Ceremony in Antaiji

内山興正老師一周忌法要報告






text by HIRO(web page『HIRO's HOME PAGE』開設)


 坐禅を始めた当初,偶々参禅したお寺の和尚さんが「坐禅するならこの本を読んで下さい」と『生命の実物-坐禅の実際』を差し出された。それが内山老師との出会いである。私は,始めから坐禅自体に興味があった訳じゃない。仏教の勉強を数年してきたけれど,どうも違う? 何か違う……自分が求めているのは、こんなんじゃないはず……。それで、ただ何となく、別に脈絡もなく、漠然と「すわってみよーかぁ……」と思った……。臨済でも曹洞でもなんでも良かったのだが、最初に行ったお寺が曹洞宗だっただけ。だから当然、禅宗のお坊さんについても無知で、内山老師の本を差し出されても、また古参の参禅者が「和尚さんは内山老師に師事して安泰寺で10数年修行され…」と言われても、「内山興正? 誰? 安泰寺? しらんなぁ…(--)ゞ」だった。

 しかし、その『生命の実物-坐禅の実際』を読んでビックリ! ナント「自己」ってことが、そして多分自分が求めているであろう方向性が、ズバッ!と書いてあるじゃないか〜! それはもう眼から鱗が数えきれない程落ちて、すっかり内山老師にハマってしまったノダ。(今や内山FCまで作ってます(^^;)。

 その内山老師の一周忌法要に、この度(今年5月8日)行くことができた。法要は安泰寺で行われた。内山老師が堂頭をされていたころの安泰寺は京都の鷹ヶ峰にあったそうだが、現在は移転して日本海側の兵庫県浜坂にある。

 安泰寺行きは、ネットで知りあったいっぽうさんのお誘いで実現した。いっぽうさんは、長年内山老師の提唱を聞き在家得度されている方。でも私は単なる一読者、本来行く筋合いでもなんでもないので随分気が引けた。いっぽうさんとは、大阪発湯村温泉行きのバスで合流。午前10時頃大阪を出て、午後2時前に湯村温泉到着。その間いっぽうさんとは話詰め! いっぽうさんとは、Nifty serveのパティオでもおつき合いがあるので、そちらの話も含めて盛り上がりっぱなし!

 浜坂町久斗山の安泰寺へは、湯村温泉から車で行った。標高200〜300m位か?山の中腹が平らですり鉢状になったところに、安泰寺はあった。すり鉢状の東の峰から西の峰まで安泰寺の土地だそうだ。殆ど隠れ里だ……。何でも以前は集落があったが大雪で脱出不可能になり廃村になった場所だとか……(--;)。本堂裏の平たんな境内にはよく手入れされた畑が広がる。京都時代の安泰寺では托鉢をしていたが、ここ浜坂では托鉢は出来ず、自給自足の生活なのだそうだ。まあしかし、こういう場所で長期間過ごすとなると、きっと色んなことに降参して、本当に自分と向き合うしかなくなるなぁ〜と思える。そういう意味で、現安泰寺は最高の場所にある。

 法要は、本堂で午後4時半から。正面には仏像と内山老師のお位牌に写真(晩年のもののようだ……)。参同契・宝鏡三昧というお経を読誦して、私たちも焼香。その後、本堂裏のお墓の前で納骨・墓石開眼供養。安泰寺一世丘宗譚、二世小田垣瑞鱗、三世岸沢惟安、四世衛藤即応、五世澤木興道老師のお墓の並びに、六世内山興正老師(道融興正大和尚)のお墓も建てられていた。生前内山老師は、澤木老師のお墓の横の地面を足でパンパン踏みならして、「ここに僕は入るんだ」と嬉しそうにおっしゃっていたとか……。こうして法要・納骨開眼供養は1時間足らずで終わった。

 午後6時から本堂にて会食。安泰寺の典座役の雲水さんを中心に寺内で用意した精進料理! これぞホントのご馳走だった(^人^)。 午後8時過ぎ、場所を移して二次会。これぞ安泰寺の醍醐味!約50名が車座になって、わいわいがやがや歓談。私の横は、『生命の実物』を英訳されたトム・ライトさんだった。(トムさんには、私が明朝帰る前に本堂前にいたとき、本堂入口の額を指さして「あれが内山老師の教えのすべてです」と教えて頂いた。内山老師書で「帰命」と刻まれた額だった。)途中から前堂頭の渡部耕法老師の司会で、内山老師との関係を含めて自己紹介タイム。三分の一くらいの人が終わって、私の番に。実は安泰寺に行くちょっと前、渡部老師とはお目文字かない一応見知って頂いていたため「この人は内山興正後援会の会長さんでー……」と紹介され、冷や汗が……(((^^;;)。

 そんなこんなで、今まで名前だけ聞いたことがあった内山老師の弟子・孫弟子の方々も、次々と自己紹介。ふと気づくと時間は午前0時前。明朝は5時から報恩坐禅じゃないの〜?と思うものの、自己紹介してない人はまだまだいる……。というわけで、結局お開きになったのが午前1時。どんなに良く寝た人でも、睡眠時間4時間。安泰寺は過酷である(^^;)。

 で、私はというとそれから……内山老師の孫弟子で、アメリカ・ヴァレー禅堂の藤田一照さん、高知県・渓声禅堂の山下良道さんとさらにお話。教学と事実坐ること・事実生活することを如何にリンクさせていくのか?とか、自分にとって仏教ってなに?とか、受戒のこととか……。他の方々寝静まる中、藤田一照さんとは初対面にも関わらず、3人であーだこーだと午前3時頃まで話し込み、結局睡眠時間2時間……。(睡眠時間を削って私に付き合ってくださったお二人には、ホントに感謝です(^人^)!)

 明朝は、午前5時起床、5時20分から6時まで1チュウの報恩坐禅。澤木・内山の両老師の法を嗣ぐ方達と安泰寺で坐る。内山FCの私としては、この上ないよろこび!ホントに出席させていただいて良かったと思うのだ。

 こう書くといかにもミーハーに聞こえるかもしれない。実は、私は内山老師の著書を読み始めた頃は、確かに老師の言うことにはまりはしたが、それでも内山老師は内山老師、私は私、だって断絶してるもんね〜、と思っていた。それは今も思っている。しかしここ最近、何だか分からないけど、私は何か「繋がり」というようなものを意識しはじめていた。今回の法要で、実際に澤木興道老師や内山老師の法系の出家・在家の弟子や孫弟子の人たちの中に、ちょこっと入ってみて、私はその繋がりの意味がやっと分かったような気がする。私と内山老師もそうであるように、澤木老師と内山老師、それぞれのお弟子さんとの間は、絶対断絶している。しかし、あの「集まり」には、断絶しているのに、確かな繋がりがあったような気がする。あれをサンガというのだろう。釈尊から達磨大師、道元禅師を経て澤木老師・内山老師まで連綿と続く「繋がり」。断絶しているのに繋がってる……ナンテ不思議なことだろう……。

 断絶にしか見えなかった頃は、「他に美味しい本があればそっちの方に行くなぁ……」と(暗に)思っていたが、今は全然思わない。私は、きっとこの先も、内山老師の「繋がり」で行くと思う……。内山老師が求道途中で遷化されたことは、勿論残念なことだ。しかし私は、内山老師の法要で安泰寺に行けたことで、そういう「繋がり」をハッキリと意識できた気がするのだ。これは、私のこれからにとって非常に大きいことかもしれない……。


HIRO●広島県在住。内山老師のお弟子さんの坐禅会で坐られています。『HIRO's HOME PAGE』でよく内山老師の著作を取り上げています。


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