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 WHO ARE YOU?のインターネット版としてトライしているMONKMAGAZINE、このたび第2号をお届けすることができました。

 特集は「内山興正老師」。つい先頃、一周忌をむかえた曹洞宗の内山興正老師をとりあげています。今回は広島県在住のHIROさんが企画から執筆依頼、ブックリスト・語録の作成まで、全面的に編集を担当してくれました。お疲れさまでした。"I love Uchiyama Kosho Roshi!"という英語タイトルからもお察しのとおり、内山老師の教えやその意義を大上段からうんぬんするのではなく、内山ファンを自認するHIROさんの視点から、ポップでカジュアルな特集になっていると思います。けっこう画期的かも!

 内山老師は明治45年に東京で生まれました。昭和16年には澤木興道老師の門下となり、25年をすごします。昭和40年には、澤木老師の跡を継いで安泰寺の堂頭となりました。

 昭和50年には引退し、隠居の身となります。が、求道の精神は変わらず、ますます自己の鍛錬と坐禅の普及につとめられました。

 師匠の澤木興道老師がいかにも禅僧らしい、厳しく力強い師だったのにくらべ、どちらかというと内山老師は語り口のやさしい、やわらかい印象の師です。でも、だからといって安易な現状肯定、いい加減なところは一切ありません。やさしい口調の中にも、そこで語られていることは老師のなかでとことんつきつめられた、究極の言葉ばかりです。仏教の、禅の、エッセンスがそこにはあります。

 いま、この世界には、甘い言葉が満ちているような気がします。「そのままでいいんだよ」「頑張れなんて言うな」「ゆるーい感じがいい」……。相田みつをや、その若きコピーたちの安易なセミナー的な自己肯定。ブタが出てくるマンガ。それをありがたがるひとたち。「癒し」という単語の大流行も、その流れのなかにあります。

 確かに、この世界が傷ついているのは分かります。ユーゴスラビアの戦争は言うにおよばず、中央線には毎日のようにひとが飛び込むし、高速道路のコンクリートは崩壊、原発の冷却水が流れるパイプもひびが入りました。そして、その傷を忘れさせてくれるような未来も見えず、傷を癒してくれる場所もない。予言もはずれ(?)、宗教は役立たず。はあ……。

 現状肯定のブームは、傷ついた身体と心を癒してくれるあま〜い薬なのかも。でも、ぼく自身は甘いチョコパは好きだけど、甘い薬はきらい。なんか、効かなそうなんだもん。うそっぽいし、気持ち悪いんだもん。

 自己開発セミナーが絶好調だったころ、あるセミナー会社のスタッフに会ったときのこと。ポジティブ・シンキングとか思いは実現する、みたいなことをひとしきり語ったかれは、こんなエピソードをつけくわえた。「ずっと新しいカメラが欲しいと思っていたら、電車のなかに一眼レフの忘れ物があったんです。うれしかった」。それって犯罪じゃないでしょうか? 勘違いしてるよなあ。

   先日、横尾忠則さんにお会いする機会があって、「癒しなんて求めてちゃいけないんだ」と強調されていたのに、さすがだなあとの思った。癒しっていうのはぎりぎりの最後の瞬間にあらわれるものなんだ、食べたものをもどしてのたうちまわるような苦しみを経験してはじめて、癒しというものはあるんだ、とも。

 だからといって薬は苦くなけりゃダメだと言うのではなく、ようするに自分自身の体験から生まれるものだけが確かなんだということ。自分の目で見て、あじわって、苦しんで。でもそれも疑って、楽しんで。内山老師はまさに、そういうことをしてきたひとだと思うのだ。ほんと、WHO ARE YOU?のひとだったんですね。

 ということはもちろん、内山老師の言葉であっても無条件に「信じる」なんてだめってこと。

 なんかいろいろ書きましたが、いずれにせよ、内山老師が勧めるのは語ることではありません。坐ることです。ということで、坐ってきま〜す。ご一緒に、どうですか? じゃ、また、あとで。


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