上粕屋代官屋敷
伊勢原市上粕屋、雨岳文庫 山口家住宅
大山の麓にある上粕屋村は2150石の旗本である間部氏(注)の所領でしたが、村の名主
山口家が郷代官を務めていました。その山口家の住宅と関連資料が雨岳文庫として一般公開さ
れて、領主来訪時の休息所となった書院造りの座敷や、代官として村の治安維持に使われてい
た捕り物道具なども見学できます。ただ元の代官屋敷はもう少し山寄りの石倉にあったそうで
現在地へは曳き屋をして移転させたのですが、その工事の途中で明治維新になってしまったそ
うです。どうりで代官屋敷らしい門構えが無く、屋敷内には主屋と離れと納屋だけなのもその
為のようです。なお、雨岳文庫山口家住宅の公開は原則日曜日だけとの事です。
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山口家主屋
間取りは豪農屋敷としては標
準的な六つ間取りですが、領主
来訪時の為に、玄関には式台が
あり、奥座敷は書院造りとなっ
ています。増築の二階は数奇屋
造りの部屋で、やはり領主の休
息所となる予定でしたが、完成
する前に明治維新になってしま
いました。
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大山神社二の鳥居
屋敷の前には大山街道の二の
鳥居があって、この場所が村に
とって重要な場所だった事を覗
わせます。また大山は雨乞いの
神として信仰された山なので、
大山詣での多くの人が屋敷の前
を行き交ったのでしょう。
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注・・・上粕屋の旗本間部氏は、六代将軍となった徳川家宣の側用人として異例の出世をして、
一介の能楽者から老中をも凌ぐ権力者になった間部詮房の弟で、兄の出世と共に旗本に取り
立てられ、その屋敷地から本所間部家と言われていました。さらに、その弟も1550石の
旗本となりこちらは赤坂間部家といわれました。なお本所間部家の墓地は、本家の鯖江間部
家の墓と共に現在は多磨霊園にあるそうです。
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