染谷邸長屋門

柏市鷲野谷、染谷家   




 旧沼南町にある鷲野谷の丘陵上には戦国時代に鷲野谷城があったとされ、地域内の数か所に

は今でも土塁や空堀の跡が残されています。さらに土塁が枡形状に残る場所に、まるで城門の

ように染谷家長屋門が建っています。この長屋門は江戸時代の末期に建てられたそうで、まだ

身分制度が残っている江戸時代に、これだけの武家長屋門を建てた染谷家は、地域でも屈指の

豪農だったようです。その染谷家は戦国時代には鷲野谷城主だったそうで、今でも屋敷の前面

両側には土塁跡が見られ、さらに門前には枡形まで残るなど、中世土豪屋敷の面影を色濃く残

す屋敷となっています。



     染谷邸長屋門


 門前に標柱があり、「この長屋門

は江戸末期の弘化四年(1847)に

主屋の普請に伴って建築された」と

の事で、江戸時代になっても名主と

して地域を支配した染谷家の威容を

伝えています。現在は柏市景観重要

建造物に指定されています。




     染谷邸左手土塁


 染谷家長屋門は南面して建ってい

て、その左手は屋敷の西端まで土塁

が築かれています。屋敷の南側は一

段低くなっているので、この道路は

空堀跡かも知れません。また写真の

右手側が枡形状になっていて、その

正面に長屋門が建っています。





    同右手土塁と空堀


 長屋門の右側にも土塁の跡が見ら

れ、雑木林の奥まで続いています。

その手前に、空堀跡と思われる道路

より一段低い地形も見られます。こ

のように染谷家の周囲には鷲野谷城

の遺構が良好に残されています。






    星神社境内の土塁跡


 丘の形状から考えて、城の本丸は

染谷家の西側にある星神社の辺りの

ようですが、境内は大方整備されて

しまったようで、ほとんど地形変化

は見られません。しかし境内の青年

館の奥に、僅かに土塁跡と思われる

地形が残されています。 (注)



注・・・星神社の祭神は妙見様で、かつて房総を支配した千葉氏の守り神でした。染谷氏も

   千葉氏一族の武将だったようで、今も松戸市大谷口に城址の残る小金城高城氏の家臣

   でした。さらに千葉氏配下の城には必ず妙見神社が祀られていたそうで、その事から

   考えても、鷲野谷城の本丸は星神社の辺りと思われます。