御殿山下台場跡

品川区東品川一丁目、台場小学校他  




  前章の第三台場は江戸湾上に築かれましたが、同時期に築かれたこの御殿山下台場は目黒川

 の砂州の先端に陸続きで築かれました。当時の目黒川は御殿山の下で大きく北に湾曲し現在の

 品川浦船溜まり付近が河口になっていました。また台場を築くための土砂は、すぐ近くの御殿

 山から陸続きに運ぶという工事の利便性もあって、この台場は他の海上台場よりも規模が大き

 かったようです。現在の跡地は小学校や印刷工場やマンション等になっていますが、今でも台

 場跡を周回するように道路が通っていて、端正なホームべース型の五角形をしていた(注1)

 当時の輪張りの様子が覗えます。また台場跡にある小学校の門前に説明板が立っています。



     台場小学校前


  台場の名前を冠した小学校

 の門前には台場の石垣が復元

 され説明板も立っています。

 また台場跡には明治になって

 灯台が据えられたとの事です

 が、肝心の砲台跡らしさが覗

 えないのは残念です。







     台場浦公園


  現在の跡地は上記のように

 学校や公園や工場やマンショ

 ン等になっています。その公

 園も台場浦と名付けられてい

 て、現在は埋め立てられてし

 まった正面の海は台場浦と呼

 ばれていたようです。






     品川浦船溜まり


  台場跡の周囲は埋め立てら

 れていて、かつての台場の雰

 囲気はないのですが、台場跡

 東側の天王洲運河と北側の品

 川浦船溜まりが、江戸湾に臨

 んでいた当時の台場周辺の様

 子を僅かに伝えています。






    御殿山庭園


  いくつもの台場を短期間に

 作る為には、遠方から土砂を

 運んでいたのでは間に合わな

 いので目の前の御殿山を崩し

 て土取りをしました。跡地は

 ぽっかりと窪地になっていて

 (注2)現在は御殿山庭園等

 になっています。


注1・・・

 台場の形については以下のページでも図入りで説明されているので参考になると思います。

  武蔵野文化協会 11月紙上例会

注2・・・

 御殿山の土取場跡の現在の地形は、品川区の標高図を見るとよく分かります。

  品川区の区内標高図

 なお、この図を見ると台場跡の西側が細長く僅かに低くなっていて、現在の八ッ山通りは目黒川の

 旧河川を埋め立てて出来ていて、その目黒川の砂州の先端に台場があった事が分ります。






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