矢田代官所主屋

高崎市吉井町矢田、小林家 




 矢田代官所は吉井藩鷹栖松平家の代官所で、吉井藩は吉井駅付近に吉井陣屋も構えていました

が、領内の実質的な支配は在郷の名主を郷代官とした矢田代官所が担っていたようで、現在の主

屋も旧吉井陣屋の御殿建物を移築したそうです。一方で直ぐ近くに陣屋があるのに、飛び地でも

ない場所に代官所を設置しているのは不思議な気もしますが、これは小藩である鷹栖松平家なら

ではの事情があったのかも知れません。・・・(注)

 なお、矢田代官所のある場所は鷹栖松平家が旗本だった時代に旗本陣屋のあった場所で、表門

に通じる道の入り口には枡形状の石垣が見られるなど、旗本陣屋時代の遺構も残されています。



     矢田代官所


 陣屋御殿が現存しているのは大変

貴重なので、軒瓦の家紋を確認した

かったのですが(牡丹か松平三つ葉

葵)これより先は私有地なので近寄

れませんでした。いつか望遠レンズ

を入手したら、再度挑戦してみよう

と思います。







    表門に通じる枡形


 年月と伴に大分低くなっていま

すが、内枡形状の石垣が残されて

います。この石垣は旗本陣屋時代

の遺構と思われ、鷹栖松平家が大

名昇格に伴い吉井に大名陣屋を築

いて移転した跡地だった名残りの

ようです。



注・・ 鷹栖松平家は一万石の小藩ですが、五摂家の出身という事で大大名の格式となる「国主格」

 を与えられていました。その為に藩の財政は大変苦しかったようで、第五代の信成の頃には参勤

 交代のない江戸定府にも拘らず倹約令が出されるほどでした。

  以下は推測なのですが、国主格となれば何かにつけて居並ぶ数十万石の大大名と同等の格式が

 求められるので、その為の出費が小藩の財政を圧迫していたのでしょう。藩主の来訪が無い江戸

 定府なのに、国主格の大名昇格に伴って新たに大名陣屋を造築したのは良いけれど、それを維持

 するのにも窮する財政状態だったのではないかと思います。そこで領内の豪農を郷代官として、

 実質的な領内支配を任せたのではないでしょうか。このような話は、東京杉並の今川家でも財政

 難から領内の村役人を臨時の家来にした例などがあるようです。