A life of a bikkhu

interview with venerable Alubomulle Sumanasara










仏教国スリランカからひとり来日し、日本テーラワーダ協会でヴィパッサナー瞑想を教えるアルボムッレ・スマナサーラ先生。分かりやすい指導とあたたかい人柄で知られる師が、若くして比丘となるまでの話を聞いた。


BODHI PRESS(以下BP) 今日はスリランカの仏教のことをお伺いしたいんですけど、先生はお生まれは?
スマナサーラ 1945年の4月です。
BP まだ戦争中だったんですね。
スマナサーラ 物心ついたときは、終わっていたんですけどね。
BP ご両親は? 日本と違って、お坊さんの家に生まれる、なんてことはないんですよね。信仰のあつい方々だったんですか。
スマナサーラ 日本の基準からしたら、そう言えるかもしれないけど、向こうでは信仰というのは日常の、当たり前のことだから。お寺に行っているからって信仰があついとは言えないし。
BP スリランカのなんという町で生まれたんですか?
スマナサーラ コロンボから南へ35キロくらい行ったところ、生まれた田舎の名前はアルボ村というんだけどね。それを名前に使っているんです。
BP 農業地帯?
スマナサーラ 当時はね。まったく村なんですけど、郊外というか、ちょっと行ったら街があるんです。
BP ご両親はお仕事は?
スマナサーラ まあ、昔のひとの仕事というのはね……。言葉でいうならメカニックでしたけど。


BP 先生は、小さいころから仏教に親しんでこられたのですか。
スマナサーラ 遊び場というのはお寺ですからね。
BP お寺がいろんな意味での中心だった。
スマナサーラ 誰でも行くところですし。遊んでお坊さんに怒られる、というのは決まったパターンだったんです。で、また入り込む(笑)。お坊さんに殴られるぞ、と大人は脅かすんですが、ほんとは殴ったことはないんです。「こら! なにやっているんですか」と言われるだけで。
BP お坊さんは何人もいたんですか。
スマナサーラ スリランカのお寺は大きくないですから、せいぜい2人か3人ですね。日曜日は当然、お寺で学校があります。仏教を勉強するんです。それを中学を卒業するまで続けるんです。
BP いいですね。仏教をやさしく教えてくれるんですね。
スマナサーラ いえいえ、けっこう難しいんです(笑)。だからみんな、仏教をよく知っているんです。大学出なんかでなくても、アビダルマ論とか、子どもの時に習っちゃうんです。
BP いわゆるジャータカなどの説話的なものじゃなくて。
スマナサーラ それは小学校1、2年まででしょうかなあ。四聖諦とか、八正道、因果律など、ちゃんと学年ごとに決まっているんです。
BP 瞑想は?
スマナサーラ 瞑想はまた別に、満月が修行の日と決められていて、そのときは上下に関係なくみんなが瞑想するんです。
BP でもアビダルマとか難しいですよね。
スマナサーラ ぼくら、子どものころ、やりましたからね。だからすごい小さいころから、いわゆる存在論、無常論、無我論などを、考え方の基本として頭の中に入っているんです。だから現代の文明がいかに素晴らしいものをつくろうと、いつかこのひとたち疲れるよ、ということは思っているんですね。道が違うんだから、実体論で行くんだから。科学者が本の中で、科学で説明できないことはすぐ、神様がそうつくったというほうに行っちゃうでしょ。科学者なのに。笑っちゃいますよ。自分に説明できないなら、正直に言えばいいのに。たとえばDNAの構造なんかつきつめていくと、どうしても分からないところが出てくる。そうすると「神様」の世界に行っちゃう。やれやれ(笑)。
BP 突然、神様が出て来ちゃうんですね。
スマナサーラ 神様を信じていると最初から言っていれば、ぼくらも見方を変えるんですけど。スリランカのガキたちだってすごいよく知っていますよ。言葉ができれば、スリランカのガキなんかに会わせてあげたいんです。ぼくは今、偉そうにしゃべっているけど、ぼくが負けちゃうんですよ。
BP 子どもに?
スマナサーラ (笑)。そのへんが違うんですよね、日本とは。


BP 日曜学校はすごく厳しいんですか。叩き込むという。
スマナサーラ ごくふつうの学校と同じですよ。システムとして決まっていますし、試験もあります。全国的な試験もあるんです。で、コースを終わって、修了試験を受けて合格するひとはほとんどいないんです。全部のコースを終わって最終試験があるんですが、通らないですね。パーリ語やら仏教の基本、歴史、アビダルマ、大乗仏教の知識もないとだめだし。日本仏教史とか少しずつ入っているんです。そこまで中学卒業するまでの子どもが受けるんですから。14、15歳くらいですかね。まあ、本気でやればそれほどのことでもないんですが、15歳くらいというとお寺のことより、異性のことに興味あるんだからね(笑)。
BP 先生はこの試験を受かったわけですよね。
スマナサーラ ぼくらのころは時代が違いましたからね。貪り・いかり・無知の目で世の中を見ないように、母親からきつく言われていましたから。ごくふつうの女の人でしたけど、我々にだけは道徳的なことを徹底させていました。兄弟喧嘩はさせないし。怒るわけじゃなくて、なぜだめなのかということを論理でいうんですね。お菓子がひとつしかないのに、兄弟が欲しがる。そうすると自分だけが欲しがるのは欲ではないか。それは良くない。自分が持っているものをわけてあげるのが正しいことではないか……。そういうふうに真理だけをちょこっと言って、あとはぼくらにまかせるんです。その言葉は心に深く残っていますね。
 ある日、小鳥をつかまえようと弟と一緒に罠をしかけたんです。それが母にばれたら、こう言うんです。エサを探しに来るのが鳥のお母さんでしょう。お前らの母が外へ出て二度と帰らなかったらお前たちはどうするんです……。
 言われた瞬間、イメージが浮かぶんですね。自分たちでは顔も洗えないようなガキどもが、取り残されている場面が。父は恐いし。自分の立場から考えると、これ以上悲しいことはないんだとイメージされる。それっきり、鳥をいじめようなんて気持ちは消えちゃいました。そういうふうに、自分を自分で観察するように、育てられたような感じがするんです。自分の方向性はどうしてこうなったんだろうとずっと考えてみると、独立心があったことと、こういうふうに自分を客観的に見るという目を養ってきたことが大きな要因なんだろうと思いますね。
BP 家族の中で、仏教の本質が生きていたんですねえ。
スマナサーラ 形式的に、お寺に行ったり法事をやったりということはみんな嫌いなんです。お寺のお坊さんはみんな友だちですから。親戚づきあいですからね。


BP どうしてお坊さんになろうと思ったんですか。
スマナサーラ 子どものことだからねえ。とにかくそういう、なにか「はたらき」があったんですね。精神的な。勉強は他の子どものくらべるとできたほうだけど、他の遊びは得意じゃなかったんです。やっぱりなんとなく、先を見ちゃったというか。学校で教えられることにしても、仏教の立場から見ちゃう。歴史なんかでも王様がどうとか習っても、それでなんですか。
BP つきつめて考えちゃうタイプだったんですね。
スマナサーラ 科学的な勉強をやっても、これはとことんやっても数字の研究だけで終わっちゃうんじゃないか。医者になっても一生、他人の身体をいじることで終わっちゃうでしょう。どんな学問でも、最後までやっちゃったら人生の無駄じゃないかなあ、と。それよりも、仏教的なことのほうが面白かった。怒ったら心が汚れますよ。モノを盗んだら自分の心が貧しくなりますよ。そういう、どこまでやってもやりきれない世界が見えてきたんですね。だからチャレンジするんだったら、一生やってもやりきれない分野じゃないといけない。
 結婚して家族のためにエサを運んでくるなんて馬鹿らしいと思えて来ちゃって。出家というと日本では「とんでもない」と思うかもしれないけど、ぼくらの考えではあったり前のことなんですね。出家してすべてを捨てて生きる尊い道というのは、ごくふつうの生き方としてあるんです。日本の子どもだって、偉い人、かっこいい人を見たら、そうなりたいと思うでしょう。ぼくらの場合では、家を出ることがかっこいいことだったんです。小さいころ聞かされるのはジャータカとか仏さまのお話でしょう。シュッドーダナが待ちに待った子どもが生まれてくる。その子は素晴らしい能力を持っている。でも、どんな能力もどんな財産も権力も、それは苦しみのもとであって救われることにはならないと知って、生まれた子どもも抱っこすることなく家を出るでしょう。すべての生命のために出家する。そのことをドラマチックに子どもたちに話してくれる。だから、あこがれのことなんですね。
BP 今の日本で言えばテレビのスーパーヒーローみたいなものですね。
スマナサーラ そうですね。それよりは聖なる存在ですけどね。ぼくらが毎日礼拝している対象ですからね。ヨーロッパ的に言えば、キリストとか神様の概念であって、でももっと自分たちの心に近いものなんです。ぼくらにとって釈尊とは、あまりにも小さいころから教えられているので、いつでもぼくらの側にいる存在なんです。


BP スマナサーラ先生がお坊さんになるとき、周囲も平静に受け入れたんですね。
スマナサーラ 大反対だったんです。
BP え?
スマナサーラ 村も大反対でしたね。ぼくはいきなり出家したいと言い出したわけでもないし、綿密な計画があったわけでもない。ただ人生観が違ったんです。なにを見たって面白かったわけではない。小さいころも、女の子と遊ぶでしょう。でも、自分だけにべったりこられると、もう次の日は行かないんです。そのときそのときはみんなと仲良くしましたけど。
 だからといって計画はなかったんです。村のお寺の長老が、いきなり言ったんです。別の村のお寺でお坊さんを欲しがっている。君はどうですか。よかったら、すぐに準備をしてきなさいって。その長老は高校の先生もしていましたから、子どもたちはみんな信頼しているんです。いきなりでしたけど、長老のことはみんな好きでしたから、これは面白いと思って、家に帰っていきなり母に言ったんです。
BP いきなり。それはお母さんもびっくりしますよ。
スマナサーラ それでお坊さんと一緒にお寺に行って、それっきりですね。一ヶ月もしないうちに出家していました。
BP 何歳のときですか。
スマナサーラ 14歳。村のお寺の長老は父みたいなものですから、もし自分が寺がいやになって止めたいと言ったら、すぐに聞いてくれたでしょう。今でも甘えちゃうくらいですから。ほとんど田舎に行きませんが、たまに行っても自分の家にいるみたいで、あれが欲しいといえばすぐくれるし、人間としてのつながりがありますね。誰かに強引に言われたというわけでもないんです。ぼくが他のところで勉強したいと言えば、お金も出してくれたでしょう。
 でも母も一言だけ言ったんです。どうしても行くならば、帰るな、と。そのなかにはすごく深い意味があって、それはちゃんと分かったんです。自分が道を決めたら、中途半端にやるな。ところんやれ、ということです。道を選ぶのは母ではなく自分。選んだら、全力でやれ、と。だから今でも、なにか決めたら徹底的にやってしまうんです。意味があろうがなかろうが、やるんです。


BP 14歳で出家というのは早いんですか。
スマナサーラ まあふつうでしょうね。
BP でも同じ年頃の仲間とかは……。
スマナサーラ 面白くなかったんです。女の子の話とか、ちょっとふざけた話ばかりで、勉強なんかも真面目にやらないでしょう。数学なんかでも、問題ができるまでぼくはやる。他の子は四分の一くらいやると、あれこれ遊んでいる。
BP 他の子は仏教には興味は持っていなかったんですか。
スマナサーラ タイなんかでは男の子は一生に一回は出家しますが、スリランカではそうじゃないんです。出家したら、一生そのことにつくすんです。途中で還俗したひとは、認められません。恥ずかしいことなんです。最近になってやっと、還俗してもそういう目で見ちゃいけないというふうになってますけど。
 子どもが自分はお坊さんになりたいと言っても、村人のほうがあの子はいけない、というケースがあります。私を見て、あこがれて、出家したいという子がいました。毎日のように寺に来て、うろうろしている。ぼくは本人が言うんだからやらせてあげてもいいと思うんですが、村人があんまりいい顔をしないんです。村人のほうでもお坊さんとして相応しい性格の子どもが見つかれば、すすめたりはします。けっこう選ぶんですね、性格やら家柄やら。
BP じゃあ、長老がスマナサーラさんにあのお寺に行きなさいと言ったときは、ずっとみていたんですねえ。
スマナサーラ まあ、家族みたいなものでしたから。むこうのお寺もぼくのこと知っていたんです。ぼくらの家族をね。50キロくらい離れていたんですけど。でもあの長老がこう言ったんです。お坊さんになる話のあった2、3週間前かなあ、お前に自転車を買ってあげたいんだけど、まだ小さいからなって。たぶんそのころ、先方のお寺から話があったんでしょう。そしていざ、行くことが決まってから「そうか……、お寺に行ったら自転車には乗れないよ」なんていうんです。「あと1年たてば背も伸びるし、そうしたら買ってあげられるんだけど……」なんて。
BP 長老も、行かせたくなかったんでしょうかね。
スマナサーラ お前も出家しなければ、楽しく過ごさせてあげるよっていう。自転車と出家を選ばされたんです。ぼくは出家を選んだ。


BP お寺の生活というのはどういう感じなんですか。
スマナサーラ お寺というのは毎日チャレンジですね。まずショックなのは、一人で寝なくちゃいけないこと。ああ、完璧に一人になったんだ、これから自分一人で生きていかなくちゃいけないんだ。そのなかで成長していかなくちゃいけないんだ。
BP 自己と他者に気がついたということですね。
スマナサーラ 社会というものがありますからね。母には帰るなと言われたし、出家という社会のなかでどう生きていくかという問題です。修行とか勉強とかのたいへんさというのは、当たり前のことですから、言ってもしかたないんです。難しいのはふつうのことなんです。お寺で目上のお坊さんばっかりだから、言葉遣い、ふるまいをきちんとしなくちゃいけない。それだけでなく、表だけで礼儀正しくしているというのは、苦しくなるんです。意地悪の坊さんだから表面的には尊敬しているふりをして、不満はしまっておくとか。そうじゃなくて、自分の心をなおしていくほうがいいんです。心から尊敬するようにする。意地悪しているのはちょっとふざけているだけで本心じゃないんだ、というふうに自分で考える。自分が礼をするときは、素晴らしい相手だと思ってする。
 ぼくの師匠は国家的にも有名な、当時の総理やらも尊敬しているお坊さんで、周囲も近寄りがたい感じがあった。ろくに口もきいてくれない。それまではお坊さんといっても家族みたいでしたから、どうしようかと思いましたよ。でもだれも私を助けてくれるひとはいないんだ。自分の勝負の世界なんだと思った。この長老に親しく思ってもらわなくちゃ自分ではなんにもできない。どうしたら、自分の弟子だと心から感じてくれるようになるか、考えましたよ。
 自分のやるべきことは、自分ですべてやる。あの長老に怒られたことのないひとはいないんです。総理でさえ怒られる。でもぼくは、一度も怒られたことはなかった。


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