受けるようなことはしておりませんでした。昭和56年に在家得度を受けたい気になってお頼みに行った時、君ならということで気安く渡部耕法老師への紹介状を書いていただいたことは感激でした。お話することはあまりなくても見ていてくださったのだと。
 お陰でその年の4月8日に浜坂の安泰寺で在家得度させていただき老師の法系に繋がることができたことを喜びとしております。

 ほんに時々しかお訪ねすることはなかったのですが、お訪ねするといつもやさしく笑顔で接していただいていろいろ親切にお教えいただきました。それが久しぶりに昨年3月に小山さんと2人でお訪ねした2日後にお亡くなりになってしまって、後から来られた櫛谷宗則さんと3人が最後の客となってしまったのです。
 お会いした様子では、とても元気そうに見えましたし、まだまだ、やり残した仕事があるからそれを仕上げたい、その後は華厳経をじっくり読んで人生の終わりを迎えたいというようなことをおっしゃっていたのに誠に残念です。  大法輪閣から内山興正老師遺稿集「いのち楽しむ」という本も出ました。老師の最後の言葉をじっくり味わって以後の人生の糧にさせていただきたいと思っております。

 とにかく、いろんな方々とのご縁がなければ内山老師との出会いもなかったわけだし、内山老師との出会いがなければ今のこの私がいないわけです。このような素晴らしいご縁をいただいたことは真に幸運であったと喜んでおる次第です。


いっぽう●大阪府在住。56歳。今回の中の執筆者の中で一番古くから内山老師をご存知です。昭和45年から京都時代の安泰寺や宝仙寺で坐禅をされ、直に内山老師の提唱を聞かれました。web page『共生の道』開設。


back to contents
back to index